故郷にて
帰郷して、後輩女子達と盃を交わす
(地元に戻って早々、こんなことになるとは……)
急な予定変更から始まり、こんな形での再開。
数年――……いや、十数年ぶりの帰還となったというのに、利昭――設楽利昭――はこんな風に歓迎されるとは思ってはいなかった。
「とひさんぱー……」
「あた、会いたお……」
(昔の友は今も友、か……ありがたいことだな)
目の前に並んでいる二人――学生時代の部活の後輩で、椎名智秋と竹元みのり――の女友達。
酔って眠っているだけだが、こんな声を聞いてしまうと寝言だと分かっていても嬉しいものだった。
「利ちゃんは昔から後輩女子に好かれていた?」
「や、好かれるも何も、酔った上での寝言だし……それに、女子に好かれるのは真ちゃんの方でしょ」
二人に毛布を被せ、真悟――みのりの兄――は、利昭に学生の頃の呼び方で話しかけてくれていた。
(こういう風に呼び合えるの、何だか嬉しいな)
互いに意識せず、昔の呼び方が出来ていた。
家が隣同士で、通う学校も同じ。同年代だから会う機会も増え、自然と仲良くなっていた。
それでも歳を重ねる毎に会う機会は減り、昔のように名前で呼び合うこともなくなっていった。
「今日に関しては、椎名さんとみのりちゃんは懐かしい先輩って認識だろうし、俺は女子に声を掛けられたことは一度もないしね……」
「そうなん? みのりからは利ちゃんが後輩女子に優しいって聞いていたけど?」
「それ、ご近所補正じゃないかな。みのりちゃんなら俺を真ちゃんと比べて過大評価しそうだし」
「なるほど。それは有り得るかも。オレが利ちゃんと同じことをやっても、兄なんだから当然だって取り付く島もない」
兄貴って損な役だなと、真悟は缶に残っていたビールをゆっくり空にした。
「でも、オレ達がこうやって酒を飲むようになるなんて、昔からは想像もしてなかったよな?」
「そうだね。椎名さんやみのりちゃんと一緒に飲むことになるとは思わなかった」
(先輩後輩補正が発動したんだろうな……)
学生の頃から彼女達は可愛らしかったが、此処に来て再会してみたら、また印象が違っていた。
「利ちゃんは久し振りに二人に会って、昔との違いに追い付かないんじゃない?」
「それを言ったら、真ちゃんと会った時の方が衝撃的だったよ。俺の記憶にあるのと違っていたから」
時の経過と成長と共に、ヒトの姿は変化する。
後輩女子達の姿もそうだが、真悟は体型が変わっていて、利昭はその違いに驚きを隠せなかった。
「あー……そっか。昔は身体を鍛えていたりしていなかったな」
口調や仕草に昔ながらの面影は映るものの、本当に利昭の知っている真悟なのか、俄かに判断し兼ねるところがあった。
「でも、オレは利ちゃんと再開しても違和感はなかったな。成長していないとかじゃなくて、歳を重ねてこういう風に進化したんだって、納得した感じ」
「真ちゃんが俺に対して悪い印象を受けてなくて良かったよ。藁をも掴む気持ちで此処に来たわけだから、拒絶されないか不安だったからね」
此処に至るまでの流れを思い返し、利昭は改めて胸を撫で下ろす。
(実家に帰って来たのに、お隣に駆け込むことになるなんてね……)
事の発端は数時間前、利昭が懐かしい地元の駅に着いた頃に届いた、一通のメールから始まった。
-壱-
利昭へ
おかえりなさい。
帰ってきて早々申し訳ないけれど、急な用事が出来てしまったので、今日は戻れません。
家の鍵が必要な場合は哲哉に借りて下さい。
もし、着くのが遅くなるようなら、お隣に伝えてあるので、其処に連絡して下さい。
早紀より
(……こういうの、普通は俺が到着する前に連絡が来ていると思うんだけどなぁ)
ケータイの振動。
それは改札を抜け、利昭がとても懐かしい夜の風景を目にした時のことだった。
(此処に来るまでの距離があるんだから、そんなに早く戻って来られないっての……!)
実家に帰ってくるというのは母――設楽早紀――に二週間前に伝えてあった。
事情があって実家に戻ることになったのだが、その辺の認識に齟齬があったようだった。
(参ったな……哲に借りろと言われてもなぁ)
確かに哲哉――利昭の弟――に連絡するのが鍵を入手する最も簡単な方法なのだが、その弟は此処から数駅先の離れたところに住んでいるので、この遅い時間に急に連絡するのは些か気が引けた。
(流石にもう一度、電車に乗るのもキツイしな。かといって、地元に帰ったのにホテルに泊まるって何だか変だしな……)
実家に入れない、弟とも連絡を取り辛いとなると、必然的に選択肢が限られてくる。
時間も時間ということもあった。利昭としては母に伝えられた番号に連絡するしかなかった。
(お隣に電話したのって、どのぐらい前だ?)
ケータイで伝えられた番号を押しながら、そんなことを思い返す。
(昔は何かとお邪魔しに行ったけど、流石に真ちゃんやみのりちゃんは竹元家に居ないだろうな)
中等生の二年の頃に此処に引っ越してきてからの付き合いなので、かれこれ十五年以上の付き合いとなるが、今回のように連携を取り合えるぐらいには良好な交流が続いているようだった。
(お隣だっていうのに、歳と共に会う機会が減って……うーん、どのぐらいになるかな?)
昔馴染みのことを思い出しながら連絡してみると、数コール後に若い女性の声が聞えた。
「はい、竹元です」
「夜分にスミマセン。私、設楽と申しますが――」
「え? 設楽って……利先輩です?」
利昭がどう会話を切り出すかを考えるところで、相手から予想外の呼び方が聞こえてきた。
(な、何だ? 聞き覚えのある声なんだけど……)
利昭の知っている竹元家の女性は真悟の母親と妹だったのだが、今の声はその何れでもなかった。
(あー……多分、彼女の声だな。でも、どうして真ちゃんの家に居るんだ?)
第三の声に戸惑いはしたが、彼女の「利先輩」という単語で、徐々に記憶が甦っていく。
利昭を「利先輩」と呼んだ女性は一人しかいなかった為、思い出すのは簡単だった。
「もしかして、椎名さん?」
「あ、そうです! 声でボクって分かったんですね――……って、ちょっと代わります」
(やっぱりそうか。俺の記憶もなかなかだな)
声の感じは昔と少し違っていたが、あの独特の呼び方は簡単に忘れられるものではなかった。
実際、利昭がこれまで会った女性の中に、彼女と同じ一人称の呼び方をしていた女性は誰一人もいなかった。
(あれも個性だけど、椎名さんは似合うんだよな)
「代わりました。真悟です。利ちゃん?」
部活で一緒だった頃の彼女を思い出していると、聞き覚えのある男の低い声と共に、昔からの懐かしい呼び方が耳に響いた。
「あ……うん。その、夜分に申し訳ない」
「いやいや、話は聞いていたし、問題ないよ」
此処に至るまでの事情を汲み取ってくれているのか、こちらからの説明は不要のようだった。
「昔みたいに家に来て上がってくれれば良いよ」
「……ありがとう。これから伺うね」
必要最低限のことだけ伝え、電話を切った。
(昔みたいに、か。真ちゃんも色々と思い出しているんだろうな)
懐かしく感じる気持ちと、一晩の不安を拭えた安堵感で、自ずと利昭の向かう足は軽くなっていたのだった。
-弐-
「確かに実家に戻って来たのに入れないのはショックだな。連絡先が分かっていたとはいえ、もう何年も前から会ってない相手だし、利ちゃんの気持ちも分かる」
お互いにそういう世間体を気にする年齢になったってわけだと、真悟は苦笑を浮かべた。
「そうなんだよ。竹元家に行くように言われたけど、真ちゃんが家に居るとは限らなかったし、哲にも連絡は行っていただろうけど、俺は其処からまた電車に乗って行く気になれなくって」
「そりゃそうだ。利ちゃんが仕事していた場所、かなり遠いって聞いていたから無理もないな。哲君に連絡は?」
「飲み始める前にメールで連絡したよ。真ちゃんによろしくって」
利昭が真悟の家に泊めてもらう旨を哲哉に伝えたところ、簡単に「了解。そして、お帰り!」と返答が来ていた。
(お帰り、か……帰って来られる場所があるのってありがたいな)
竹元家に上がって来たところで三人から同じ言葉を貰ってはいたが、身内からの言葉と認識すると改めて帰還したのだという実感が湧いてくる。
自身の都合で帰還することになったとはいえ、何処か家族の暖かみを感じたのは事実だった。
「お、そういや哲君ともかなり会ってないな。そんなに遠くないところに居るんだから何処かで会いそうなもんだけど」
「今回の俺もそうだけど、近くに居ないと自然に会う機会が減っていくから変な感じだよね……」
これも時間の経過が導き出す不思議だと利昭は思った。
互いに親しい仲だからこそ、互いを尊重して干渉しない……時代と共にヒトのあり方も変化してしまったようだった。
「正直、真ちゃんが家に居てくれて助かったよ。俺達の年齢なら実家から離れていても変じゃないし、居ないんじゃないかって思っていたから」
「そうだな。オレの周りでも実家に居るって奴の方が少ないな」
自分でやりたいって仕事を見つけられたなら場所を選ばずにそうしただろうと、真悟。
「オレの場合は職場が実家の近くだったから、結果的に一人暮らしをしていないわけだけど」
「そういや、真ちゃんは地元で就職したんだよね? 職場が椎名さんと一緒なの?」
四人で食事をした後の会話から、智秋が立役者だというのを利昭は憶えていた。
「それな。実を言うと、オレは大学卒業と同時に就職したわけじゃないんだよ」
あの就職氷河期に希望した先に内定を貰った奴の方が少ないんじゃないかという真悟の言葉に、利昭は何度も頷いた。
(確かに。俺も一応は就職したけれど、希望していた職業とは懸け離れた仕事をしていたし)
「実際には椎名に勧められて障害者施設のボランティアをしていたんだよ」
「椎名さんに? それはまた意外なところから――……あ、そうか。もしかして椎名さんとみのりちゃんの仲が良かったのが関連している?」
「流石は利ちゃん。椎名は学生の頃からみのりに会いに此処に来ていたんだよ」
真悟の言葉を受け、利昭は二人が部活でよく一緒に行動していたのを思い出す。
「なるほど。職が決まらずに実家で悶々としているところを彼女に何度も目撃されていたってことね」
「そ。恥ずかしい話だけど、やりたいことも決まっていなかったからな。椎名に何もしていないなら手伝えって頼まれた感じ」
(へぇ。椎名さんにはそんな一面もあったのか)
智秋が明るくハキハキした性格で、行動も速いというのは利昭も認識していたが、ボランティア活動をしているとは思いもしなかった。
「ふむ。その流れで一緒に参加していたと」
(真ちゃんは細かいところに気が利くし、体型的に力仕事も熟せそうだから、向いていたのかも)
「ああ。言われるまま参加したわけだけど、これが不思議と嫌な感じにならなかったんだよ」
全く考えたことのない職に携わることになるとは思わなかったと、真悟は肩を竦めた。
「そんなこんなでボランティアを続けていたら、その作業所から非営利活動法人を立ち上げるから、此処で働いてくれないかって頼まれたわけだ」
「凄い展開だね……なるほど。それで三人は其処に就職したってことか」
「そういうこと。非営利活動法人になってもやることはこれまでと概ね同じだし、顔馴染みばかりだから変わったって感じはしないんだけどな」
(運もあるだろうけど、これまでの実績が評価されたってところだろうな)
ボランティアから始まったとはいえ、これまでの信頼がなければ頼まれたりしないだろう。
経緯はどうであれ、真悟達がそれぞれの進むべき道を信じて選んだのは間違いなさそうだった。
(職場でも三人で仲良くしていそうだし、椎名さんが真ちゃんの家に居るのが普通なんだろうな)
竹元家に電話したのに智秋の声を聴いた時は驚かされたが、これまでの会話の流れから、逆に彼女が竹元家で生活をしているのが必然なのだと、利昭は今更ながら納得したのだった。
-参-
「システムのメンテナンス?」
真悟に勧められるまま遅めの夕食を済ませたとこで、利昭は早紀が家に戻れなくなった理由を知ることとなった。
「はい。何でも商店街のホームページにアクセスできないって利用者から連絡があったみたいで……」
「親父とお袋が現場に急行したんだが、二人ともネットワークの知識に疎くてな。途方に暮れていた時に早紀さんが昔はエンジニアだったのを思い出して呼び出したってわけだ」
地元に戻って来たばかりなのに申し訳ないと、真悟とみのりは深々と頭を下げていた。
「いやいや、二人して頭を下げないでよ。真ちゃん達のお陰で俺は野宿しないで済んだわけだし、母さんも今じゃないと駄目だって判断したから関係者に連絡を寄越したんだろうから、俺はそれに意見するつもりはないよ」
(駅に着いた直後のメールには呆然としたけど、誰かが早急に対応しなければならなかったんだから)
その辺の臨機応変については、設楽家で生まれ育った利昭が誰よりも理解しているところだった。
(仕事である以上、緊急時の対応を求められることがあるのは仕方がない。重要なのはそれを如何に捌くかだって、いつも言われていたからな)
帰還のタイミングと重なりはしたが、早紀の性格上、出来ることを先延ばしにするはずがない。
「でも、利先輩は久し振りに実家に戻って来たのに平気なんです?」
ボクだったら文句を言っちゃうだろうなと、智秋は不服そうな表情を浮かべる。
「まぁ、事情が事情だし。連絡もなしに家に入れない状況になっていたら抗議しただろうけど、俺が育った環境では常に緊急ありきだったからね」
「常に緊急ありき? どういうことです?」
「あ、そっか。椎名には言ったことなかったな」
利昭の言葉を受け、智秋が設楽家の環境に疑問と不審を露わにしたのを真悟が察して宥めていく。
「要は利ちゃんの両親がエンジニアで、今回みたいに不具合が発生した場合、現地に行って対応をしてくれているんだよ」
「え? こんな遅い時間なのに?」
「時間帯は関係ないんだって。前に早紀さんに聞いたら、地震や災害は待ってくれないでしょって」
(……尤もな例えだけど、気にしてくれたみのりちゃんに伝えるには身も蓋もない言葉だな)
例えが酷くてゴメンと頭を下げ、利昭。
「母さんの言葉はアレだけど、普段から出来ていたことが急に出来なくなってしまうのは誰もが困るからね。父さんや母さんの仕事は専門的な知識がないと駄目なことも多いらしいから、どうしても今回みたいなシワ寄せが生じてしまうってわけ」
(常駐先に待機して家になかなか戻れない父さんは兎も角、母さんは飽く迄も元エンジニアなんだから無茶をしなければ良いんだけど)
その辺りが早紀の気質なので、心配はするものの、利昭はそれを否とは全く思わなかった。
「はー……そういう世界なんですね。それじゃ、利先輩は子供の頃は寂しかったんじゃないです?」
「まぁ、両親がずっと家に居るって方が少なかったけど、弟やお隣に住んでいる二人と一緒に居ることが大半だったから、そんなに寂しいって感じにはならなかったよ」
利昭に何度も頷きながら、お隣に同年代が居るのって羨ましいですと、智秋。
「ボクが一人っ子ってのもあるんでしょうけど、昔から一緒だと色々と違うんだなぁって」
「や、昔からって言っても、利ちゃんのところがうちの隣に越して来たのって、中等二年の後半ぐらいだから、これまでの期間は椎名とそんなに違いはない気がするぞ」
「うん。私が智秋と最初に会ったのって高等に入ってからだしね。まぁ、その数年の違いが大きいのかも知れないけど」
「そうなんです? 先輩達の会話を聞いていると幼馴染みたいな雰囲気でしたよ?」
「其処は設楽家の兄弟が竹元家に頻繁にお邪魔した結果かな。二人して真ちゃんとみのりちゃんを見つけては誘っていたし」
(今になってみれば、椎名さんの言っていたのは強ち間違ってないのかも)
事実、両親の留守が多い分、利昭と哲哉は身近に居る人達との時間を共有したがった。
「それはお互い様だろ。こちらから誘ったことも少なくないし、何より一緒に居て楽しかったし」
「遊びの内容に因っては私が参加できないのもあったけどね……」
「それは高等になってみのりがスカートを穿くようになったからだろ。まぁ、確かに運動系はそれがハンデになってやらなくなったな」
「運動するのも嫌いじゃなかったけど、やっぱり体力的に男女の差って大きいんだなって、あの時につくづく感じたよ」
その時のことを思い出したのか、みのりは少し寂しそうな笑みを浮かべていた。
「そんな感じでウチに来る機会が増えて、親父もお袋も利ちゃんや哲君のことを気に入って。二人のどちらかがみのりと一緒になってくれたら良いのに、みたいなことを実しやかに言っていたぐらいだ」
「それ、ボクも同じようなことを言われた! 真先輩の嫁になってくれないかって」
「本当にゴメンね。ウチの両親、相手のことを気に入ると、直ぐにそういうことを言い出すから……」
困っているという感じではない智秋の言葉に、みのりは目を閉じて溜息を漏らした。
「兄さんを就職に導いた立役者ってことで恩義に感じているみたい。悪意はないんだよ?」
(自分達が思ったことを本人に直球で投げ掛けるのは昔のままか。懐かしい)
みのりの前で竹元家の両親に言われた時はどうしたものかと頭を抱えたものだった。
(ま、結果として俺と哲はみのりちゃんを妹と認識したからな……でも、あれは逆に探りを入れられた感じがしたんだよな)
思春期の多感な、誰もが異性を意識する時期。竹元の両親からの、あの言葉は利昭達がみのりに変な気を起こさない為に敢えて載せた作戦だったのかも知れなかった。
「悪意だなんて飛んでもない! 吃驚はしたけど、そんな風に想ってくれて嬉しかったし、実際に色々と良くしてくれてもいるしね」
真先輩と一緒になるかどうかは今後のボクに対する評価次第と、智秋は悪戯っぽく笑った。
「……あ、そうそう。利ちゃん、高等の時に同じクラスだった葛西って憶えている?」
「葛西って――……如月さんと仲が良かった?」
明らかに話題を逸らした真悟から、懐かしい学友の名前が聞こえてきた。
その彼女を基に記憶を辿った利昭は、無意識にその相方のことを口にしていた。
(如月さん、か……)
利昭は自分の言葉からその友人――如月春菜――のことを思い出す。
学校内で起こった、まるでドラマやアニメ、映画のワンシーンのような大惨事――。
「其処で如月が出てくるとは流石は利ちゃん。女子の名前は良く憶えているみたいだな?」
「そういう言い方をされると俺の印象が悪くなるから止めてね? でも――」
「や、今のはオレが悪かった。利ちゃんが言わんとしていたように、オレだって忘れられないから」
続けて言葉を紡ごうとする利昭を掌で制し、不謹慎だったと謝罪する真悟。
その声のトーンを皮切りに、これまで和気藹々としていた旧友との親睦が一挙に重くなってしまっていた。
(何も考えずに如月さんって言っちゃったな……此処に居る全員があの事故を知っているんだから、思い出して当然か)
誰も予想し得なかった、校内の改装工事中で起きた事故。
立入禁止となっている工事現場に学生が入り込み、高い位置から落ちてきた工事用鉄骨を頭部に受けてしまったという、通常なら起こり得なかった悲しい事故。
(如月さんがクラスから居なくなって、彼女といつも一緒だった篠原君も学校に来なくなって……)
事故の後、多方面からの視察や調査とかでしばらく休みとなったことを利昭は今でも憶えている。
ヒトが、学友が死んだという否応なしに突き付けられた数日間。これまでヒトの死を経験したことのない利昭にはかなり衝撃的な現実だった。
「……ああ、もう! 真先輩が空気読まないから違う流れになっちゃったじゃないですかっ」
誰もが事故のことを思い出して徐々に沈んでいくところで、智秋が首を振って雰囲気を切り替える。
「そんなだから未だに彼女が居ないんですよ! 葛西先輩の素敵なお話だったのに!」
「ちょ、おまっ……葛西と篠原が婚約したのと、オレに彼女が居ないのは直結してないだろ⁉」
実際は利昭の発言が元凶だが、智秋は敢えて真悟に関係ないところから難癖をつけたようだった。
「え? 葛西さんと篠原君が婚約したの?」
「ああ。つい先日、駅前で葛西と会ったんだよ」
「会っていきなり、どっちが彼女? いや、竹元なら両方とも囲ってそうって言われたんだよね。吃驚しちゃった」
「そうそう。実際は妹と職場の同僚だけど。真先輩は顔立ちが良い上に声も大人な感じがするからモテるんだよね……彼女は居ないのに」
「ぐっ、ここぞとばかりに攻めやがって……」
真悟が反撃しないのは、みのりや智秋に向けられた言葉がそのまま再現されたからだろう。
(確かに葛西さんならそういう冗談を言いそうだ)
活発で面倒見の良い学友――葛西夏樹――をイメージし、利昭は思わず笑ってしまった。
(……そっか。篠原君、吹っ切れたんだな)
あの事故で彼――篠原裕也――の置かれた状況を考えると、想像を絶する葛藤があったに違いない。
利昭はその状況を自分に置き換えてみたが、自分一人では決して耐えられないという結果に至った。
(いつも互いが互いを理解し、支え合っているような関係が急に断たれたんだ。気が触れてもおかしくない)
一心同体だった二人は唐突に切り裂かれ、これまでのいつもが続けられなくなってしまったという悲惨な状況。
(絶対に苦しかったし、辛かっただろうな……)
それでも、残された半身は己の道を見据え、後悔と喪失感に襲われながらも生きることを選んだ。
(安易な死よりも苦痛の続く生を。その苦痛が続く生の中で、篠原君は答えを見出したってことか)
自分が生き続ける理由を。
一人だけでは難しくとも、自分を理解してくれる相手と共に居られれば出来る、その安らぎと未来とを。
「兄さん、女子ウケは良いんだけど、誰とでも同じように接するからなぁ」
「……うっせ。オレのことは兎も角、みのりだってそういう相手は居ないだろが」
葛西と篠原の話だったのに、オレを肴にしやがってと憮然とする真悟。
「あー、なんかもう飲みたくなってきた! 利ちゃんが飲めるなら付き合ってくれよな!」
利昭からの返答を待たずに、真悟は二人も飲むなら手伝えと、酒を運びに席を立った。
「あらら、ちょっとやりすぎちゃった?」
「ううん。気にしていたら飲むなら手伝えだなんて言わないでしょ。利ちゃんはお酒、大丈夫?」
「飲めるよ。俺も手伝おうか?」
「いやいや、今日のところはボク達でやりますから、利先輩は座って待っていて下さいな」
(……おかしいな? その台詞をみのりちゃんじゃなくて椎名さんが言ったのに、違和感がないぞ?)
勝手知ったる他人の家という言葉が利昭の脳裏を過ったが、竹元家には竹元家のルールがあるのだろうと、深く考えないことにする。
(此処に二人は居ないけど、今日は祝杯だな……)
学友の幸せな報告を聞いて、柄にもなくほっこりとした利昭だった。
-肆-
「それじゃ、そろそろ二人を部屋に移さないと」
利昭の缶ビールも空になったところで、真悟。
「前に此処でそのまま寝て風邪を引いて、家庭内感染になったことがあるからな……」
「自宅で発生したら逃げ場がないもんね。部屋を移すのって、抱えて運ぶの?」
「いやいや、流石に寝ている女子に触れるのは紳士的じゃないぞ。良かれと思ってやったことでも、結果として悲惨な展開になるのは避けたい」
(あ、これは前例があったってことだな?)
お互いに合意の上なら話は別だろうけどと、真悟は渋い顔をしていた。
「実家に居るんだから無防備になるのは仕方がないが……おい、二人とも起きろ」
お袋が一緒なら気を遣う必要はないんだがと、真悟は掛けた毛布を引いて二人を軽く揺らす。
「んあ? もう朝……?」
「此処で寝ると風邪を引くぞ。自分の部屋で寝ろ」
真悟の声が聞こえたのか、智秋が目を擦りながら寝ぼけ眼でゆらゆらと起き上がる。
「え? 椎名さんの部屋ってあるの?」
「あー……その、利ちゃんは二階の構造を知っているだろ? 元々は親父の部屋だったのを空けて、彼女の部屋にしちまったんだよ」
それもつい先日の話だと気まずそうに、真悟。
「……それって、椎名さんが嫁候補だから?」
「うちの両親はそうと決めたら実行するからな……あの時は流石にオレも唖然となった」
触れて欲しくないところだったのか、真悟は利昭の質問には応えず、経緯だけを簡単に伝えた。
(なるほど。察しろと……ま、椎名さんが状況を受け入れているってことは、真ちゃんも満更じゃなかったんだな)
確かにこれまでの会話にそれらしい雰囲気が流れているのを感じていた利昭だったが、此処に来てやっと辻褄が合ったと納得する。
「まだ眠い……先輩、ボクを部屋まで運んで……先輩になら触られても良いから……」
「あっ、こら! オレに倒れ込んで寝るなっ」
目の前に真悟が居るのを確認し、智秋は抱き着くように身を委ね、可愛らしい寝息を立てていた。
「ああもう! こんな時ばっかり……これでまた明日、憶えてないとかって言うんだもんなぁ」
(おや? 前例って頻繁に起こっているのか?)
溜息混じりの真悟のぼやきからして、酔った智秋の記憶は信用ならないようだった。
利昭は二人の関係も含め、あんな風に信頼しきっているのに妙な感じだと思った。
「はは……かなり飲んでいたし、眠かったんだね」
「そうなんだよ。椎名は飲んだ次の日、昨日の記憶を無意識に整理していることが多いんだ……利ちゃん、悪いんだけどみのりを起こしてくれる?」
女性に対して紳士的じゃない行動を執る羽目になった真悟の依頼に、利昭は苦笑しつつ引き受ける。
「問題ないよ。真ちゃんがやっていたみたいに揺らせば良い?」
「あれだけだと起きないから、声を掛けてやってくれ。起きないなら頬とか突いて起こしても良いぞ」
「あれ? 妹には扱いが紳士的じゃないね?」
「オレがやると数日は話もしてくれなくなるからやらないけど、利ちゃんになら違う反応をするだろうと思ってね」
何処か意味深な笑みを浮かべながら、後は頼んだと智秋を抱えて二階へと向かって行った。
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