第143話 監視の目

 疎開先であるパストラ村から息子のヴァージルと娘のウェンディーが移動を開始した翌日、共和国の首都では大統領であるイライアスの部屋に2人の女性が報告に訪れていた。

 2人は共に灰色の髪をしており、顔や背格好はうり二つの双子姉妹だ。


「大統領。パストラ村から鳩便はとびんが届きました。伝染病の疑いが報告されております。ヴァージル様とウェンディー様は2人とも症状は見られずご無事ですが、第2拠点である港町バラーディオへ移動を開始されました」


 イライアス大統領の秘書官を務めている双子の姉妹、エミリーとエミリア。

 イライアスの腹違いの妹である2人は常に兄を支え、兄の政治活動が少しでも円滑に進むように日々、心を砕いている。

 その2人からの報告を受けたイライアスは、その顔に苦悩の色をにじませながら静かにうなづいた。


「パストラは子供たちには良い環境だったのだが……残念だ」

義姉ねえ様にはすぐにお伝えしたほうがよろしいでしょうか」

「いや、クローディアは軍務の最中だ。終えてからのほうがいいだろう」

 

 イライアスはそう言うと執務用の椅子いすに深く腰をかけた。

 彼の妻のクローディアは共和国軍の軍事訓練に参加している。

 31歳となった今も彼女の強さは健在であり、共和国の屈強な戦士たちの誰1人としてかなう者はいない。

 そんな彼女に武術訓練を受けたいと願う者は後を絶たなかった。


 特に今は隣国が深刻な侵略を受けている戦時中であり、共和国にもいつ火の粉が飛んでくるか分からぬ不穏ふおんな情勢だ。

 軍事訓練は緊張感を帯びて白熱していた。

 クローディアも連日の求めに応じて、兵士たちに稽古けいこをつけていた。

 そんな日々にエミリーもエミリアも胸を痛めていた。

 彼女たちにとってクローディアは義姉であり、また親しい友でもある。


「大統領……いえ、兄上。義姉ねえ様がまた戦に出るようなことになってしまうのですか?」

「出来れば義姉ねえ様には心穏やかに過ごしていただきたいです」


 妹たちが妻を思ってくれることに感謝を覚えつつ、イライアスはそれでも厳しい表情をくずさずに言った。


「そうもいかんさ。彼女は私の妻であると同時に、ダニアの銀の女王でもある。戦いから離れることの出来ない立場なんだ。2人とも。分かってくれ」


 イライアスも不安は感じる。

 出来れば妻には安全なところにいてほしい。

 だが、彼女は戦士として誇りを持っている。

 だからイライアスも夫として彼女の誇りを信じ、送り出すのだ。 

 覚悟を決めなければならない時が来ないことをいのりつつ、イライアスは子供たちのために最善を尽くさねばならない。


「第2拠点であるバラーディオはパストラに比べれば騒がしいが、その分、警護を厚くしても不自然ではない。きっと同胞やダニアの仲間たちが子供たちを守ってくれる」


 イライアスの力強い言葉にエミリーとエミリアも不安を押し殺してうなづく。


「ところで王国からはまだ通達は来ていないか?」


 イライアスの問いに双子は首を横に振る。

 イライアスがここのところ気をんでいることの一つがそれだった。

 エミルが姿を消し、おそらく誘拐ゆうかいされたのだろうという話はイライアスにも伝わってきている。


 今はアーシュラを隊長にし、プリシラも加わった捜索そうさく隊がエミルの行方ゆくえを追っていた。

 しかし本当に王国がエミルを誘拐ゆうかいしたのならば、必ずイライアスの元にはそれを知らせる書簡が届けられたり使者が訪れるはずだ。

 エミルを人質に共和国と交渉するために。

 だがエミルが姿を消してから2日が経過したというのに、王国からはいまだに何の音沙汰おとさたもない。


「ブリジットの元にも何も届いていないそうです」


 この共和国首都とダニアの都はそれほど離れておらず、鳩便はとびんを用いて頻繁ひんぱんにやり取りを行っていた。


「一体何を考えているんだ。ジャイルズ王は。そもそもエミルは本当に王国に連れ去られているのかも分からん」


 イライアスにとってエミルは弟であるボルドの子だ。

 おいとしてかわいがってきた。

 その身を案じると共に、同じ親として子を連れ去られた弟夫婦の胸中を思うと胸が痛んだ。


「エミル……無事でいてくれ」


 イライアスは神にいのる気持ちでおいの幼い顔を思い浮かべるのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 一台の馬車が街道をひた走る。

 そこはこの共和国内でも比較的大きな通りで、数分に一度は他の馬車とすれ違うし、それ以外の馬移動や徒歩移動の者の姿も絶えない。

 しかし赤毛の女が御者の男と並んで座るこの馬車に、この国の大統領の息子と娘が乗っているとは誰も思わないだろう。


 パストラ村を出たダニアの女戦士ジリアンとリビーは、ヴァージルとウェンディーを乗せた馬車を南に向けて走らせていた。

 目指すは共和国南岸の港町であるバラーディオだ。

 彼女らは比較的人通りの多い主要街道を選んで南進していた。


 人目の多い場所のほうが賊などに襲われにくいというのもあるが、もう一つ大きな理由があった。

 イライアスとクローディアは今、この共和国の各地に色々な『目』を潜ませている。

 監視役の目を国内に張り巡らせることで、国内の異変をいち早く政府に伝達することが目的だった。


 今も街道を行き交う者の中に、そうした『目』の役目の者たちがいて、馬車をちらりと見るや、かぶっている帽子ぼうしのツバに手をやった。

 それを見た馬車の御者も同じようにかぶっている帽子ぼうしのツバに手をやる。

 こうしてヴァージルやウェンディーの移動は政府の手の者たちに見守られているのだ。


(バラーディオまでは問題なさそうだな)


 御者台に座るジリアンは油断なく周囲に目を配りながら、内心でそう安堵あんどした。

 荷台にいる子供たちにはリビーと小姓こしょうらがついている。

 これから港町での暮らしになるが、そこに着いてからの護衛はまたパストラでのノンビリとした任務とは一変したものになるだろう。


 ジリアンはあらためて気を引き締めた。

 しかし彼女は気付いていなかった。

 街道を行き交う者たちの中には、政府以外の『目』もあったことに。


☆☆☆☆☆☆


 男は馬の手綱たづなを引きながらノンビリと街道を歩いていた。

 馬の背に乗せているのは羊毛のたばだ。

 小売りの行商人といった姿のその男は、チラリと街道の後方に目を向けた。

 彼が見ているのは、赤毛の女が御者台に乗った一台の馬車だ。


 それからその男はきびすを返し、前方から歩いてきた1人の女と目を合わせる。

 女は旅芸人の一団の最前列を歩いていた。

 男と女はすれ違う瞬間、互いに目配せをして小さくうなづき合うのだった。

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