第7話 転落と吸収と突進 7



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「鮎川くん、病院行ってよね」

「うん、まぁ、その方がいいよね」

藍には自分の見間違いという想いが強く・濃くなっていた。

ただでさえ、いきなり同性からナイフを使って襲撃を受け、その結果、自分は助かったが、同級生の男の子が負傷して、川に落ちた。

川に落ちた中途で木にでもぶら下がっていたのかもしれない、と思い始めていた。

―では、あのナイフに刺された傷は?

藍も洋二もそう思っていた。

ナイフには刺されておらず、でも犯人のなんらかの力で用水路の下に落下したため、その中間である〈なんらかの力〉を補完するために捏造した、偽物の記憶がアレかもしれない、と洋二は思い始めていた。

洋二は当事者である。

火かき棒をねじ込まれたような記憶は鮮明に残っている。

その焼けるような痛みで、その後の落下とそれに伴う更に腹に刺さったナイフという二つの痛みは、例え、オカルトチックな〈本の目〉が現れようと、二つの痛みが死ぬ程痛かったことに変わりない。

気のせいだった、とか、夢でも見ていた、とかは考えられない。

だが、事実、傷も痕もないのだ。

これを洋二はラッキー!とか思わなかった。

ただただ気味が悪かった。

そんな彼の気分を打ち消すように、近所の年配の人々が歩いてくる。

そのうちのおばあさん一人は犬をつれていた。

皆が藍に手を振ったり、声をかけたりしていて、既知なのだろう、藍もそれに朝の挨拶で答える。

見ると、洋二と藍と同じ制服の高校生がちらほら歩いてくる。

二人が乗った次の電車で運ばれてきた生徒たちのようだ。

―!?

その時、洋二は藍を遠ざけようと考えていた。

「麻井さん、ぼくは病院行ってくるよ」

「私さ、先生に言っておこうか」

「何て言うの?」

「そりゃ、通学中に具合が悪くなった、でいいんじゃない?」

「何でこんな朝早くに登校していたんだって話になるから、一度帰宅して自分んちから電話するよ」

「あ! 何で、こんなに早く登校しているの?」

「あ! でもさ、ぼくが早く登校してきたよかったでしょう」

藍は少しびっくりした表情をした後に、微笑して、洋二もそのように笑った。

―足元にある、この靴で踏んでいるものされ見つけなければな。

それはアスファルトににじんだ血痕。

おじいさんやおばあさんは歩みが遅く、未だ数メートル先を歩いている。

登校する生徒たちに混じり、近所の通勤する人々も徒歩や自転車で通学している。

もう、麻井さんは大丈夫だ、と洋二は思った。

単身女性だけで、あえて人気のない時間に襲撃するとは九分九厘、背後関係がない示唆だ。

しかもこの捨て鉢のような計画とみっともない逃走の仕方はそもそも後先を考えていないもので、計画性はあるが、自爆テロの発想に近い。

―麻井さんの日常や生活はよく知らないが、待ち伏せて殺す動機があるものなんて、そうそういるもんじゃない。

少し探せば、案外直ぐ辿り着く犯人かもしれない。

困ったことに、ナイフも洋二の身体の傷も消えている、ということは警察に届けても、愉快犯の頭のおかしい女にからかわれた高校生カップルの戯言に受け取られるのがオチであろう。

―でも。

「麻井さん、警察、いや、せめて小林先生には言いなよ。通学中にヘンなおばさんに絡まれたってさ」

小林先生は洋二と藍のクラスの担任だ。

「小林先生は親身になって聴いてはくれるだろうけど、辻褄会わなくなりそうだし、それに何にもできないよ」

「だろうけど、又何かあった時の履歴にはなると思うんだ。もしもの時のために、このまま風化させたらやっぱりヤバいよ」

「そっか、鮎川くん、頭回るね! 判った。遠目から明らかに見られていた、と性別告げないで、それだけ言うよ」

もしも更にこの事件が広がるか、長引く時に、そのことを担任教師に言っておけば、あの日のあの時刻にあの電柱にいた女性の目撃証言を取るために警察は動いてくれるだろう。

―だが、そんなこのはさせない。あれだけの痛みを与えてくれたんだ! アイツは絶対にオレが追い詰める!この血痕が夢でなかった証拠だ!

「鮎川くん」

「じゃあ、今日はおとなしくしているよ」

「あのさ、助けてくれてありがとう」

「?」

「鮎川くんが、命がけで助けてくれたというこの記憶はウソじゃないと思うから、感謝の気持ちを伝えているんだ」

「そっか、麻井さんは、義理堅いね! 又学校で会おう!」

洋二の後ろ姿を数メートル、藍は見送ってから学校へと向かった。

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