第14話 私たちが食べているのは本当に松茸なのか?

 私が高校生の頃の話である。

 当時、昼食には親に作ってもらったお弁当を持って行っていた。昼休み、弁当箱をあけると中身は昨日の夕食の残りだと思われる、キノコを使った炊き込みご飯である。私はややがっかりしたが、一緒に昼食を食べていた友人は驚いたようだ。


「おまえ、それってもしかして松茸ご飯? いいなあ、俺にも一口食べさせてくれよ」

「別にいいけど……あっ、これって松茸じゃなくて『さまつ』だぜ」

「は? 『さまつ』って何? とにかく、一口でいいからさあ」


 私は、友人の反応に戸惑いつつ弁当箱を差し出した。『さまつ』という呼び方は一般には通用しないのだろうか。

 私の住んでいるところは田舎なので、秋には松茸やしめじが採れる山がある。とはいえ、松茸は貴重でなかなか採れない。かわりに松茸に似ているが、少し香りと味が落ちるキノコがそこそこ採れるのである。それを私の地元の人たちは『さまつ』と呼んでいたのだ。

 あれこれ考えていると、友人は私のお弁当をガツガツと食べていたのだった。とても一口という量ではなかった。



 家に帰った私は、図鑑で調べてみることにした。当時は、まだインターネットが普及していない時代である。考えてみれば、今は便利になったものだ。

 ともかく、図鑑で松茸関係を調べてみると、いくつか近縁種があることがわかった。松茸に似ているが、生育環境や香りなど違いがある『ニセマツタケ』や『バカマツタケ』という種類が存在するようである。なんともひどいネーミングだが、どちらも松茸に似ていて、それなりに貴重なキノコらしい。さすがに、味や香りは本物の松茸よりも劣るそうだが。マツタケモドキというキノコも存在するそうだが、こちらは遠い種類ということだ。

 地方によっては、これらの近縁種を『さまつ』と呼ぶことがあるそうである。これは松茸よりも早く発生することから、早い松と書いて早松さまつということらしい。なお、大したことがないという意味の瑣末さまつからきている、という説もあるそうだ。

 私の地元では、どちらかというと瑣末の方のニュアンスで呼ばれていたように思う。それでも、松茸と『さまつ』は区別がつきにくいから、多くの人が喜んで食べていた。かくいう私も、違いがよくわかっていなかったのである。



 月日は流れて、私が大学生になった頃の話である。

 秋に、地元の人に誘われて松茸採りに行くことになった。車で長い時間移動し、そこから長時間歩くという困難な道のりではあったが、松茸や『さまつ』の類を採ることができたのである。

 私のような素人には、どこに生えているのかさっぱりわからなかったが、上手な人は生えていそうなポイントをよく押さえているようだった。歩き回って探すというより、いくつか松茸がよく生えるという場所があり、そこを見て回るという感じである。松茸と『さまつ』の違いを説明してもらったが、普段から見慣れていない私にはやはり見分けがつかなかった。



 その後、収穫した松茸などをみんなで食べようということになった。松茸採りを主催した人の家に行くことになったのだが、ある人が「松茸を増やしてくる」と言って別行動をとった。意味がわからなかったので近くにいた人に聞いてみると、どうも農産物直売所に松茸や『さまつ』の類を売って、安い松茸を大量に仕入れてくるとのことである。そんなことができるのだろうか思ったが、食事の準備をしているうちに別行動をしていた人が帰ってきた。



 驚いたことに本当に松茸が増えていた。ただ、さきほど採ったものに比べると色が薄いというか、全体的に灰色っぽい色合いである。一体どういうことなのかたずねてみると「さっき採った松茸の一部を売って、その金でカナダ産を買ってきた」とのことであった(もしかするとトルコ産だったかもしれない)。



 増えた松茸や『さまつ』を、焼き物やお吸い物、すき焼きに入れて食べたが、どれも大変に美味であった。特に、松茸をまるごと焼いたものが美味しかったのが印象に残っている。松茸を焼くとなると貴重ゆえに薄くスライスしたくなるが、まるごと焼くと内部の水分の加減か、ふっくらとして香りよく仕上がるのだ。本物の松茸は、香りも良いが歯ごたえが絶品だと感じた。『さまつ』は松茸に比べると、柔らかかった気がする。

 最初は、それぞれの種類の味と香りを比べようとしていたが、いい具合にアルコールがまわってくると、美味しければなんでも良いという結論に落ち着いたと思う。

 だが、そのときぼんやりと考えたのが、このカナダ産の松茸って本当に松茸なのだろうか、ということである。国産の松茸だって、近縁種の『さまつ』と区別がつきにくいのだ。ならば、カナダ産のものだって似たような別の種かもしれない。



 現在、私の地元は松茸どころか『さまつ』もあまり採れなくなってしまった。原因はいくつかあるのだが、大きいのは山をよく知る人がいなくなったことと、山があまり手入れされなくなったことだろう。少しさびしいが、これも仕方がないのだと思う。

 秋になって、スーパーに松茸が並んでいるのを見ると昔のことを懐かしく思い出す。



 それと同時に感じるのが、これって本当に松茸なのだろうか、ということである。

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