第11話 トイレで起こった怪現象

 トイレというのは、しばしばホラーで扱われる場所である。独りになる場所であることや、無防備であったり秘密めいた印象があったりすることが、恐怖と相性が良いのだろう。

 私が小学生であった頃にも、「トイレの花子さん」や「赤い紙、青い紙」といった怪談を聞いたことがあった。話を聞いたときは大して怖くはなかったが、その後で独りでトイレに行くと、何とも不安な気分になったものである。



 月日は流れて、私が社会人になって数年たった頃の話である。

 このときは、ビルの4階か5階にあるオフィスで働いていたように思う。ある日、会議や来客対応の連続で自分の仕事ができず、残業することが確定になった日があった。営業時間が終了すると、私はため息をつきながらトイレへと向かった。残業前に、済ませるものを済ませておこうというわけである。



 社会人になると、さすがにトイレの怪談に怯えるようなことはない。むしろ、1人になって落ち着くことができる安らぎのスペースですらある。そんなことを考えながら、私はトイレの個室で座っていたのだった。

 すると、カタカタという奇妙な音がすぐそばから聞こえてきた。不思議に思って音源の方へ目を向けると、金属製のトイレットペーパーホルダーが小刻みに振動しているのである。驚くとか恐怖よりも、何だこれ? という疑問で頭が一杯になった。

 観察してみると、ホルダーはごく簡単な作りのもので、ネジで壁に固定されている。種も仕掛けもない、というか仕込む余地もなさそうだ。

 しばらくすると、ホルダーは元のように静かになった。私は、ホルダーからトイレットペーパーを外したりして調べてみたが、特に異常はない。ごくありふれた金属製のトイレットペーパーホルダーでしかなかったのである。



 トイレから出た私は、疲れているのかな、と首をかしげながらオフィスに戻った。営業時間が終わったこともあってか、同僚の1人がテレビを見ている。その同僚は私の姿を見ると、近くにきて話しかけてきた。


「さっき、ニュースで地震があったって言ってたけど感じたか? 震源は遠いから、ここは大した震度じゃなかったみたいだけど」

「地震? 揺れは感じなかったけど……あっ」


 そこで私はさきほどの現象に思い当たった。私自身は揺れを感じなかったのだが、もしかするとあのトイレットペーパーホルダーは、地震の影響で動いていたのかもしれない。揺れを感じるような震度ではなかったらしいが、ここはビルの4階か5階だから揺れが大きくなって、その微細な振動がトイレットペーパーホルダーに伝わったとか。


「どうかしたのか?」

「……いや、なんでもない」


 私は思いついたことを同僚に話そうかと迷ったが、わざわざ語るほどでもないと思ったので口には出さなかった。神秘的な現象ならともかく、トイレットペーパーホルダーが勝手に震えたところで滑稽なだけである。



 残業が終わって帰る途中、例のトイレにもう一度行ってみた。トイレットペーパーホルダーに触れてみると、どうもネジの取り付けが少々甘いようで、軽くガタついている。

 大したことではなかったが、私は納得してアパートへと帰ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る