第13話 個人的に最も恐ろしいと思う怪談

 恐怖とは何だろうか。

 得体の知れないものへの恐れ、生命の危機や肉体的苦痛に対する本能的なもの、あるいは後天的に学習された文化的なものなどいくつも挙げられるだろう。とはいえ、おそらくこれが正解というものはないだろう。

 生命の危機のように一般的に恐れられるものは存在するだろうが、何を恐れるかというのは個人差が大きいのではないかと私は思っている。例えば、蛇や虫を怖がる人が居る一方で、それらをペットとして可愛がる人も存在する。有名な怪談話を聞いても、何とも思わない人だって存在するだろう。



 さて、前置きが長くなったが、今回は私が最も恐ろしいと感じた怪談を紹介してみたいと思う。最初に言い訳しておくと、私が怖いと思ったものであって、他の人がそう感じるとは限らない。むしろ、なぜ怖いのか理解できないような気がする。長々と書いたのは、このためである。

 だが、もしかすると私と同じように恐怖を感じることがあるかもしれない。



 社会人になって数年経った頃の話だったと思う。

 私はちょっとした要件で、取引先の工場を訪問していた。工場はカマボコを大きくしたような2階建ての建物である。1階が作業場で、2階が事務所という構成なのだが、実はかなり大きな建物だ。大型の機械を扱っている関係で1階は天井がかなり高く、2階へ行くには長い階段を登っていかなくてはならない。一応エレベーターはあるものの基本的に資材用なので、人間は基本的に階段を使うのである。



 1階の作業場で取引相手のSさんを見つけたので、私はほっとした。1階に居ないと、長い階段を登って2階の事務所に行かなければならないからである。

 Sさんとの要件はすぐに済んだので、雑談になった。お決まりの景気の話やら業界の噂などである。そのうち、Sさんは意味ありげな表情になると、声を小さくした。


「……実はですね。この作業場に……出るっていう噂があるんですよ。こういう話はお嫌いですかね?」

「いえ、わりと好きな方ですね。……どんな話ですか?」


 実のところ、すごく好きなのだが、仕事で来ているので控えめに興味を示すことにした。


「この作業場の奥に、今は使っていない階段があるんですよ。ほら、あそこです」


 Sさんの指差す方向を見ると、金属製の螺旋階段があった。それは柱の周囲をぐるぐるとまわって2階へと続いていたが、あらためて見るとかなりの高さである。


「ああ、ありますね。使っていないっていうのは、どうしてなんですか?」

「場所が不便だったんですよ。それに、スペースを節約するのに階段が急でしてね。登った人から疲れるって不評でねえ。結局、工場の隅にある普通の階段が良いってことになったんですよ」

「ああ、いつも使わせてもらってます。今日は登らずにすみましたが」


 私が言うと、Sさんはかすかに笑った。


「そんなわけで、どうせ使わないならと近くに機械を設置することにしたんですよ。で、機械を置いてみたら位置が結構ギリギリでねえ。万が一、人が接触すると危ないって意見がでて、なら階段を使うのをやめようって話になったわけですよ」


 あらためて見ると、その階段は立ち入れないように金網で囲われていた。2階部分はどうなっているのかわからないが、そちらも立ち入れないようになっているのだろう。


「労災は怖いですからね」

「はは、それは怖いですねえ。うちは安全第一ですから、そっちの怖いじゃないですよ」

「と、言いますと?」

「それがねえ……降りてくるって言うんですよ。いや、降りてくるのを見たヤツがいるっていうのか……」


 陽気に話していたSさんだが、急に言いよどんだ。


「事務服って言ったらわかりますかね」

「ああ、主に女性が着用しているアレですか? ん、ここの工場の人は着ていませんね」

「ええ、今は廃止されてます。昔はね、ここの事務所勤務の女性は、紺色の事務服を着用することになってたんですよ。ところがね、時代の変化っていうか……まあ、お洒落じゃないって意見とか、女性だけ着用するのはどうか、って話ですよ」

「今は少なくなったような気がしますね」


 Sさんは例の階段から目をそらして、工場の入口のシャッターの方を向いた。時刻はそろそろ夕方で、開け放たれたシャッターの外はうっすらとオレンジ色に染まってきている。


「そのね……廃止された事務服を着た若い女の子が降りてくるっていうんですよ。……例の階段からね。なんていうかね、見たことのない女の子なんですよ。その子がね、真っ直ぐに前を見つめたまま、階段を音を鳴らしながら降りてくるって話でね」


 私はその場面を想像してみて、背筋が寒くなるのを感じた。自分でも理由は良くわからない。私が戸惑っていると、Sさんはぽつぽつと話を続ける。


「工場の2階はね、扉に鍵をかけてチェーンもかけているから、階段には入れないんですよ。そもそも、なんで廃止されて事務服を着ているのかって話でね。……これだけの話なんですけれど、気味が悪くってねえ」


 少しおびえたように話すSさんを見ていると、私も落ち着かない気分になってきた。

 工場では様々な作業の音が聞こえている。金属を削るような音、ハンマーで何かを叩く音、モーターの駆動音など。それらに混じって、金属製の階段を降りてくる音が聞こえたら、と想像するとぞっとした。

 冷静に考えると、Sさんの話は特に怖いとは思えない。だが、このときは例の階段を見るのが嫌だった。もし、見知らぬ女性が階段を降りてきていたとしたら……とても恐ろしい気がする。

 このあと、Sさんと私は雑談をしてから別れたのだった。特に変わったことは起きなかった、と思う。



 以上が、私が個人的に一番恐ろしいと思った話である。

 これを読んだ皆さんはどう思っただろうか。おそらく、何が怖いのかわからないのではないだろうか。私自身、思い出しながら書けば、当時に恐怖を感じた理由がわかるかと思ったのだが、わからなかった。ちょっと不思議な話、という程度だろうか。Sさんが自分から話しておきながら、どこかおびえたような態度をしていたのが気にかかると言えば、気にかかるのだが。

 


 ただ、当時は恐ろしいと感じたのは本当である。

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