第5話

「読んだわよぉ、あの記事。流石は聡ちゃんね。ちゃんと私たち家族のことを考えてインタビューに答えてくれてぇ。ほんとによくできた子だわぁ。お母さん嬉しい。お父さんも満足していたわよ」

「そう。ならよかった」

 聡貴はその言葉とは裏腹に、『家族のこと』か、と思う。母親の言う家族の中に妹は入っていない。きっと妹のことに触れてくれなくて良かったと心底安堵しているに違いない。

「仕事はどう? 順調?」

「ぼちぼちかな」

「そう、よかった。でもぼちぼちじゃだめよ。これから聡ちゃんはもっと大物になるんだからぁ。今が勝負時よ。頑張るのよ」

「ああ、頑張るよ」

 聡貴はすぐに電話を切りたくてうずうずし始めた。母親の一言一句が癪に障るのだ。我が子を気遣うようなふりをして、その実自らの主婦仲間の小さな社会的地位が上がることと、さらに世間から素晴らしい教育ママとして支持されることしか頭にない。今はまだだが、テレビ取材なんかが来れば自らの教育方針を我が物顔で語るのだろう。そうなれば、次は講演会だ。以前、実家に帰ったとき、人を魅了する話し方というセミナーのポスターが家にあった。

 そのポスターの講師の笑み思い出すだけで虫唾が走る。

「そろそろいいかな。今昼休憩中なんだ」

「あ、ちょっと待ってねぇ。すぐ終るから」

「なに」

 聡貴は壁にもたれ、嫌厭のあまり首が曲がる。

「いい人はいるの?」

「は?」

「お付き合いしている人よ。もちろん結婚前提によ。聡ちゃん、そういうのには疎いじゃない? ちゃんとした人と出会えているか心配でぇ」

 聡貴は歯を食いしばり、新生児のように首が左右にふらふらと揺れ動く。

「まだ誰も。今は仕事で忙しい」

「だと思ったの。それはそれで素晴らしい事よ。だけど、聡ちゃんももう35になるじゃない。結婚も視野に入れるべきだと思うのよ」

「ああ、そうかもね」

 聡貴は苛つきを隠さず、ぶっきらぼうに言った。それでも、母親は構わず続ける。

「実はお父さんの会社の社長さんの娘さんなんだけどね。聡ちゃんをとっても尊敬していて、ぜひ会ってみたいって言うのよ。その娘の写真見てみたんだけどね、ものすごく美人なの。それに、優しくて器量もよくて多趣味なんですって。よかったらどう? 今週の日曜日にでも会いに来ない?」

 聡貴は呆れて言葉も返せなかった。

 今時誰がこんなことするんだよ。貴族でもあるまいに。

「今週は無理。それに、心配してもらわなくたって、いつか自分で見つけるから。その人には悪いけどそう伝えておいてくれ。じゃあ、もういいかな──」

「でも、聡ちゃん。あなた今の状況じゃお付き合いなんてできないでしょう?」

 聡貴は顔をしかめる。

「言ったろ仕事が忙しいって」

「そうじゃないわよ。あの女よ」

 聡貴は一瞬何を言われたのか分からなかった。しかし、すぐに母親の指すあの女が誰か分かった。途端に怒りが込み上げる。

 自分の娘をあの女呼ばわりするのかよ。

「あの出来損ないの邪魔者があなたの家にいる限りお付き合いなんてできないでしょ? 仕方ないけど、もう一度家の部屋に押し込んどくから、聡ちゃんは自由になっていいのよ。あんなのはほっておけばいいんだから。どうせ、聡ちゃんの家でも何もせずにずうっとゲームでもしてるんでしょう。あんなのに、貴重な聡ちゃんの貴重な時間が取られてるなんて信じられないわ。まったく何のために腹を痛めたんだか分かったもんじゃないわ、本当に。私は聡ちゃん1人で良いと言ったのよ。なのにお父さんが、娘が欲しいだなんて言うから。そのせいで、あんなのが生まれて、もうほんと勘弁して欲しいわ。ねえ、聡ちゃんもそう思うでしょ?」

 聡貴の胸に言い返したい言葉が何重にもより集まり禍々しい痼りを作る。言っても無駄だ。その脳の諦念が怒鳴ることを押さえつけている。

「──最低だよ、あんた」

「え? なに聡ちゃん。なんて言っ──」

 聡貴は電話を切った。そして、マナーモードにする。

「最悪だ……」

 聡貴は何もない廊下の白い壁に向かって吐き捨てた。

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