第41話 怖いのかどうか微妙な会社の怪談
知り合いのG君から聞いた話である。
G君は、大学を卒業して某企業に就職した。
最初に配属された職場では、ベテラン社員のもとで基礎を学びつつ仕事をするということになったそうだ。G君の上司となったベテラン社員は、昔気質というか、昔風の仕事人間とでも表現するような人だったらしい。仕事があれば、残業どころか休日出勤すら厭わないタイプで、毎日バリバリ働いていたそうだ。
こんな風にベテラン社員はややクセのある人ではあったが、仕事ぶりは見事だったらしい。G君は、そこを見習おうと毎日、必死に働いたそうだ。
ある金曜日の夕方の事である。上層部からG君たちに、会議資料を作り直して欲しいというリクエストがはいった。G君たちの仕事に不備があったわけではなく、上層部による急な様式変更である。しかも、期限は次の月曜日の午前中であり、この会社は土日が休みであった。つまり、残業決定である。
G君はがっかりしてしまったのだが、ベテラン社員の方は平然としている。ベテラン社員は、残業のための準備をしながらこう言った。
「色々と言いたいことがあるだろうが、まずは命じられた仕事をやってからにしよう。仕事をする前にあれこれ言っても、単にやる気が無いと思われるからな。やった上で、言うべきことを言おう」
上層部への不満を口にしかけたG君ではあったが、ベテラン社員の言葉に納得した。文句を言ったところで、やるべき仕事がなくなるわけではないのである。
G君は、気持ちを切り替えて机に向かったのだった。
休日前の金曜日の夜ということもあって、同僚たちはどこか浮かれた様子で帰っていく。会社から節電を言われていることもあって、人がいなくなった所は照明が消されていった。
そうして、広いオフィスは少しずつ暗くなっていき、明かりがついているのはG君たちの机の周囲だけになっていた。にぎやかだった部屋は静まりかえり、薄暗くなったせいもあって、なんだか寂しげな雰囲気である。とはいえ、そんなことを気にしている余裕はない。G君は仕事に集中したのだった。
午後10時をまわった頃になって、ようやく終わりが見えてきた。G君が印刷した書類をベテラン社員に見せると、彼はじっと見てからうなずいた。
「よし、これでいいだろう。あとは、もう一度点検してミスがなければ完了だ」
「あっ、やっぱり点検するんですね……」
「せっかく残業してまでやったんだから、ちょっとしたミスでケチがつくのもつまらないだろう。上層部は出来上がったものを見て評価するんだから、仕上げが肝心だ。……とはいえ、少し疲れただろう? 一息いれようか」
ベテラン社員はそう言うと、軽く背伸びをして周囲を見回した。
「ん? 残っているのは私たちだけか。昔は金曜の夜でも、事務所の明かりがこんなに早く消えることはなかったんだがな」
「昔はすごかったらしいですね。今は、人事の方がワークライフバランスとか言ってうるさいですし」
「ああ、時代ということだろうな。昔は、この会社も景気が良かったから仕事がたくさんあって、残業代も気前よくついたからな。ふう、昔か……」
どこか懐かしそうに言ったベテラン社員は、目を細めて電気の消えたオフィスを眺めているようだった。
「なあ、G君。あそこの柱に、影のようなものが見えないか?」
急に質問されたG君は、不思議に思いながらベテラン社員の視線を追った。窓際にある席、そのすぐ近くの柱になんとなく黒いシミのようなものが見える。
「はい、見えます。何でしょうね、明かりがついているときは気づきませんでしたけど。うーん、光の加減で柱の汚れが浮かび上がって見えるのかな」
「良く見たら、人影のように見えないか?」
「あっ、言われてみればそうですね。……もしかして怖い話ですか?」
G君が質問すると、ベテラン社員は意味ありげな表情を浮かべた。
「昔、私がまだ若かった頃の話だよ。あの柱の近くの席に、Pさんて人が座って仕事をしていたんだ。そう、あの頃は景気も良くて仕事が忙しかった……。ある日、Pさんは1人で深夜に残業をしていたんだ」
「なんだか、今の僕たちみたいですね」
「はは、こんなものじゃない。もっと遅い時間まで残っていたのさ、Pさんは仕事熱心な人だったから。だがな、Pさんは持病があったんだ。……心臓が悪かったのかな。とにかく、その持病の発作が出たらしいんだ。しかし、1人で残業をしていたから助けを求めることができなかったし、不幸にも気づく人がいなかった。見回りの人が来たときには、あの柱にもたれかかるようにして亡くなっていたそうだ」
しんみりとした口調で語るベテラン社員であったが、G君は「これって労災の案件にあたるのかな」という現実的な疑問を感じていた。もっとも、空気を読んで口には出さなかったが。
「それからさ、ある噂が立つようになったんだ。夜遅くに仕事をしていると、Pさんが亡くなっていた柱に人影が浮かび上がってくるという話だよ」
「そんな由来があったんですね」
「ああ……Pさん、無念だったろうな」
ベテラン社員は、そう言って例の柱の方を眺めた。どことなく寂しそうな様子である。ベテラン社員は、いかにも仕事人間という感じの人ではあったが、仕事中に人が亡くなったことについては思うところがあるようだ。もしかすると、Pさんという人と親しかったのかもしれない。G君は、意外な一面を発見したような気になった。
だが、次にベテラン社員が発した言葉は意外なものだったのである。
「仕事の途中で亡くなってしまうなんて、悔しかっただろうなあ。Pさん、仕事をきっちり仕上げたかっただろうな」
「えっ? そ、そうかもしれませんね」
G君は戸惑いながら話を合わせた。ベテラン社員の口ぶりだと、残業をさせた会社を恨んでるとかではなくて、仕事が中途半端に終わったことが気がかりだ、ということになっている。これって、そんな話なのだろうか。
「だからね、私はこう思うんだ。残業をしていると柱に影が浮かび上がるっていうのは、Pさんが仕事ぶりを見守ってくれているんだと思う。自分は残業中に亡くなってしまったから、他の社員にがんばれよって励ますつもりで現れているんじゃないかな」
「うーん、そうなのでしょうか? まあ、その、仕事熱心な方だったのでしょうけれど」
「そうさ。だから、私たちも、これぐらいで疲れたなんて言ってないで、もっとがんばらないとな。さっ、Pさんが心配ないように残りの仕事を片付けようか」
「は、はい」
G君は釈然としないものを感じたのだが、ベテラン社員にうながされて残業に戻ったのだった。
仕事を再開したG君ではあったが、頭の隅で先程の話が引っかかってしまう。仕事中に亡くなった人が会社を恨むでもなく、いわば守護霊とか守り神のような存在になるという美談風の解釈はどうなのか。都合の良すぎる考え方だと思えてならないのである。ベテラン社員の人も仕事はできるし悪い人ではないのだろうが、感性にちょっとついていけないような。
モヤモヤとした思いを抱えつつG君は残業をこなしたのだった。
以上が、G君から聞いた話である。
これを怖いと思うかは、人によって大きく異なるだろう。私としては、怖いというより嫌な話といったところだろうか。いや、残業中に上司がこんなことを言いだしたら、幽霊などとは別の意味でホラーかもしれない。会社というものは、時には怪異などより得体の知れない存在なのである。
なお、G君は今も元気に働いている。彼によると、例のベテラン社員も会社自体も好調だということである。
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