第9話
「それって悪質なイタズラじゃないですか。警察には相談したんですか?」
聡貴の話を聞いた那美は立腹した様子で言った。
「いいや、言ってない」
「言った方がいいですよ。誰か分からないけど、どうせ反イザナミの奴らなんじゃないですか」
「どうかな……」
聡貴は思案しながら眼下の大都会を見下ろす。聡貴と那美の2人は屋上庭園に居た。2人の務める会社、株式会社ヌボコは多くの中央機関の庁舎がある霞ヶ関の近くにオフィスを構えていた。元からここにあったわけではなく、イザナミの導入が決定したと同時に、政府機関のすぐ近くにオフィスを移転したのだ。もしものとき迅速に対応できるようにとの事だが、政府が会社に首輪をつけておきたいだけだろうと聡貴を含め、多くの人はそう考えている。
ヌボコのオフィスビルは細長い円錐台の形をし、屋上にはガラス球が置かれ、ビル全体を白い格子状の鉄骨が果物の皮のようにすっぽり覆っている。ビルを正面から見ると、格子の頂上がV字谷のような外形をし、ガラス球とビルのガラス窓の一部が覗いている。そのスリットのようなデザインはビルの下部にもあり、今度は地面から山型に2つ、等間隔に並んでいる。ガラス球の上半分は聡貴たちのいる屋上庭園になり、下半分はプール付きのジムになっている。
敷地の垣根の向こうでは多くの車が行き交っているが渋滞はなく、小川のようにゆったりと流れている。一方、歩道を歩く人の姿は全くなかった。この時期は暑さのあまり誰も外を出歩かない。6月から10月にかけては40度を超える日は珍しくなくなり、今の時期は45度をも上回る。到底外など歩いてはいられない。
そのためこうした屋内庭園や遊び場などの施設が増え、周囲の高層ビルに目を移すと、そのほとんどが屋上に緑を植えている。
「私たちが子どもの頃はまだ外で遊んでいられたんですけどね」
那美は唐突に言った。聡貴がビルの屋上に目を向けていることに気がついたからであろう。
「そうだね。まあ、僕は昔からインドア派で滅多に外には出なかったんだけどね」
「私は毎日公園で遊んでましたよ。外が大好きだった。だから、田舎に憧れてたなあ」
那美はビル群の向こうにあるはずの山々に目を凝らす。今はスモッグにより視界が晴れていない。
「お母さんが沖縄に居るんですけど、暑くて商売あがったりだって」
「大変だね」
那美の両親は離婚していて、那美は父親に引き取られて東京で育った。沖縄出身の母親は残ってアクセサリー屋を営んでいる。
「今はオンラインでなんとかしのいでるようなんですけどね」
那美は腕を上げ、指輪をじっと見つめる。指輪の先には海色のガラスが乗っていて、日の光を反射して七色にきらめいている。それが母親からのプレゼントだったと聞いたことを聡貴は思い出す。
「綺麗だね」
「ですよね」
那美は自慢げに掲げて見せる。真夏の日差しのような彼女にはお似合いの指輪だった。
「今度一緒に行きませんか? 実は私、1度しか行ったこと無いんですよ、沖縄。それにそのときずっと曇ってましたし」
「それは残念だったね。落ち着いたら、開発チームのみんなで行こうか」
聡貴はそうとは言ったものの、本当は2人で行きたかった。しかし、がっついていると思われるのも嫌だったし、今は旅行やアクティビティなどは大抵大勢で行くものになっていた。それは活ポイと呼ばれる国の新規事業のせいだった。
活ポイとは活動ポイントの略で、深刻な社会問題となっているスマホ依存症とそれによる鬱病患者、生活習慣病患者を減らす事が目的で開始された。世の中は急速に機械化が進み、労働時間の減少に伴った余暇の増加と、単純労働がなくなったことで大勢が職を追われることとなった。国はベーシックインカムを導入して、基本的な生活を保証するようになるも、結果として一日中、家の中で画面に向かう人々を激増させることとなる。その解決として、様々な社会的文化的芸術的活動に対し、ポイントを与えるという事業を開始した。当初は否定的な意見も多かったが、蓋を開けてみれば国民の7割以上が利用しているとの統計も出るほどとなった。さらには、ポイント数マウントが生まれ始め、どれだけ豊かな人生を歩んでいるかアピールする材料の1つにもなりつつある。
ポイントには9つの分野があり、芸術、運動、文化、発信などがあるが、その中でも交流という分野では多くの人と時を同じくすれば、それだけポイントが得られ、また、複数の分野にまたがってポイントを取得すれば、月ごとにプラスしてポイントが得られるのである。そのため、イベントごとは集団でするのがお決まりになりつつあった。
「──そう、だね。でも、あいつは呼ばないでくださいよ」
那美は声を潜め、顔をしかめて言った。
「呼ばないよ。呼んでも来ないだろうし」
「どうですかね。あいつ私に気があるみたいだし」
「えっ、そうなの?」
聡貴は自分でも意外なほどショックを受けた。そして、よく考えてみれば、あいつが那美に嫌みを言っている所を見た事が無い。どちらかと言えば自慢話をしていた。もしかして、気を引いているつもりだったのだろうか。
「そうですよ。鼻息荒くしててキモい」
「それは嫌だね」
聡貴の心の底から漏れた言葉だった。同情する思いと、同じ人のことが気になっていることに対する嫌悪の両方があった。
那美の「まったく」と言う言葉を皮切りに、光平に対する愚痴合戦が止まらなくなった。ほとんどは那美がまくし立て、聡貴はうんうんとうなずくばかりだった。
合戦の折り返し点くらいには来た頃、聡貴のスマホがなった。聡貴は勢い止まぬ那美に謝って、発信相手も確認せずに少し離れたところで電話に出た。
「もしもし」
「小野宮聡貴さんですか?」
「はい……」
若い男性の声だった。その声色は暗かった。
「S警察署の安藤と申します」
「警察の方ですか……」
「はい」
みぞおちがえぐられるような、そんな嫌な予感がした。
「どういった要件でしょうか?」
「実は……」
警察官は言いにくそうに口ごもる。警察官でも言いにくいことらしい。それだけで、なんとなく察せられてしまった。
「身内に何かあったんですか?」
「はい……。本日、
「そんな……」
聡貴は鈍器で殴られたような大きな衝撃を受けた。しかし、それと同時に大きな安堵も覚えてしまった。
よかった、瑞姫じゃなかった。
「死因は自殺と見られています。誠にご愁傷様です」
「自殺ですか?」
「はい。ご自宅で首を吊った状態で発見されました」
ありえない。
聡貴に両親が亡くなったと聞かされた以上の衝撃が走る。
あの両親が自殺するなんてありえない……。
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