第78話 エピローグ 8



    8



中野ブロードウェイの地下にあるスーパーに寄り、藍は食材を購入した。

そして今キッチンで料理している。

類の帰宅はランダムなので、パスタにした。

ソースを作り、麺を茹でておけば、帰宅して麺を炒め、ソースをかければ直ぐに提供できる。

最初の日常の料理である。

凝り過ぎてもダメだし、手抜き感が出てもダメだ。

そこで藍はボロネーゼを作ることにした。

炒めたひき肉の香りが部屋に広がる。

そこにスマートフォンが鳴る。

ディスプレイを見ると昭から。

ハンズフリーで受ける。

「元気!?」

「ごめん、全然電話してなかったからだよね。元気さ」

昨日夕方頃に母親と昭を送り出して以来、メールのやり取りすらしていなかったのだ。

「昨夜は高いホテルに泊まったんだ。羨ましいだろう?」

「それは値段? 全長?」

2人して笑い合ったのだが、やはり寒々しさが漂う。

「父さん、今朝は普通に会社行ったよ」

その雰囲気を配慮した昭が切り出した。

「そう。なんか言っていた?」

「なんにも言ってなかった。姉ちゃんのことも、謝罪もナシ。でも少しお酒の匂いがしたので、吞んでいたのだろうね」

「ふーん。そっか」

酩酊状態の時に自分のコンプレックスを洗いざらい、毎回、娘に話していたことを父親は気付かなかったことを藍は思い出していたのだ。

「いつかは戻ってくるんだろう?」

「いや、私が泥かぶらないといけないんだ」

スマートフォンの画面に到着音が鳴り、メールが映し出された。

『さっきはごめんよ。明日、なにか食べ物をおごらせてもらえないか』

洋二である。

「メール? 例の父さんの件で動いてくれた人?」

「そう」

「カレシ?」

「いやー、ついさっきフラれたから」

「でもメールしてきたんだろう」

「うん。謝罪とご飯おごらさせてくれというお願いがきた」

「それは姉ちゃんのことを理解してるな」

又メールの到着音がする。

『頼む! 麻井さん! 鮎川の謝罪を認めてやって! じゃないと、オレの立場がない!』

信夫からだ。

藍は、あの洋二が女のことを友達に相談していたと思うと少しおかしかった。

「姉ちゃん、なんか、嬉しそうだね」

「あ、声だして笑っていた? 気付かなかった」

「最初の質問、ちゃんと元気だと判ってよかったよ」

「環境が変わるとそれについていくだけで、タイヘン。むしろ昭に押し付けるカタチになって申し訳なく思っているよ」

「そんなことは思わなくていい。伯母さんの家の家事に、アルバイト、受験勉強」

「あとユーチューバーな」

「えっ!? マジ?」

「そういう話が出ているのはマジ」

「まぁ、ともかく、そんなことに邁進してくれよ。振り返らずに」

「判っているけどね」

「でも、って」

「うん、人としてやってはいけないことをしちゃったんだから、いい気分はしない。多分一生晴れない」

昭は話がトートロジーに陥っていることに気づいた。

次に自分が代わるべきだった、と云うしかないのだが、それでは堂々巡りにしかならない。

あの頭のいい姉が、話を聴いて欲しい女の典型的なパターンをなぞっているので、昭は姉の、実は、混乱している胸の内を知るようだった。

「姉ちゃん、僕たちは確かに、今度の件で、父さんを苦しめ、失うかもしれない。でも、代わりにそれと匹敵する、いや、それ以上のものを手に入れたのかもしれないよ」

「何?」

「お兄ちゃんだ、そのひと、ずっと兄が欲しかった姉ちゃんの兄貴なんだよ」

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