第144話 それぞれの焦り

「隊長。もう少し速度を上げられませんか?」


 プリシラは荷代から御者台のアーシュラにそう声をかけた。

 エミル捜索そうさく隊はその名にかんするエミルの行方ゆくえを追跡しているが、今まさに走り続けている道を昨夜、エミルを乗せた馬車が走っていたというのだ。

 プリシラのあせる気持ちはアーシュラにもよく分かった。

 エミルの背中が見えているような状況なのだ。


 だが追跡はそう簡単ではない。

 15分走るごとに止まり、追跡相手のわだちを確認しなければならないのだ。

 雨でも降らない限り、馬車のわだちは簡単には消えないが、ここを走る馬車は他にもあり、地面に刻まれたわだちは入り乱れている。

 色々なわだちの中から本命のそれを見失わないように確認しながら進まなければ、気付いたらまったく見当違いの場所を走ってしまっていた、などということもあるのだ。

 そうなったら目も当てられない。


「プリシラ。気持ちは分かりますが落ち着きなさい。1時間後にすぐにエミル様を救おうとあせって行動するのではなく、数日後に確実にエミル様を救うことが大事なのです」


 プリシラがあせれば、そのあせりは他の者たちにも伝染する。

 集団行動とはそういうものだ。


「……はい。すみません。隊長」


 プリシラは拳を握りしめ、くちびるんで項垂うなだれた。

 アーシュラは再び前を向くと御者台に座ったまま前方をじっと見つめる。

 目だけでなく、彼女の黒髪術者ダークネスとしての感覚を用いてエミルの意思の残滓ざんしを追い続けていた。


(エミル様……かなり力が弱まっている。何かあったんだ)


 エミルはアーシュラから見ても父親のボルドを超える強烈な力の持ち主だった。

 ゆえにアーシュラはエミルの捜索そうさくはそれほど難航しないだろうと当初は考えていた。

 エミルの強い力はアーシュラからは感じ取りやすいからだ。

 だが、実際に捜索そうさくに入ってみてその認識を改めざるを得なかった。

 どのような理由かは分からないが、エミルの黒髪術者ダークネスとしての力はすっかり弱っている。


(王国の薬……その可能性は大いにある)


 王国には黒髪術者ダークネスの力を封じる薬があるという。

 実はアーシュラも同じような薬を自作したことがあった。

 自身で試してみると確かに黒髪術者ダークネスとしての力が一時的に弱まったのだ。


(やはりエミル様をさらったのは王国の手の者で間違いない。王国は共和国にくさびを打ち込むつもりだ)


 アーシュラは先ほど共和国首都に向けて飛ばした鳩便はとびんの内容に思いをせる。

 王国のチェルシー将軍がひきいる直属部隊がヴァージルやウェンディーをねらって共和国に潜入している恐れがある。

 そのことを大統領夫妻に知らせるための鳩便はとびんだ。

 エミルだけでなくあの2人まで誘拐ゆうかいされてしまうことは絶対に避けなければならない。

 あせりを覚えつつあるのはプリシラだけではないのだ。

 アーシュラは御者台で目を光らせながら共和国とダニアを徐々におおい始めようとしている暗雲に毅然きぜんと立ち向かうのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


「おいおい。冗談じょうだんが本当になったぞ」


 川漁師の漁を手伝い終えて集落に戻ってきたジュードはあきれ顔でそう言った。

 そんな彼のとなりでは初老の川漁師が唖然あぜんとした顔で前方を見つめている。

 彼らの視線の先では、集落に生える木々の枝につかまり、懸垂けんすい運動をしている赤毛の女の姿があった。

 ジャスティーナだ。


 まだ体に痛々しく包帯を巻いたままの彼女は、その周囲でオロオロしながら「やめてちょうだい」と声をかける川漁師の妻の言葉を無視して、一心不乱に体を動かし続けていた。

 つい先ほどジュードは川漁の合間に漁師らからジャスティーナの回復具合を聞かれ、順調に回復しているから今頃は剣の訓練でもしているかもしれないなどと冗談じょうだんを言って漁師らを笑わせていたのだ。

 そして戻ってきたらこの有り様だった。


「ジャスティーナ。あまり皆さんをおどろかせないでくれ」


 ひたすら懸垂けんすいを続けるジャスティーナに歩み寄り、ジュードは頭をかきながらそう言う。

 しかしジャスティーナはまったく意に介さない。


「別におどろくことはないさ。これがダニアの女だ。何日もベッドに横たわったままじゃ、体がなまって死んじまう」

「数日前まで死にかけていたんだぞ。君は」

「だが死ななかった。生きている以上、体をませておくのが私という女だ」


 そう言うジャスティーナにジュードはそれ以上の小言をあきらめ、川漁師の夫妻に言った。


「すみません。おどろかせてしまって。ただ彼女は百戦錬磨の戦士です。自分の体のことはよく分かっている。具合が悪くなるほどの無茶はしないと思いますので、大目に見てやって下さい」


 そう言うジュードに夫妻は目を丸くしながらもうなづいて、家に戻っていった。

 そんな彼らの戸惑いなどどこ吹く風で、ジャスティーナは体を動かし続ける。

 動かすたびに体中のあちこちが痛んだ。

 だが痛みは生きている証拠だ。

 そして自分に痛みを与えた相手に対する闘争心を忘れさせない大事なあかしでもあった。


(あの白髪女。必ず借りは返すよ)


 やられたらやり返す。

 ジャスティーナの胸にその復讐ふくしゅう心が燃え上がるが、それとは別の怒りのほうが今の彼女には大きかった。

 プリシラやエミルのような成人前の子供をつけねらう王国のいやしさが何よりも腹立たしく感じる。

 ジャスティーナは枝から手を放し、静かに地面に着地した。

 その衝撃にまだ体が痛むのを感じつつも、彼女は顔色ひとつ変えずにジュードに目を向ける。


「ジュード。私はあと何日でここをてると思う?」


 その言葉にジュードは嫌そうにため息をついた。


「……出来れば最低1ヶ月はここで体を癒してほしいな」


 だがジャスティーナはそんなジュードをキッとにらんだ。


「3日だ。3日でここをつ」

「人間の体はそんな簡単には治らないぞ。過信は君らしくない」


 ジャスティーナの鋭い視線を受けながら、ジュードは一歩も引かずにそう言った。


「治らなくてもいい。移動しながら治すさ」

「勘弁してくれよ。君が寝ているベッドに車輪でも付けて、俺が引いて歩くのか?」


 そう言うとジュードはジャスティーナに歩み寄り、その肩にそっと手を置いた。


「気がくのは分かる。だけど今はしっかり治すんだ。手負いの君が向かっても、プリシラやエミルのためにしてやれることは少ない」


 ジュードの言葉にジャスティーナは自分の内心が見透みすかされたようで、面白くなさそうにしかめ面を見せた。

 特に行方ゆくえ不明となっているエミルのためにジャスティーナは今すぐにでも飛び出していきたい気持ちなのだ。


「私はまだ……受けた依頼を完遂していない」


 プリシラとエミルを親元に返す。

 それがあの2人からの依頼内容だ。


「分かってるさ。それを完遂するために、今は休養が必要なんだ。手負いの君に出来ることは少なくても、万全の体を取り戻せばプリシラやエミルのためにしてやれることは山程ある。あせるな。ジャスティーナ。体が万全になったら、俺はどこへでも付き合うさ。それがたとえ王国だろうともな」 


 その言葉にジャスティーナは深く息を吸い込んで静かに吐いた。

 自分自身を落ち着かせるように。

 確かにジュードの言う通りだ。

 自分はとらわれている。

 怒りにではない。


 かつて救えなかった娘への無念を、プリシラやエミルを救うことで晴らそうとしているのだ。

 ジャスティーナはそんなおのれを自嘲しながら言った。


「言ったな。ジュード。おまえの古巣である王国の土を再び踏む覚悟はあるのか?」

「ああ。エミルがもし王国にとらわれているなら乗り込んでいって救い出すさ。ジャイルズ王をぶんなぐってでもな」


 めずらしく熱い表情でそう言って意気込むジュードに、ジャスティーナは徐々に冷静さを取り戻して思わず笑った。


「フッ。そういう暑苦しいのはおまえには似合わないよ。ジュード。ぶんなぐるのは私の役目だ」


 そう言うとジャスティーナは力強く拳を握り、それからジュードと共におとなしく漁師の家に戻るのだった。

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