第79話 エピローグ 9



    9



『いいよ』とは返事は貰った。

だが、登校時、「おはよう!」声をかけても、返事をくれない。

信夫が気を使って、洋二を話の輪の中に入れようすると、プイと廊下へ消えてしまう。

クラスの皆は藍が俗に言う〈天然キャラ〉だと思っていたから、ひと晩経てば、何もかも忘れているのだろうと思っていたが、彼女の本日の行動は教室の空気を重くしていたので、その影響力と根性に皆が驚いた、いや、怖がった。


「悪いよ、だって、オレは藍のことなんて、好きじゃあないからさ」


マズいことを云ったと洋二は心底後悔していた。

心の裏返し、とか、照れていた、とかを云おうとしても、そもそも聴いてもくれない。

その後悔には更に根深いものがあることを昨夜気づいたのだ。


―あんだけの美人、2人もフったんだ。この世界に君臨するくらい許されるだろう。


いや、こんなかっこいいことを独り言したのがなによりかっこう悪い。

そして、しばらくして、何故そんなことを云ったのかという己のイドに気づいて、更にかっこう悪くなり、後悔の念が増した。


【(前略)生殖能力はありません。(中略)すると性交に必要な能力はオミットされました】


安奈の時は咄嗟の対応に、自分でも直ぐに気づいたが、藍を拒否したのも結局コレが理由だ。

―オレは何をやっていたんだ。このデメリットを埋めるために、街中に結界を張り、兼崎たちと対峙したに過ぎなかった。

―安奈はあんな出産をしてしまい、人間をやめてしまった。

―だが実の父親をあすこまで追い詰めてしまった藍は、それでも普通に生活をしている。

―それは人間をやめることより努力を必要とし、その方が断然尊い。

―だから、決めた! オレは元の身体に戻ることを目的とする!

―そのために、〈同類〉と〈プロビデンス〉からその方法を聞き出す!

〈プロビデンス〉とはデカい目のついたデカい本、洋二を小型化し、現在の身体を与えた存在。あの存在は〈プロビデンス〉としか云いようがない。


下校時、そんな決心をした洋二に、つかつかと藍が寄って来て云った。

「ねえ、ごはんをおごってくれるのではないの?」

パッと表情が明るくなる洋二。

「あ、うん。勿論、おごるよ!」

そしてすぐさま立ち上がった。

とても驚いている。

対称的に、藍は未だ不機嫌そうだ。

教室を2人が揃って、後にする。

信夫が引き戸から顔を出し、洋二と藍が階段を下って行ったのを確認する。

「よし! 行ったぁ!」

信夫がクラスの皆に振り返り、そう云うと、クラス中の全員が拍手を始めた。

兼崎や寺田も拍手する。

その割れんばかりの拍手に気づき、隣のクラスの連中も拍手に混ざる。


洋二と藍は山手線に乗り換えていた。

元々、洋二は品川に借りたシェルター用の賃貸に内見に行く予定だった。

ずっとしかめっ面をしているかと思ったが、藍は車内で、案外楽しそうに料理の話を始めた。

昨夜調理したもの、今夜作ろうとしているもの、週末に作ろうとしている料理の話。

―そうか、帰宅したら、伯母さんと夕飯だよな。

洋二はよくよく考えてみると、待ち伏せして話しかけようとしたのが、先週の木曜で、今日は今週の木曜だから、これは案外上手くいった方なのではないか、と考えている。

いや、しかし、そこまで来るのに、そのたった一週間がムチャクチャだったけどね。

「ようちゃん、あの川のフシギから、同じ木曜だったんだね、今日は」


電車がホームに着くと、藍は初めて降りる駅ということもあってか、興奮してきた。

自動改札機を出ると、見知らぬ駅前の風景。

駅ビルにも、路地裏にも、隠れた名店が多そうな街だ。

どこまでも洋二に着いていく決心をしたが、彼は駅前のうどん屋の暖簾をくぐったのだった。

―あーーーーーーーーーー! 蟹カレーじゃあないかのか!?

これは勿論、藍の心の中の声である。

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