第3話 鹿対策に狼のおしっこを買った話
ある年の、5月末から6月になろうとする時期の話である。
私は、田んぼにやってくる鹿に悩まされていた。なぜ鹿が来るかというと、植えたばかりの稲の苗をかじるためである。もちろん柵などで対策をしているのだが、すさまじい跳躍力で侵入してくるのだ。柵をより高く補強すればいいのだが、梅雨が近くなって雨も多いし、仕事で忙しいのもあってなかなか実行に移せないでいた。
そんなある日、ホームセンターに行ったのだが、一緒に居た家族が何かを見つけた。それが、狼のおしっこだったのである。私は、そんな物が売っているなんて考えもしなかったのだが、農業用資材の害獣対策コーナーに自然な感じで置かれていた。
「これを使ったらいいんじゃないの? 狼だから、きっと鹿が怖がるよ」
家族はやたらと乗り気な様子で勧めてきたが、私は気が進まなかった。しぶしぶ説明書きを読むと、どうやら輸入品のようである(ニホンオオカミは絶滅しているから当たり前だが)。原産国はアメリカで、原材料はハイイロオオカミの尿100%だった。こんなに嫌な100%は初めてである。
しかも、値段が高かった。はっきり覚えていないのだが、100ミリリットルか200ミリリットルで2980円だったと思う。こんなものより同じぐらいの値段のワインが買いたい、と私は主張したが家族に聞き入れられなかった。
「高いってことは、きっと効果があるってことだよ」
家族は、狼の尿に謎の信頼を寄せている。だが、私は懐疑的であった。草食動物が捕食者のニオイを恐れるというのは、聞いたことがある。しかし、ここは日本であり、ニホンオオカミは既に絶滅しているのだ。狼を見たこともない鹿が、アメリカからやってきたハイイロオオカミの尿のニオイを恐れるのだろうか。いや、こういうのは経験ではなく本能的に恐れるものなのかもしれない。
「この店のポイントもたまってるし、試しにやってみればいいじゃない」
葛藤する私をよそに、家族は面白がって買わそうとする。私は反対していたが、少し前、鉄道会社が線路に侵入してくる鹿対策に、ライオンの糞をまいたというニュースを見たことを思い出した。きちんとした企業がやるぐらいだから、効くのかもしれない。
結局、家族の勧めもあって狼の尿を購入することになってしまったのであった。
家に帰ってパッケージを開封してみると、飲み薬を入れるような半透明の容器と、説明書の紙が1枚、あとはいくつかの小物が出てきた。非常にシンプルで、いかにも玄人向けっぽい感じである。ペラペラの説明書を読むと、狼の尿を小さな容器に分けて、それを適度な間隔をあけて柵などに吊るせば良いらしい。わかりやすい、というか単純とも言える。
さっそく作業に取りかかろうとしたが、家族は家の中で作業することに断固反対した。買うのには乗り気だったが、それとこれとは別のようだ。私は釈然としない思いをしながら、作業小屋に向かうことになった。
まず、ハイイロオオカミの尿のニオイを確認してみることにした。ものすごいニオイだと、作業小屋とはいえ困るからである。飲み薬のような容器の蓋をあけると、茶褐色の液体が入っていた。見た目には、何かの薬に見えなくもない。間違っても飲んではいけないが。
おそるおそるニオイを嗅いでみたが、思ったよりも強くはなかった。アンモニア臭というより、鉄臭いというか金属っぽいニオイである。もちろん、いい匂いではなく、鼻にツンと残る嫌な感じのニオイだった。強烈なニオイではないことに安心はしたが、果たしてこれが鹿に効くのかという疑問が浮かんでしまう。野生動物だから、鼻が敏感なのだろうか。
続いて、狼の尿を小さな容器に分ける作業にかかった。パッケージには、お寿司やお弁当についている醤油やソースを入れるような小型容器が同封されており、これに尿を入れていくのである。ありがたいことに、スポイトが付いていたので作業は楽に終わった。
しかし、醤油入れに入った茶褐色の液体を見ていると、どうにもやる気が起きないのであった。
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