第8話 転落と吸収と突進 8



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身体を早く調べたかったが、洋二には未だやることがあった。

それにはまず、通学で使われるこちら側の道より、ほぼ同じ学校の生徒が使わない対岸へ、橋で移動する必要があった。

これは一人で確かめたかった。

―もしあのおばさんに本当にナイフで刺されたならば、いや、万に一つ刺されてないとしても、ナイフのあの存在感は本当ものだったし、それはつい10分前のことだから間違えようがない。

つまり、用水路地面の、あの場所にナイフはあるハズである。

―あのおばさんの慌てようだと既に戻ってナイフを回収していることはあり得ない。それでもあのナイフこそ麻井さん襲撃の唯一の証拠だ。見つけなければ。

だが見つけたとなると、自分がそのナイフで刺されたことも半分くらいは認めなければならならない。気の重い作業だ。

橋を渡り切ると、用水路に連なる柵に足をかける。

―やや!やっぱり高いな、七メートルはあるか。

そう思い、足を戻した。

―こんな高いトコに両足でなくて、背中だか正面だかを地面に叩きつけられるとか、それで無傷ならば、やはり奇跡だろう。

確か、鉄柵は乗り越えなければならないが、下に続く階段がもうちょっと先にあったハズだと洋二は思い出した。

だが同時に、妙な気分に由来する、妙な自信が彼を捉えていた。

―小三の時に、友達たちとの意地の張り合いで、校舎の二階から飛び降りて、足はしびれたけど、無傷だった。そう、無傷。あの時におばさんにナイフで刺されて、離れるための反動でこの高さから落ちたけど無事だった。おれ、いけるんじゃないか!?

洋二は又足を柵にかけた。

うまい具合に誰もいない。

ヘリは少し。

下は、石でも、川でもない、柔らかそうな芝生で、着地点には申し分ない。

洋二は跳んだ。

それは落下するというより、跳躍だった。

あの縁は飛び込み台として然るべき面積ではなかったし、ジャンプのための訓練を洋二は受けたことがなかった。

だが着地した瞬間に洋二にも判った。

股関節と足首がしなやかに動き、重力による衝撃を見事に四散させた。

そこだけ筋肉がチューニングされたかのようだった。

―あの襲撃を受けた時に、おれの身体に何かが起きたのではないか。チベットの高僧しか開かない9番目のチャクラが啓いた、とか、宇宙人にアブダクションされて宇宙戦争に参加するための戦士に改造された、とか。

洋二の読書傾向は、ミステリ一辺倒で、父親が子どもの頃に、ホームズとルパンと少年探偵団をやたら与えたことからの素養がある。

父親にしてやられたと後年気づくのだが、父親の書棚には創元推理文庫、ハヤカワのポケミス、講談社ノベルス、幻影城の本誌・増刊・別冊と揃っていて、ああ、おとうさんは一人息子を同好の士に育てたかったのだな、と。

90年代までの有名作は揃っており、以降のものが極端に少ないのを指摘すると、「おまえの子育てと仕事でほとんど読めなくなった」と語った。

何故か、自分が継がねばと思い、渋谷の青山ブックセンターや池袋のジュンク堂、新宿の紀伊国屋書店で現在のミステリシーンを追いかけ、家が中央線沿線にあることから、幻の名作を探して古本屋を学校の帰りにひやかした。

つまり、ロジックの徒なんだが、ミステリを読むとSFとホラーに派生し、同時にオカルトや神秘思想にも足を突っ込むことになる。

それらは論理から遠いのだが、中高生にはたまらない魅力もあった。

基本は論理を重んじるが、イカモノにも耐性はあったのだ。

そういう洋二だから、学校では反主流で、おたくにカテゴライズされたが、高身長と読書量で、妙に一目は置かれた。

おとうさんもおかあさんと結婚できたのだから、そのうちカノジョくらいできるであろうと、思っていたのだが、どうもなんとなくできるものではないと悟ったのがつい最近のことで、そのきっかけが藍だった。

趣味が同じとかではどうにもならないと気付いて、慣れぬ努力の必要性を感じて始めたのだ。

話は戻るが、超常現象は信じない洋二だが、用水路を歩いて、あの現場まで戻った時に、チャクラや宇宙人を信じなければならないという必要性を感じたのは彼にはショックだった。

ナイフを見つけたのだ。

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