第150話 取り返しのつかない悲劇

「どうしたの? ジリアンたちは?」

「いけません。ウェンディー様。絶対にお顔を出さないで下さい」


 馬車のほろ隙間すきまから顔を出して外の様子を見守っていた小姓こしょうが振り返り、恐怖に顔を引きつらせてそう言った。

 馬車の周囲を奇妙な集団が取り囲んでいる。

 そしてジリアンとリビーは銀髪の女と対峙たいじしていた。

 小姓こしょうはそれが王国軍のチェルシー将軍なのではないかと戦慄せんりつを覚える。

 クローディアによく似たその女がチェルシー将軍であれば、状況は絶望的だった。


「ジリアンたちは? どうなったの?」


 不思議ふしぎそうにそうたずねるウェンディーのとなりでは、状況の深刻さを悟ったヴァージルが青ざめている。

 小姓こしょう2人と御者の男は護身用に持っている短刀を抜いた。

 そんなものでヴァージルとウェンディーを守れるはずもないと分かっていても、あきらめるわけにはいかなかった。


「敵に……王国軍の部隊に囲まれています。もし我らが倒れたら、お2人は絶対に抵抗しないで下さい。敵は絶対にお2人を傷つけないと思いますので」


 そう言って肩を小刻みに震わせる小姓こしょうの言葉と表情に、ヴァージルもウェンディーも息を飲むのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


「ヴァージルとウェンディーは無事にバラーディオに到着する頃かしら」


 共和国首都。

 大統領官邸の執務室で午後の仕事の合間に休息を取るイライアスに、妻のクローディアはつぶやくそうにそう言った。

 窓の外を見つめる彼女の顔はいつになく不安そうだ。

 

 ダニアの銀の女王として幾多いくたの戦場に立ってきたクローディアも、1人の母親である。

 我が子の身を案じる母の不安はいつの世も尽きないものだった。

 イライアスは妻のそばに寄り添うとその肩をそっと抱き、優しい口調でなぐさめる。


「ジリアンとリビーが付いているのだから大丈夫だよ。あの2人なら必ず子供たちを守ってくれる」

「……そうね」


 クローディアはそう言って夫に気丈な笑みを見せると、再び窓の外を見つめる。

 ジリアンとリビー。

 2人は先の大戦以降、自分の側近としてずっと支えてきてくれた。

 クローディアは子供たちの身を案じると同時に、2人の無事をいのるのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 ジリアンとリビーは剣の切っ先をチェルシーに向けて全神経を集中させる。

 百戦錬磨ひゃくせんれんまの2人だが、チェルシーは間違いなく自分たちよりもはるかに格上だ。

 2人で息を合わせ、共に立ち向かわなければ、たちまち殺されてしまうだろう。

 ジリアンもリビーもこれまで経験したどの戦いよりも緊張感と集中力を持って戦いにのぞんでいた。


 だが……目の前にいる銀髪の若き将軍はそんな2人の想像を大きく超えた。

 ほんのまたたきをした次の瞬間、2人の剣は大きく頭上に弾かれる。

 そしてこちらが構え直すひまもなく、チェルシーの突き出した剣の切っ先がリビーの右肩を深々と貫いた。

 

「ぐあああああっ!」

「リビー!」


 同時にチェルシーはジリアンの胸をり飛ばす。

 そのとてつもない脚力によるりを帯びて、ジリアンは後方に大きく飛ばされた。


「うぐっ!」


 ジリアンが地面に転がるのを見届けると、チェルシーはリビーの肩から剣を引き抜き、血ぶりをくれる。

 リビーは右腕をダラリと力なくらしながらも、左手で握った剣を構えた。

 その顔は激痛にゆがみ、玉のような汗をひたいに浮かべながら、それでも戦意を失わないリビーに、チェルシーは冷たい表情のまま称賛しょうさんを送る。


「あななたちが一流の戦士だということは一目で分かったわ。だからワタシも最初から本気を出したの。ダニアの戦士リビー。その名とその顔は覚えておくわ」

「ワ、ワタシは……負けねええええ!」


 リビーは鬼の形相ぎょうそうで剣をチェルシーの首目掛けて突き出す。

 だがチェルシーはあっさりとこれを剣で弾き、返す刃で……リビーの首を斬り裂いた。

 深く斬り裂かれた首すじから多量の血があふれ出し、リビーは目を見開いたまま地面に倒れ込む。

 その体は小刻みに痙攣けいれんし、震えるくちびるから言葉がれた。


「ク、クローディア……申し訳……あり……」


 リビーの目から光が失われ、彼女はそこで……事切れた。

 チェルシーにり飛ばされたジリアンは痛みも忘れて立ち上がり、血まみれになって地面に倒れた相棒の名を呼ぶ。


「リ……リビィィィィー!」


 ジリアンの悲痛な叫び声を聞いたチェルシーの顔がわずかにゆがむ。

 だが彼女はすぐに冷徹れいてつな表情を取り戻し、リビーの血にれた剣をジリアンに向けた。

 ジリアンはくちびるをワナワナと震わせ、チェルシーをにらみつける。


「よくも……よくもぉぉぉぉぉ!」


 突然の死は戦場に立つ者の宿命だ。

 ジリアンとて幾度も仲間の死を乗り越えて来た。

 だが……リビーは死線を何度も共にくぐり抜けた一番の戦友であり、かけがえのない相棒だった。

 その相棒の死という悲痛な現実に、ジリアンの腹の底からどうにもならない怒りがき上がってくる。

 だが、そんな怒りに冷や水を浴びせるようにチェルシーは冷然と言い放った。


「あなたが生きても死んでもヴァージルとウェンディーがこちらの手に下る運命はもう変えられないわ。それでも誇りある死を選ぶなら……我が剣できなさい。ダニアの戦士ジリアン」


 チェルシーの言葉にジリアンは大きく息を吐き、怒りに震える手で剣の柄を強く握ると、声をしぼり出す。


「チェルシー……あなたは間違っている。いつかそうして重ねた過ちにあなた自身が押しつぶされる時が来ます。必ず」

「言いたいことはそれだけかしら。それならこれでもう終わりよ」


 そう言うとチェルシーは刃をひるがえす。

 ジリアンも決死の覚悟を込めて剣を構えた。

 たがいに地面をって猛然と相手に向かっていく。


「はああああああっ!」

「ぬああああああっ!」


 2人の女の咆哮ほうこうと2本の剣が風を切る音が響き渡った。

 チェルシーもジリアンもたがいに交差し、背中合わせになるような格好で動きを止める。

 ジリアンはうめくように声をしぼり出した。


「いつか……必ず誰かがあなたの間違いを……正します。必ず……」


 そう言ったジリアンの首から多量の鮮血が噴き出した。

 彼女の刃はチェルシーをとらえることはなかった。

 逆にチェルシーの刃によってジリアンの首は深々と斬り裂かれている。


「ク……ローディア……どうか……幸せ……に」

 

 かすれた声でそう言うと、ジリアンは地面に仰向あおむけに倒れた。

 彼女の首からあふれ出る多量の血が、地面を赤く染めていく。

 ジリアンがその生涯しょうがいで最後に見たのは……雲一つなく晴れ渡った午後の空だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る