第4話 一番好きだった人
理沙が派遣社員で入ってきた時、最初は、理沙も相沢に気づかなかったようだ、
相沢も、履歴書を見るだけでは、正直よくわかっていなかった。
というのも、
「履歴書の写真というと、なかなか影の問題などもあって、見えている顔が正直、自分の想像と違っていることがある」
ということである。
だから、履歴書の写真だけで、それが、理沙だということはすぐには分からなかった。もちろん、理沙も分かっていないようだった。
ただ、本来であれば、履歴書を見た時、名前でピンと来なければいけないはずなのに、相沢という男は、
「人の顔を覚えるのと、名前を覚えるのが苦手」
というのが、大きな理由であった。
特に相沢という男は、基本的に、営業の仕事をしたことがない。それは、自分で、
「人の顔を覚えるのが苦手だ」
と思っていたからであった。
だから、理沙の顔も正直忘れていた。
しかも、あれから、20年以上も経っているのである。覚えていないというのも当然で、だからこそ、履歴書だけで分かるはずのことはなかったのだ。
それでも、実際に対面すると、特徴が残っているせいか、すぐに分かった。
その日は、派遣会社の営業が、彼女を連れてきて、会社のロビーで対面したのだが、顔を覚えられないはずの相沢だったが、彼女の顔を見た瞬間に、ドキッとするほどに覚えていたのだった。
「相沢さん、彼女が藤本さんです」
といって、営業がいうと、理沙が、頭を深々と下げて、
「藤本と申します。よろしくお願いいたします」
と、低い声でそう言った。
20年前であっても、声の低さはあったと記憶しているが、さらに年月を重ねると、声が低くなっているのであった。
そして、担当の人が、
「こちらが、ここの担当をされている相沢さんです。藤本さんは、相沢さんの指示で働いてもらうことになります」
と、担当はいうのだった。
相沢は、
「相沢と申します。これから私の方で、まずは、お教えしていきますので、よろしくお願いいたします」
と挨拶をした。
相沢の会社は、基本的に、
「教育は、社員が行う」
ということになっている、
なぜなら、
「派遣社員が、もし、間違って覚えていた場合がまずいからだ」
ということである。
もう一人の派遣社員が、分かっていないということであれば、それは結局、もう一人に対しての教え方が間違っていたということであるので、それはそれで問題なのだが、
「被害は一人で済む」
ということで、言い方は悪いが、
「腐ったミカンの原理」
といってもいいだろう、
「伝染病であれば、水際対策で、一人だけを隔離してしまえば、とりあえず、それ以上増えることはない」
ということに似ているということであろう。
そういうことがあるからか、
「新人教育は、社員で行うということが当たり前」
ということであり、それが世間一般であるということも分かっていた。
ただ、仕事が若干きつくなるということもあるが、その一定期間だけのことなので、却って、新人が戦力になってくれると、
「こちらも楽になる」
ということであった。
そんな彼女が、相沢に気が付いたのは、研修期間10回のうちの、4回目くらいからだっただろうか。
というのは、彼女が、相沢の、
「癖のようなものに気づいた」
からであった。
「ひょっとして、相沢さんって、K大学に通っておられた?」
と聞いてきたので、
「ええ、そうですよ」
といって、
「やっと気づいたか?」
という感覚で、理沙を見た時で、理沙の方も、そのことに気づいたことで、余計に、お互いのことが気になったのであった。
理沙は、完全に
「懐かしい」
ということを強調していたが、相沢の方とすれば、もう少し複雑な気分であった。
それは、結局最後に会った、あの
「童貞喪失の日」
というものが頭の中にあったからであろう。
「童貞喪失」
というものが、どういうものだったのかということを、相沢は、正直意識していない。
というのも、
「相沢には、それから、4年後くらいに、どうしても結婚したいと思った女性が現れ、しかも、その時の混乱が、まわりに波及をおよぼし、結果、会社を首寸前にまで行ったことが頭に鮮明に残っていたからだ」
ということである。
しかし、少し不思議に思うのは、それくらいの時期の感覚が、
「時系列としては、曖昧で、どっちが、過去のことだったのかということが分からなくなるくらいになっていた」
ということだったのだ。
特に、大学時代に、卒業の問題を抱えていた時のことの方が、それ以降に起こったことを、
「凌駕している」
とばかりに感じているくらいだったからだ。
特に、
「大学卒業から、社会人になる」
という期間は、
「まるで、幼虫から、さなぎを経て、成虫になる」
というような、段階を追う中で、
「さなぎから、成虫に変わる時」
という感覚が強く、そんな時の卒業と就職で、かなり苦労したということで、余計にこの狭間というのは、自分にとって、意識が強いのも当たり前だというものだ。
社会人になってから、ちょうど1年目だったが、就職した会社では、
「半年の研修期間が過ぎて、正式採用ということになると、勤務地がさらに変わる可能性がある」
ということである。
それは、もちろん、会社の事情ということで、特に、
「支店の需要」
ということになるだろう。
「若手の新人営業がほしい」
というところもあるだろうから、それによって勤務地が変わるのだ。
その頃は、
「自分が、人の顔を覚えるのが苦手だ」
と考えていたことに気づいてはいたが、あまり深く考えていなかったこともあって、
「俺は営業をするんだ」
ということで、普通に、営業職を考えていた。
だから、研修が終えて、他の支店へ転勤になった時も、
「引っ越しは億劫だ」
とは思っていても、
「まあ、転勤は構わないか」
ということは普通に考えていたのだった。
実際にその支店に赴いてみると、そこに一人、気になる女の子がいた。
その子は、今でも、
「自分が今までに好きになった女の子で一番の女性だ」
と思うような子であった。
周りから見ると、
「相沢君は、彼女のことが好きみたいよ」
ということで、皆から、すぐにばれていたのだった。
特に、倉庫でのパートさんなどは、敏感なようだった。
特に、その支店が、結構な田舎の県の都心部というところだっただけに、
「一応、都会の様相を呈してはいるが、田舎の感覚は根深く残っているようで、よそ者を受け付けないという気持ちが深まっている」
ということであった。
だから、少しでも、都会の地方であったり、大都会と呼ばれるようなところから来た人であれば、皆、その目線は、
「上目遣い」
ではありながら、
「負けたくない」
という意識からなのだろうか、
「上から目線」
だったりするのであった。
そんなパートさんが、
「話題を欲しがっている」
というそんなところに飛び込んできたのが、
「相沢」
だったのだ。
その支店は、今までに結構曰くがあるようで、自分が配属になる数年前には、同じように都会から来た新入社員が、
「海に落ちた」
という事件があったという。
どういうことだったのかということまでは、ハッキリとは分からなかったのだが、とにかく、
「自殺ではない」
ということだけは確かだったという、
もっとも、
「自殺をしようとした」
ということであれば、もっと大きな騒ぎになっていたであろうし、そんなウワサは、もっと前に聞いていたであろうからである。
それを思うと、
「この支店は、曰くのある人が多い」
ということだった。
ただ、その先輩社員は、さすがにそれ以上いることができなかったということで、
「自主退社」
ということになったのだろうが、実際に、会社を辞めた理由は、
「他にもあったのではないか?」
という話もあったが、どこまでが本当なのか、信憑性がない。
その時、女子社員とウワサがあったということでもあったようだが、
「それなら、俺をたきつけるようなことはしないだろうにな」
と思ったが、ひょっとすると、
「この自殺未遂事件と、女子社員とは、まったく関係がないのかも知れない」
ということだが、ハッキリとした理由が分かったわけではなかった。
実際に、自殺をしようとしたのかどうかも曖昧で
「自殺だった」
とされたのは、
「遺書が残っていたから」
ということだが、そもそも、自殺をしようとしてできなかったことで、残ってしまった遺書であるわけで、本当に自殺をするつもりだったとすれば、
「あの文面は、中途半端だ」
という人のいたようだ。
「そんな変なやつが、この支店には、昔いてね」
と言われた。
そして、先輩からは、
「お前も似たようなものじゃないか?」
と言われたが、その根拠がどこにあるのか分からなかったことで、言い返すこともできない状態だったし、
「何が言いたいのかが、分からない」
と思うと、
「この支店は、変な人がいっぱいいるな」
と感じると、数年前に自殺未遂だったという人の気持ちも分からなくもないと感じたのだ。
「転勤は、会社の事情なので、しょうがない」
とは言われるが、その事情によって、
「最悪の支店」
と呼ばれるところに配属されるのであれば、それこそ、
「運が悪かった」
といって、片付けられるものではない。
それこそ、自殺未遂を起こしたのも、
「他の支店ではなかったはずだ」
ということになれば、支店のメンバーの誰か一人か、あるいは、
「集団でのリンチ」
というようなものだったりしなくもない。
ひょっとすると、
「この地区の人から見ると、イライラさせられるような言い方をしていたとすれば、このような田舎町では、寄ってたかって、一人を虐める」
ということもありえるのではないだろうか。
だから、
「最悪の支店」
という表現も、
「転勤してきた人間」
にとっての、
「最悪の支店」
ということになるのであろう。
そういう意味では、
「相沢にとって、この支店はどうなのだろう」
確かに、今でも一番好きだと思っていて。それまでには、ほとんどなかった、
「一目ぼれ」
というのをしたことがなかった本人が、ひとめぼれをしたのだから、それこそ、
「本当は、そこまでは思っていなかったのに、まわりがいうから、好きだったという認識が植え込まれている」
ということなのかも知れない。
自分が好きになった人として、どうしても感じるのは、
「理沙」
だった。
理沙のおかげで、
「童貞喪失」
ができたのだから、何といっても、理沙は、自分の好きになったというリストからは、絶対に外すことはできない。
しかし、それを半分忘れていたのは、この支店で知り合った彼女とのことがあったからで、確かに時系列が逆であったにも関わらず、理沙への意識が、かなり遠く感じられたのは、
「その間に、彼女という存在が、君臨しているからであろう」
ということであった。
だが、そうだとすれば、
「人に扇動されたくらいで、好きになるというような、中途半端な意識があったからではないか」
と思うからなのかも知れない。
それを思うと、
「どれだけその時の彼女とのことが、今思い返しても一番印象深いということになるのであろうか?」
ということであった。
彼女とは、それから、付き合うようになった。
まわりの人が、なぜ彼女を、相沢に押していたのかというと、そこには理由があったようだ。
その理由というのが、
「彼女は、昨年まで、この支店にいた他の男性と付き合っていたが、いろいろあって別れたのだ」
ということだった。
最初はその理由を知らなかったが、
「そんな曰くのある女性なんだ」
と思うと、さらに、気になってしまうのだった。
だから、彼女のことが気になってしまい、好きだと思うようになると、
「これは錯覚なんじゃないか?」
と最初に少しは感じたが、結局、
「まあ、いいか」
と感じるようになった。
そう思った瞬間、
「最初から、彼女は自分の理想の女だ」
と感じていたと、思うのだった。
相沢という男は、
「自分が誰かを好きになったから、好かれたい」
と思うわけではなく。
「相手が好きになってくれたことで、自分が好きになる」
というシチュエーションを大切にしたいと思う方だったのだ。
さらに、そういう考えがあるからか、
「相手に曰くがあるような女性」
ということであれば、どうしても気になってしまい、いつの間にか、
「好きになっている」
ということになるのだった。
そんな相沢に、彼女も惹かれていたようだ、
ただ、それは、
「去年までいた、付き合っていた男性と、比較をしているからなのかも知れない」
ということで、
「本当は好きでもないのかも知れない」
と思うと、彼女の方も、
「自分も、好かれたから、好きになる」
という方法が、自分に似合っていると考えたのだ。
理沙の時は、
「まだ大学生だった」
ということから、恋愛に関しての感情も、違う目線で見ているのかも知れないが、その目線が上からなのか、下からなのか、重要なことであろうか?
結局はどちらから見るかということよりも、目線の高さが問題であり、だから、焦点が合っていないということも言えるのではないだろうか?
それを考えると、
「大学生と、社会人との、恋愛と向き合う姿勢に、大きな違いというのがあるのだろうか?」
ということであった。
大学時代では、まだ、
「遊び」
という感覚があるが、社会人ともなると、今度は、
「結婚前提」
という話にもなる。
これは、大学生と社会人との違いということもあるが、
「年齢的にも、結婚を考える年」
ということであった。
今でこそ、
「結婚しない」
という人が多いが、当時は、
「結婚適齢期」
というものがあったのだ。
男性と女性で、結婚適齢期というのは違うだろうが、どうやら、彼女と前にいた人とは、ちょうどお互いに適齢期だったという。
特に、彼女の方が、その思いは強かったようだ。しかし、彼女の母親が、
「理由は何かハッキリと教えてはくれなかったが、反対していたのだ」
というのだ。
その証拠に、相沢を、彼女が母親に紹介した時は、それほど嫌な顔をするわけではなかった。
最初こそ、彼女が、
「会社の人」
と言った時、母親がまるで苦虫をかみ殺したような表情だと思ったのは、その思いが強かったからではないだろうか。
会社の人が、嫌というわけではなく、
「どんな理由は分からないが、その男のことが嫌だったのだ」
ということであろう。
母親は、相沢のことを、
「気に入っているかどうか」
ということは分からなかったが、少なくとも、
「嫌われている」
というわけではなかったようだ。
相沢の実家は、隣の県だったので、すぐに、彼女を紹介するというわけにはいかなかった。
しかし、
「親のことだから、簡単には反対しないだろう」
と思っていたが、少しその考えが甘かったようだ、
「彼女ができたら、すぐに言えよ。俺が見てやる」
と、父親は、ふざけながら、そういっていた。
だから、
「父親に反対されることは絶対にない」
と思ったのだが、その理由とすれば、
「俺の父親だからだ」
ときっぱりいうだろう。
それだけ父親と自分とは、
「考え方が一緒だ」
と思っていたのだ。
だが、実際には、なんだかんだ言って、
「彼女を連れていこう」
というと、
「今忙しい」
という理由を立てて、ごまかそうとするのだ。
いかにも、言い訳がましい」
と考えたことで、父親の言い分が分からなくなった。
言い訳がましい」
というよりも、
「聞く耳持たない」
と言った方がいいだろう。
要するに、彼女からすれば、
「前の時は、自分の母親から反対され、今度は、彼の父親から反対されている」
ということで、
「どうなっているんだ?」
ということになるのだった。
大学時代と違って、社会人ともなれば、
「付き合う女性というのは、ほとんどの場合によって、結婚を考えているものだ」
といえるだろう。
昭和の頃までは、子供が多い方がいいといっていたのだが、時代が変われば、違う意味で、子供がほしいと思う。
昭和では、戦争で減った労働力を増やすということであるが、今の時代であれば、
「少子高齢化のために、子供が必要」
ということで、大人になってからの負担を考えると、子供を増やして、しっかり育てらせるということだ。戦時中みたいな時代であれば、
「戦争で人がどんどん死んでいくので子供を増やす」
ということだったのだろう。
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