安易な死よりも、苦痛の続く生を

 -漆-


 墓石に水をやって、供え物と花を取り替え、線香を焚き、墓前にて黙祷する。



『如月家代々乃墓』



 眼の前の墓石にはハッキリとそう刻まれている。


 そのまま目を閉じ、気持ちをトレースしてみる。


 伝えたいこと、言わなければならないことがたくさんあるはずだった。



「……」



 自分の心も、また変わらない。


 あの時から一つも成長していない。



(まだ、何も分かってないんだな……)



 だから、語るべき言葉が見出せない。


 此処に眠る人に向ける何かを、全く見出せない。



「……」



 目を開け、黙祷を終える。


 物語のように、自分の前に春菜が現れるような不思議な展開も、やはり起こらなかった。



「……またね」



 それだけ言って踵を返し、墓前を後にした。




-捌-


 昼下がりの坂道を二人でゆっくりと降りていく。


 久方ぶりの再会ではあったものの、状況が状況だけに会話が弾むというのは難しかった。



「葛西さんはどうして墓参りに?」


「……思い出したから、かな。別に春菜に呼ばれたとか、そういうのじゃないんだけど」



 誰かと一緒なのに喋らないのも変なので、墓前に葛西さんが居た時に思った疑問を投げてみる。



「あたし、休みが一定じゃない仕事をしていて、たまたま今日がその休みだったんだけど、暑くなってきたなって思ったら急に行きたくなってね」


「……なるほど」



 適当に相槌を打ったところで、自分も同じようなものだったなと共感を覚える。



(そういや、葛西さんは春菜と仲が良かったんじゃなかったか?)



 朧げな記憶を辿っている内、葛西さんが此処に来た理由と今の季節とが紐づけされた。



「……ね、聞いてもいいかな?」



 歩みを止め、葛西さんは自分と向き合った。


 その表情が少し険しい辺り、過去の事件に関わる話なのは容易に想像が出来た。



(ま、春菜と僕のことを知っているなら気になるのは当然か)



 葛西さんは自分の過去を知っている。春菜と一緒だった自分のことを知っているのだ。



「……春菜に関わること、でしょ?」


「え」


「僕に改まって聞いてくるようなことって言ったら、それ以外にはないだろうし」


「……ごめん」


「謝らなくて良いよ。こんなタイミングで会ったのも何かの思し召しだろうから」



 これは嘘じゃない。


 請われれば話すようにしていたし、これからもこの方針を変えるつもりはない。


 安易な死よりも、苦痛の続く生を。


 生きていく中で何かを見出す……あの時、自分でそう決めたのだから。



「ただ、話はどうしても長くなるとは思うよ?」


「それは平気かな。あたし、他人の話を真面目に聞くの、苦手じゃないから」


「そう? それじゃ、確かこの先に公園があったはずだから、そっちまで行ってからね」


「ん、了解」




-玖-


 そして、駅の裏手にある公園に辿り着いた。



(此処も、変わってないな……)



 記憶の中にあっただけの公園だったが、場所は健在だったようで、こちらも駅前と同じく、懐かしい風景を見せてくれた。



「こんなところがあるなんて、よく憶えてたね?」


「朧気にね。あ、葛西さんは何か飲む? 僕は其処でお茶を買ってくけど?」


「ありがとう。それじゃ、同じのをお願い」


「ん」



 着いた隣に自販機があったので、簡単に聞いてみると二つ返事で答えが来た。



(葛西さんは……どんな娘だったっけ?)



 自販機からお茶を取り出しながら、当時の彼女の印象を思い出そうとして――……直ぐに諦めた。



(上手く思い出せるわけがない)



 葛西さんが春菜と仲が良かったという印象だけは残っていたが、僕は春菜以外の他人の印象を敢えて薄くしてしまっているところがあった。



「ほい。お待たせ」


「ありがとう」



 葛西さんからお金を受け取って、数歩進んで木を半分に割ったようなデザインのベンチに腰掛ける。



「んー……ま、いっか」



 葛西さんは座るべきか迷っていたが、話が長くなるのを思い出し、僕の隣に腰を下ろした。



「……んで、葛西さんが聞きたいことって、何?」



 日はまだ高い。この空間には木々が植えてあって、上手いこと天頂近くの陽光を遮っていた。



「うん……学生だった頃の話になるんだけど、篠原があたしに言ったことがあったでしょ?」


「え、僕が葛西さんに? うーん……昔のことだから何を言ったか憶えているかどうか……」


「そんなことない。篠原は憶えているはずだよ」


「はずって……僕と葛西さんが学校に居た頃のことでしょ? もしかして僕、葛西さんに酷いことを言ったのかな?」


「そんなんじゃないけど、あたしは篠原があの時、どうして春菜を殺したなんて言ったのか、その真意を知りたいだけ。状況次第だけど、あたしは篠原を許さないかも知れない」


「!」



 不意に、風が吹いた。



(そうか……彼女はあの時、其処に居たのか……)



 真剣な目をして見つめてくる葛西さんに、僕は思わず息を飲み込んでいた……。




-拾-


 春菜の声が薄くなり、続いてそれが途切れた瞬間、僕は自分の世界が閉じていく音――何かが崩れていくようなモノ――を感じた。



『あれ、篠原君?』


『……僕が春菜を殺した』


『は?』


『一緒に居なければ……約束をしていなければ、春菜はあの場所を通ることはなかった――』



 何も聞こえなかった。


 僕の中では「春菜が死んだ」という事実と「僕が殺した」という真実だけが鳴り響いていた。



『ちょ、ちょっと! 何を言っているの!?』


『あの道を通ろうとしたんだ……工事中の場所が校舎への近道だって、みんなが知っていた……』



 僕は、いつもと同じように教室で待っていた。


 クラブ活動が終わってから一緒に帰る約束をしていたから。



『立入禁止を、遅れないようにと……』



 それで春菜は僕を待たすまいと、その道を使ったのだろう。


 クラブ活動の終了が遅くなったとか、片づけを任されて遅れてしまったとか、理由はどうでも良い。



『そこに事故が重なってしまった……』


『ちょっと篠原君! シッカリしてよっ!』



 分かっている。


 自分が罪深い人間であると、分かっている。



『だから……だから僕が彼女を殺したんだ……!』



 自分みたいな存在が居たから春菜は消えてしまった、そんな風に考えたかったのかも知れない。



『あんなに長く隣に居て、互いの気持ちが伝わっていたのに……どうして春菜を助けられなかった?』


『し、しのはら……?』



 悲しい、苦しいと感情は衝撃を示していたが、瞳に涙は一滴も滲まなかった。


 どうやら人間は、悲しみが限界を超えてしまうと泣き方すらも忘れてしまうものらしい。



『どうして……どうしてっ……わぁぁぁぁぁっ!』



 だから僕は叫び、吼えた。


 己の感情を心の奥底から表現するように、声が枯れるまで叫び、全身全霊で吼えたのだった……。




-拾壱-


「なるほど。葛西さんは僕の声を聞いていたのか」


「……そうじゃないかとは思っていたけど、やっぱり気づいてなかったんだ?」


「うん……僕が言ったことを覚えていたなら分かると思うけど、精神的に壊れかけていたからね……」



 初めに起こったのは虫の知らせというのだろうか? 妙にぞわぞわする感じがして落ち着きがなくなったのを今でも憶えている。


 そして、金属が落ちたような大きな反響音――。



「流石に驚いたよ。教室に一人で佇んで意味不明なことを口走ってたんだもの……なるほど。それで篠原は春菜を殺したって言い出したわけか」


「……申し訳ない」



 何を言われても頭が上がらなかったが、逆に意味不明な状況で自分が殺したという僕の発言をずっと憶えていて、偶然的に再会した場でかつての疑問を紐解こうとする彼女もまた危篤な存在だろう。



「いや、逆にホッとしたよ。篠原は幼馴染で相思相愛だって春菜に惚気られていたから、篠原が本当に春菜を殺したのだったら絶対に許せなかったよ」



 葛西さんは難い表情を緩め、胸を撫で下ろすような仕草をした。



(……そっか。春菜と葛西さんは互いが認める親友同士だったってことか)



 僕達の縁を確実にしてくれた友人が面白がって策略し、瞬く間に僕と春菜が交際しているのが学校内に知れ渡ったわけだが、春菜が葛西さんに惚気ていたというのは意外で、とても新鮮な情報だった。



「……でも、篠原が壊れたのとは別で、また疑問が生じるんだよね」


「別の疑問? どういうこと?」



 葛西さんは口元をへの字にし、ペットボトルのキャップを捻って一口。



「過去の話だからどうでも良いと言われればそうだけれど、篠原はあの場所に居たのに、どうして事故が起こったって直ぐに分かったの?」


「え?」



 正直、それを突いて来られるとは思わなかった。



「確かに外に居た連中は春菜が事故で怪我をしたって騒いでいたみたいだけれど、私が篠原と会ったのは事故の直後に教室で会ったんだよ? まして篠原は春菜の死を的確に伝えていた……そんな情報は誰も知らないのに」


「あー……」



 確かに葛西さんが言っていたように、これは僕にとって何年も過ぎている情報である。


 加えて他言無用としているわけでもない……単に普通に伝えても理解され難い情報なわけで……。



「あっ、ごめん! あたし、また余計なことをズケズケと――」


「いや、大丈夫。確かに春菜が死んだって情報は数日してから学校の方から連絡が通ったわけだから、知っているなら疑問を感じて当然だろうね」



(あれは普通じゃなかったんだろうな……)



 金属が落ちたと思われる大きな反響音。


 そして、それに続いて繋がった、春菜の声――。



「でも、事実を伝えたら拍子抜けすると思うよ?」


「……どういうこと?」


「テレパシーっていうのかな? 妄想と思われるかも知れないけど、『裕也』って僕を呼ぶ強い声が脳裏を走ったんだ」


「……!」


「あの日は普段と違う感じがしていたんだ。だから、特殊なモノが感じられたのかも知れない」


「春菜と篠原の間でだけ、通じる何かってこと?」


「さて、こればっかりは何とも。互いの気持ちで常に繋がって居られるのなら、それに越したことはないのだろうけどね」



 それだけ告げて、ベンチから腰を上げる。


 唐突に感情が甦り、慌てて瞳を覆って天を仰ぐ。



「篠原?」


「……本当にあんな風に考えられたら、どれだけ楽だったんだろう」



 春菜はもう居ない……それは揺るがない事実。



「僕が殺した、それでも良かったんだ。散々弄んだ挙げ句、飽きてしまったから殺した、そんなのでも良かったんだ……」


「篠原……」



 原因は事故死。学校内の改装工事用の鉄骨を頭部に受け、頭骸骨陥没。


 工事現場周辺には関係者以外は立ち入りが出来ないことになっていたが、工事関係者が侵入を見かけても阻む等の行動を起こしていなかった側面があった為、実質出入りや通り抜けが自由となっていた。



「春菜が居なくなったって分かった時、僕は自分の意味を見失ったんだ」



 幼馴染みの彼女。


 普段から一緒に居て、お互いのことを自然に想い合った存在。



「ずっと一緒に居たから、何でもないことで消えてしまうなんて、考えられなかったんだ」


「だから自分を?」


「僕は弱かったから、他に逃げ道が分からなかったんだと思う」



 春菜がこの世界から消えてしまったと気が着いた時、死にたいと思った。


 彼女の存在しない世界にどんな意味があるのか、自分にはまるで想像することが出来なかったから。


 けれど、同時に死んでしまうということに意味も見出せなかった。


 自分が死ぬことによって再び春菜に会える……そんな幻想を抱ける夢想家では決してなかったから。



「……葛西さんには酷いことをしてしまったね」



 まだベンチに腰掛けている葛西さんを振り返る。



「ま、結果的にね。お陰様で数年来の疑問は晴れたけど、男性不信を拗らせてもいるんだよね……」



 僕の弁明に対し、葛西さんは気にしていないと手をひらひらさせたが、それでも本気が冗談か判断し難い、どんでもない爆弾を投下してきた。



「え? それはまさか僕が原因ってこと⁉」


「他の原因、考えられる? あの発言が本当だったら、篠原は親友の仇だったんだから。そうなっちゃった責任は取ってくれるんでしょうね?」


「ええー……」



 流石に理不尽だとは思ったが、眼が据わっている葛西さんが悩んでいたのは事実――男性不信気味かは別として――なのだろう。



「葛西さんなら直ぐに彼氏は見つかるとは思うけどな……逆に狂っているかも知れない僕なんかが相手で良いの?」


「うっ、真顔で言わないでよ。もう……」



 いっそのこと、狂ってしまえれば良いと思う。


 物語や漫画みたいに、春菜を生き返らせる魔法じみた儀式に手を出しても抵抗がなくなるのだから。


 いや、こんな風な思考を普通に展開させてしまう辺り、僕は既に狂っているのかも知れない。


 春菜に会えないこの世界に、いつまでもしがみついているという、その時点で。



「……葛西さん」


「ん?」


「死ぬって、どういうことだと思う?」


「……何だかいきなり暗くなったなぁ。春菜のことを思い出した?」


「うん……春菜が居なくなった時、僕は生きていても仕方がないと思ったんだ」


「まぁ、あの荒れようだし、無理もないよ」


「でも、死のうとは思わなかったんだ」


「んん? 言っていることが矛盾してない?」


「うん。だから、死ぬってどういうことかなって」


「……ごめん。良く分からないんだけど?」


「ええっと、何て言ったら良いのかな……」



 死は終わりだ。


 実際、死のうと思う人のどれだけがそれを理解しているだろうか?


 都合良く、自分の不必要なモノだけが消え去ると思っているのではないだろうか?



「ああ、もう!」



 逡巡する様子に痺れを切らしたのか、葛西さんは綺麗に染めたショートカットをかき毟り、ポケットからメモ帳を取り出して何か書き付け、問答無用でこちらに押しつけてくる。



「……これは?」



 メモ帳には十一桁の数字と長いアルファベットが並んでいた。



「あたしの連絡先。これも何かの縁だから、篠原が必要だと思ったら、掛けて来なさい」


「え」


「春菜が篠原のことを気にかけていた理由が分かる気がする。何だかほっとけない」


「う……僕、そんなに頼りない?」


「当然でしょ! 自分で狂っているかも、なんて言い出す危ない奴、誰が頼りにするわけ?」



 凄い勢いで一方的に捲し立てられてしまう。


 元より強気な性格ではないし、流されやすいタイプであると自覚もしていたが、ここまでハッキリ言われるとは思わなかった。



「良い? いつまでも一人で悩んでいても、絶対に解決はしないからね?」


「でも、一人じゃ難しくても、二人で力を合わせればどうにかなることはあるからね?」


「痩せ我慢をして格好つけるのも良いけど、他人に頼ることは別に悪いことじゃないんだぞ」



 小気味良く、鋭い言葉が連続して飛んでくる。


 その一つ一つが、いちいち心に突き刺さるものだから、ホントに何も言い返せない。



「勿論、自分で決めるのは悪くないし、其処にずっと居たいならそれはそれで良い。でも、理屈を捏ねて言い訳しているんじゃ、何も変わらないよ?」


「篠原は死ぬってことに悩んでいるんだろうけど、死んでしまったら何もかも終わりじゃないの?」


「篠原はまだ生きている……生きているなら、やれることがあるでしょ?」



 そう……如月春菜はもういない。


 けれど、篠原裕也の現実はまだ続いている――。



「そんな風に悩めるのも、先のことを考えられるのだって、生きているからでしょ?」



 それが、事実。


 今、此処に続いている、ただ一つの事実。



「……そう、だね」



 葛西さんがくれた言葉に頷く。


 分かっていたけれど、分かっていなかった言葉。


 見えていたけれど、見逃していた言葉。



「まだ、終わっていないんだよね……」



 不意に、涙が出てきた。


 なんでもないことなのに、言葉にした途端、涙が止まらなくなっていた……。






 死んでしまいたいと思うことがある。


 意志を持って生活している以上、辛いことがあるのは当然だし、消えてしまいたくなるような場面に遭遇することもある。


 けれど、どれだけ酷いことがあっても、人間は忘れることが出来る。


 どれだけ頑張って記憶に留め置こうとしても、長い時の間に感覚は少しずつ薄められ、やがて曖昧にされてしまう。


 だから、安易な死よりも、苦痛の続く生を選び、己を信じて生き続けることが出来る。


 自分自身に最期が訪れる、その時まで――。

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