英語が前進しかできないクソゲーだった件について

第1話 And then there were none?

 In the corner of a first-class smoking carriage, Mr. Justice Wargrave, lately retired from the bench, puffed at a cigar and ran an interested eye through the political news in The Times.


「何言ってんだ、こいつ?」

 頭の中に響いてきた声に対し、僕は言った。

 反吐が出そうになるような声だった。

「さあ、何でしょうね。流石の御剣にもわかりかねます、佳都様」

 御剣が、飄々とした感じで言葉を返してくる。

「何もわからないのか、役に立たないな。御剣」

「――範囲には特定コーナー、の内のファーストクラスの車両。どうです? 佳都様」


「何がだ? 僕はエスパーじゃない。御剣のような人間の心が読めるわけないだろ。それはそうと、あの親父は誰だ?」

 妙なおっさんが、黙々と自分の周囲に煙を撒き散らかしている様子が見えた。

「ミスター」

 ポツリと御剣が言う。

「何だ、それは? いきなりミスターって、こんなところに長……」

「判事……ウォーグレイブ!」

 大袈裟に御剣が喚く。


「失礼ですよ、佳都様。あのような紳士を、そのような下品な言葉で表現されたら」

 呆れた吐息を出しながら、御剣がメイド服風の白いブラウスを軽く揺らす。

「何だと? 僕が何を言おうが勝手だろ」

 知能の低い猿に馬鹿にされたようで腹立たしい。


「最近退かれたんですって」

「何、いきなり? それってその……裁判官?」

「ええ、その通り。さすが佳都様です」

 なぜこいつがそんなことを知っているかは不明だが、相手が猿とはいえ褒められることは悪い気がしない。

「当たり前だろ、僕は名探偵なんだから、御剣の思惑なんて――ごほ、ごほ」

 急に喉の器官が締めつけられた。

「どうされました?」

 御剣が大して心配そうでもない声をかけてくる。


 主人が死にそうなくらい苦しんでいるのに薄情な奴だと思いながら、

「――吹かしてやがる。ほら、あそこ」

 僕は息も絶え絶えと言った。

「ええ、それに走らせてますね」

「走らせているって何を? 曖昧だな」

「ほら、あれです。興味あるのかな」

「ああ、あれね。目を通しているその――」

 あのおっさんが読んでいるものが何かわからなかったので、僕は言葉を途中で濁すことにした。脳筋女に揚げ足でも取られたら、今晩枕を高くして寝ることはできない。

「政治ニュースのようですね」

「何? 政治?」

 さすがに元判事だけあって、御剣とは読むものが違うようだ。

「範囲は?」

 御剣と違って、政治ニュースに造詣の深い僕はきいた。

「範囲? そんなの特定しなきゃ駄目なんですか?」

 御剣が怪訝そうな顔つきをする。

「当然だろ。だって、タイムスに書いてあるんだから」

 と悔しがる顔が見たくて、自慢げに言ってやったのだが、次の瞬間御剣は予想もしない言葉を吐く。

「あ、当たりです。よくわかりましたね」

「当たり? 当たりって、何が当たりなんだ?」

 検討もつかない。

 おかげで、逆にこっちが挙動不審になってしまった。


 He laid the paper down and glanced out of the window. They were running now through Somerset. He glanced at his watch—another two hours to go.


「おい、御剣」

「はい、またあの声ですね――あ、あの男の人。手を置いたってことは、その……」

「ああ、少し僕たちうるさかったかもね」

「……まだまだですね、佳都様」

 御剣が目を軽くにんまりさせる。

 この態度……いや、それよりこの台詞だ。猿にしてはやけに含みのある台詞だ。

「あ――」

 僕は自分が致命的なミスを犯したことに気がついた。

 男の手にしていたそれ。その新聞は下にあったのだ。

 ということは、次に男が取るアクションは決まっている。

 新聞を置いた男が絶対するその行動。それは、こちらを見ることではない。

 御剣が嘲笑するかのような顔で、僕を見つめてくる。

 やはり、この女はもう気がついているのだ。

 つまり、それは、このままでは僕の負けが決まってしまうということを意味している。

 ミスをカバーするため、急いで口をあける僕。

「そして――」

「そして、チラ見する」

 間に合わなかった。先を越されてしまった。

「そうだね、外だ」

 そう、数ある内でもその窓。新聞を置いた男の目が向かうのはそこしかない。


 They were running now through Somerset. He glanced at his watch—another two hours to go.


「まだだ。まだ僕は負けていないぞ」

 負け惜しみを言っている自分に対し、腑が煮えくり返りそうになる。

「仕方ないですね、佳都様」

 そう呟きながら、御剣はせせら笑う。

「うるさい、その名で呼ぶな」

「佳都様、素敵なお名前なのに。まったく、いつもいつも」

「僕のことは佳と呼べといつも言っているだろう。何回言ったらわかるんだ」

「えっと、ここで質問です。彼とこの電車が現在……」

 僕の台詞を無視して、御剣は話を進めようとする。

「向かっているのはどこでしょう? だろ」

 先を読んで御剣の質問を言ってやった。

 それにもかかわらず、

「違いますね。通っているのは、どこでしょう? です」

 御剣はスラスラと嘘を言う。

 いや、嘘かどうかは不明だが、途中で質問を変えたに決まっている。

「サムセットに決まっているだろう」

 再び男がチラ見を始める動作を眺めながら、僕は言った。

「良くわかりましたね。って、あれ?」

 御剣が彼女にしては少し動揺した声を出す。

 かと思うとすぐに、

「次は二時間」

 誰かの囁きが頭の中に響く。


 突然、時空が歪む。

「方向感覚がわからないです」

 宙に浮いたような格好になった御剣は、スカートをひらめかせながら言う。

「どこ行くんだ」

 僕も動揺の声を吐露した。

 ハーフパンツの裾の方から、竜巻のように風が入ってくる。


 男が捻れる空間の先へと歩いていくのが見えた。

 それに引っ張られるように、僕らの身体もそちらへと向かう。

 周囲へと目を移す。


 いつの間に乗っていた車両は消えていた。多数いたはずの乗客の姿もない。

 再び前方へと目を戻す。

 男の姿は消えていた。

 隣で浮かんでいたはずの御剣の姿もない。


 最後には僕の姿もなくなりそうだ。


 そして、誰もいなくなった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

英語が前進しかできないクソゲーだった件について @bjc

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る