第6話 死体洗いのアルバイトは、どうやって発生したのか

 前のエピソードで「死体洗いのアルバイト」はあり得ないという友人の話を紹介した。



 しかしながら、ネットなどでは実在すると強く主張する人がいる。その根拠としては、体験談が生々しすぎる、実際に体験しないとわからないようなことが語られている、といったものだろうか。確かに、私が読んだものにも臨場感やリアルさを感じさせられるものもあったと思う。とはいえ、本当に死体を洗ったことなどないので、それらしく感じるということなのだが。



 そんなある日、ネットだか雑誌かで、この都市伝説に関する興味深い考察を読んだ。それによると「死体洗いのアルバイト」の元ネタは湯灌ゆかんではないか、と言われていた。湯灌とは、葬儀の前に遺体を清める作業のことである。これにヒントを得て、例の都市伝説を創作したのではないかということであった。湯灌を経験した人、あるいは経験した人から話を聞いたことがあれば、リアリティのある話を作ることができるのではないかということである。



 私は、この考察になるほどと思った。湯灌は日常では馴染のない言葉ではあるが、ある程度の年齢になって葬儀に参加していれば自然と耳にするものだ。名前は知らなくても、葬儀前に遺体をきれいにするというのはだいたいわかることだろう。

 だから、湯灌そのものを怪談にしても、普通に行われていることだからあまり怖くはない。それよりも、舞台設定を変えて、あるかどうかわからない都市伝説風に語った方が面白いだろう(すごく不謹慎なことを言ってしまっているが)。都市伝説というと、ほとんどは嘘だろうと思いつつも、ほんの少しでも、もしかしたらというリアリティを感じさせればいいのだ。怪しげなアルバイトという設定に、リアルな細部が加わって、この都市伝説は有名になったのかもしれない。

 本当のところはどうだかわからないが、とにかく私は納得したのだった。



 話は変わって、私が社会人になり、まだ若手と呼ばれていた時代の話である。

 月末だか年度末に飲み会があった。どこの会社でもよくある慰労会とか懇親会みたいなものである。その席で、私は「死体洗いのアルバイト」の話をした。会社の飲み会で、そんな話をするとか何を考えているのかと今になって思うが、酔っていたのかもしれない(酔っていたからだと思いたい)。

 ともかく、どうしてそんな話をしたのか忘れたが、少し離れた席に居た年配の重役が意外な反応を示した。


「君、それは大江健三郎だろう」


 私は、重役の口から出た日本文学の大物の名前に戸惑ってしまった。重役にこんな話を聞かれていたのもショックだが、怪しげな都市伝説と高名な作家に何の関係があるというのか。


「ふむ、君は本とか読まないのかね。大江健三郎の短編『死者の奢り』だよ、それ」

「あっ、言われてみれば……そうですね」


 私は文学小説をほとんど読んだことがない。だが、「死者の奢り」というタイトルには覚えがあった。過去にホラーかミステリーと勘違いして冒頭部分を読んだことがあるのだ。確か、これは大学生の主人公が解剖用の遺体の整理を手伝う話だったような。

 意外な指摘に感心していると、重役は満足したかのように酒を飲んだのだった。



 その後、図書館に立ち寄ったときに「死者の奢り」を読んでみた。

 死体洗いのアルバイトの話とは、少し異なったところもあるがよく似たシチュエーションである。しかも、さすがは高名な作家ということもあって濃密で哲学的ともいえる描写がされていた。ちなみに、出版されたのは1950年代である。例の都市伝説より、この小説の方が先のようだ。小説の内容が事実に基づくのかはわからない。リアルだとは感じたが、実力ある作家であれば、完全に創作で描くことができる気もする。

 ただ、この小説から例の都市伝説が作られたかというと、ちょっと違うような気がした。私の会社の重役のように、読んだことがある人ならすぐに気がついてしまうだろう。だが、読んだことはないけれど「死体を洗う」という内容やあらすじをぼんやり知っている人には影響を与えたかもしれない。どこかでそんな話をきいたことがあるな、というようにリアリティを補強する役目をした可能性はないだろうか。

 結局のところ、私は文学に詳しくないので関係があるのかはわからないのだが。



 とにかく、怪しげな都市伝説と、高名な作家の作品が変なところで結びついたものである。

 真相はわからないままだが、私としては面白かったので満足することができた。ところで、私は「死者の奢り」を全部は読んでいない。素晴らしい小説なのはわかるのだが、文学は難しいのである。

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