第50話 私のオカルトとか超常現象に対するスタンスについて
このエッセイも50話に達してしまったので、今更ながら私の超常現象に対するスタンスでも語ってみようと思う。
私は、いわゆるオカルトとか不思議な話が好きである。ただ、この手の話題は一般的にはあまり受けない話であると感じている。少なくとも、私の身の回りでは気軽に話せるような人は居ない。
それでも、職場の飲み会などでアルコールが入ると、つい語ってしまうこともある。だが、当然のごとく周囲の反応は良くない。
「あのさあ……君は、もういい年なんだから、そういう話題を嬉々として話すのはどうかと思うんだけどねえ……。人の趣味はそれぞれだけど、年齢とか立場に見合ったものをだね……」
年配の方に、たしなめられてしまったことがある。彼は、さらに何か言おうとしたようだが、あきらめたかのように酒を口に運んだ。
「あのう、こんな言い方は失礼かもしれないのですが。……わたし、あなたの言っていることの意味がわからないのです」
また、入社したばかりの女性社員に、申し訳なさそうに言われてしまったこともある。正直に言って、この反応は結構ショックだった(飲んでいるうちに忘れてしまったが)。
とにかく、このようなことがあったのでオカルト的な話題を人前で口にすることは自重することにしたのである。それでも、面白そうなネタを見つけたり発見したりすると、つい誰かに言いたくなってしまう。それをまとめたのが、このエッセイなのである。
もしかしたら、カクヨム運営も変なエッセイをを投稿するのはやめてくれと思っているのかもしれないが、今のところは大丈夫なようだ。
ところで、ここまでエッセイを読んだ方がいれば感じたかもしれないが、私はオカルトというか超常現象について、どちらかというと懐疑的な考え方をしている。
皆さんの中には、信じていないのにどうして好きなのか? と疑問を持つ人もいるかもしれない。これについては、不思議な現象を単に受け入れるだけでは、面白さや不思議さがわからないから、と言えば答えになるだろうか。幽霊を例にすると、懐疑的で信じていないからこそ、その存在を示すような出来事が起こったときに驚きがあるのだ。幽霊を完全に信じている人なら、それほど驚かないのではないだろうか。
昔、いわゆる「霊が視える人」と話したことがあった。さぞや不思議な体験をしてきたのだろうと思って話を聞いたのだが、その人は別に何でもないことのように話すので不思議に思ったことがある。これは話しているうちに事情がわかってきた。「視える人」にとっては、霊的な何かが視えるのは当然のことで、日常の出来事となっているのである。なので、幽霊が出たぐらいでは驚かないし不思議でもないのだそうだ。
どうやら、私はオカルトとか超常現象を、ミステリィや推理小説的に捉えているらしい。推理小説では大抵の場合、事件が起こり、それを探偵役が解決するという流れになっている。何らかの謎が提示され、それを解き明かすと言い換えることもできるだろうか。
この謎を解き明かすという流れを、私は超常現象に対しても当てはめているようだ。何故このようなことが起こったのか、別の手段で再現することはできないか、証言をした人は信用できるのか、などである。こういったことを考えるからこそ、何が謎なのかはっきりとするし、真相を知りたいという気持ちが生まれるのである。
もっとも、ミステリィと違って、超常現象の場合は真相や仕組みがわからないままのこともあるが、それはそれで謎が魅力的になるから良いのだ。要は、疑ったり推理したりするからこそ、謎や不思議さが際だつということである。
念のために書いておくが、私は他人の考え方や信じるものについて、あれこれ言うつもりはない。私の思うところを書いてみただけである。また、これをもって誰かに影響を与えようとは考えていないし、何かしらの影響を与えられるなどとも思っていない。
こんな考え方の人もいるんだな、程度にとらえていただけると幸いである。
最近というか、ずいぶんと前からネットの普及によって情報がすぐに集まるようになった。これによって怪事件や未確認生物の目撃情報にアクセスしやすくなったが、同時にネタが割れることも早くなった気もする。あくまで私の感覚なのだが、オカルトとか怪談というのは意外と昔のネタが使い回されている感じがあるのだ。新しいネタかと思ったら、画像に見覚えがあるということがしばしば起こったりもする。完全に新規のネタというのは、案外少ないのではないかと思う。
未確認生物については、画像があると専門家があっさりと正体を言い当ててしまったりすることもある。SNSに投稿された画像に、一瞬にして専門家の詳細な解説がつくと、感心すると同時にちょっと寂しい気もするのだ。無論、学術的な観点から見れば素晴らしいことなのだが。
とはいえ、不思議な事件の情報があると、年甲斐もなくわくわくしてしまうのは変わらない。いっそのこと、深海で恐竜の生き残りが大量に発見されるとか、麦畑にできたミステリーサークルに未だ解かれていない数学の証明がなされていた、というような大掛かりな謎が発生しないかな、と思う。
そして、人類がその謎に夢中になり、紛争やら対立を忘れて協力できればいいのにな、とぼんやり考えるのであった。
50話ということで、このエッセイを完結にしようとしたのですが、パソコンの中身を整理中に昔に書いた文章が出てきたので、もう少し続きます。おまけというか、正直に言って蛇足ですが、せっかくなので……。
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