第15話 畑の肥料に馬糞をもらったら、意外なものが大量発生した話
あれは、いつの頃だっただろうか。
ご近所さんが、唐突に質問してきたのである。
「馬糞、欲しい?」
一瞬、何のことがわからなかったが、なんとか頭を働かせる。
「……もしかして、肥料にってこと?」
「そうそう、それ以外に使い道なんてないし。で、どうかな。有機農法がどうとか、話題になってるじゃない」
「うーん、あれって使い方が難しいんじゃないの? 肥料に使うには、発酵させたりしないといけないって聞いたことがあるけど」
「ああ、それは既に処理済みのやつなんだよ。畑にまくだけでいいから、どう?」
馬糞そのままではなくて、肥料になっているものらしい。それならばいいかな、と考えていると、ご近所さんがぐいぐいと勧めてくる。
「なあに、普通の肥料と同じように使うだけだから。うちでさあ、大量にもらったんだけど余っちゃってね」
「そういうことか。……じゃあ、ちょっと使ってみようかな」
どうやらご近所さんは、馬糞を肥料にしたものをもらいすぎて使い道に困っていたようだ。
私が少しだけもらうと返事すると、翌日には結構な量の肥料が畑の隅に積まれていたのだった。
馬糞ということでニオイを懸念していたのだが、もらったものはきちんと処理がされていたようで特に気にならなかった。おがくずや藁を混ぜて作ってあるようで、見た目には馬の糞だとはわからないぐらいである。なるほど、これなら普通の肥料感覚で使えるな、と私は感心したのだった。
その年は、野菜を作るのに使ったのだが、さすがにもらいすぎたようである。余った分を、いつか使おうと畑の隅に積んでおいたのだが、忘れたまま年を越してしまったのであった。
年が明けて、春がやってきた。
私が、馬糞のことなど忘れて農作業をしていたときのことである。畑の外から、小学生ぐらいの男の子がこちらを見ていることに気づいた。目が合うと、男の子は丁寧に頭を下げた。
どうでもいいことだが、最近の子供は、上品かつ礼儀正しい子が増えたような気がする。親の教育なのか時代なのか、ともかく良いことである。
「何か気になるの?」
私は作業の手を止めて、男の子に声をかけた。
「あの、畑の隅にあるのは肥料ですか」
「……あっ、知り合いに馬糞をもらったんだけど、使うのを忘れていてねえ。どうしようかな」
「見せてもらってもいいですか」
「えっ? 別にいいけど……」
男の子の申し出は意外なものであった。馬糞なんか見て楽しいのだろうか、私は戸惑いつつも首を縦にふる。
積まれた馬糞の近くまでやってきた男の子は、真剣な表情で観察しているようだった。なんだろう、馬が好きなのだろうか。そんなことを考えていると、男の子は私の方を向く。
「あのう、少し掘ってみてもいいですか」
「いいよ、いいよ。余ってたやつだから、問題ないよ」
男の子は背負っていたリュックから、小さなスコップを取り出すと、慎重な手つきで馬糞の山を掘りはじめた。こうなってくると、何をしているのか興味がわいてくる。私は作業を止めて、男の子を見守ることにした。
またまたどうでもいいことだが、最近の子供は、汚いものなどには触りたがらないような印象があった。ところが、目の前の男の子は馬糞とわかっていても気にした様子はない。そんなことを考えていると、男の子が歓声をあげた。
「わっ、やったあ。大きいのが居た」
男の子の手元に目を向けると、そこには白い大きな幼虫の姿がある。ここに至って、私は事情を察した。
彼はカブトムシの幼虫を探していたのだろう。カブトムシは、枯れ葉や木くずが含まれている腐葉土に産卵するから、おがくずや藁を混ぜ込んだ馬糞の肥料は良い場所だと思ったのかもしれない。このあたりは田舎ではあるものの、カブトムシはわりとレアな昆虫である。よく使い忘れた肥料を見つけたものだ。
気がつくと、男の子が何か言いたげに私を見ている。
「うん? ああ、持って帰ってもいいよ。余ってたものだし、カブトムシが居たら肥料に使うのは可哀そうな気がするからね」
「ありがとうございます。……あのう、もしよかったらなんですが、お友達も欲しがっているので、また採りにきてもいいですか?」
「ああ、いいよ。おじさんが居ないときでも、適当に入って採っていいから」
私が答えると、男の子は目を輝かせて喜んだのであった。今の子でも、このぐらいの年の男の子はカブトムシが好きなんだなあ、と自分の昔を思い出して懐かしくなったのだった。
それから、カブトムシの幼虫を求める少年たちが畑の隅に積まれた馬糞に集まってきたが、想像以上の人数だった。私の住んでいるところは、過疎化が進んでいることもあって子供の数は少ない。なのに、見たことのない数の子供が馬糞の山を掘りながら楽しそうな声を上げていたのである。
馬糞をもらったら、それにカブトムシが産卵し、小学生ぐらいの男の子が大量に集まった、そういう話である。小学生のインパクトが強すぎて、肝心の肥料としての効果についてはすっかり忘れてしまった。
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