第9話 転落と吸収と突進 9



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そのナイフは束の部分を川に浸していた。

抜き身に血は付着していない。

後に洋二が調べて判明するがボーウィーナイフという種類だ。

ネットで調べて、いかにも素人がネットで調べて購入したような武器だな、と彼は思ったものだ。

本当にあった物だということ、すると本当にあった事だと納得しなければならない、と悟った後の反応は速かった。

未使用のノートを1冊と黒のガムテームを鞄から取り出した洋二は、折ったノートでナイフを挟み、それをガムテープでぐるぐる巻きにし、鞄の中に締まった。

昭和の探偵小説にルミノール反応を調べ方が書いてあったような気がするが、反応が出たとしても、それがなんだというのか。

洋二はミステリ好きでありながら、妙なリアリストで、凝った密室殺人ものを読んでも、確かにその方法とその解明は素晴らしいが、証拠を押さえて、犯人掴まえて、自白を強要せぬくらいの尋問にかければ、プロならなんとかなると思っている。

それに血液付着の有無を調べても、道路の血痕を追っても、犯人には辿り着かない。

被害者は今、ナイフを手にする洋二なのだから。

彼が今すべきはナイフを保管して、来るべき時に証拠にすることだ。

それと、洋二には未だやるべきことがあった。

先程、この崖のような用水路の壁を約六メートルを洋二は歩くように登った。

古本屋をまわるうちに岩波文庫の緑背で、この国には昔、山岳文学というジャンルがあることを知った。

ミステリという頭を使う小説を読む合間に、そんな随筆を読むのが洋二は好きになった。

だがインドアだから、実際の登山はしたことがない。

耳学問でしかないが、常人にそんな崖の登り方はあり得ないくらいは理解できる。

―火事場のクソ力的なものか、いや、まずはやるべきだ。

実際にやってみたが、身体が拒否して、直ぐに後ずさりしてしまう。

次には壁に弾かれる前提でほぼ直角を走ったが、背中から落ちた。

1メートルも上がらない。

だが、この二度の試しをしている最中、脳内で、ブーンというような音が、脳内で聴こえたような気がした。

―あの時はできたのだから、あの時のことを思い出そう。

精神統一、念力集中。

すると、洋二の脳内に藍を助けるためにためらいなく、この用水路の壁を歩いたヴィジョンがBlu-rayばりに浮かんだ。

ちょっと信じられないくらいの鮮明度で、洋二はビビった。

まさか、と思い脳内で巻き戻しをすると、できた。

―プロの野球選手が、デカいヒットを飛ばしたりする過去を鮮明に筋肉の動き込みで、憶えているのと同じ作用、か。

そう思ったら、細部を意識できて、そのBlu-rayに併せて、身体を動かしたら、なんなく、できた。

着いて直ぐに感動している間もなく、さっきはこの一メート少しはある柵をまたがず、手を支点にもせず、飛び越えたことを思い出した。

そのまま、脳内のBlu-rayは再生を始め、その動きに身体を合わすと助走もなく、文字通り跳べた。

柵を飛び越えた洋二は、このテンションのまま直ぐに試した。

柵をまた飛び越え、地面に見事着地し、直ぐまた用水路の壁の柵の約六メートルを飛び越え、地面に戻る。

Blu-rayをノンリニア編集する要領で、これからの動作を設定し、果たして、そのような一連の動作を可能にした。

洋二はこれで確かめるべき二つの目的を果たした。

だが嬉しいより、空恐ろしかった。

彼が今やることは家路につくことしかなかった。

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