第141話 残された意思

(……何かのニオイがする)


 アーシュラは地面に横たわる馬の遺骸いがいのそばにしゃがみ込みながら、鼻をひくつかせた。

 馬の体臭、血のにおい、それらに混じってかすかにけむりのようなニオイがする。

 アーシュラは馬のしりに突き立っている矢を見た。

 やじりに毒でも塗られていれば別だが、これくらいですぐに馬が死ぬことはない。

 直接の死因は首を刃物で切り裂かれたことによる失血だろう。


(馬をわざわざ殺した? 何のために……)


 アーシュラはいぶかしみ、矢が突き立ったままの馬のしりをまじまじと見つめる。

 そしてその傷口を見て奇妙なことに気が付いた。

 アーシュラはすぐ背後で状況を見守っているプリシラ、エステル、オリアーナに背中越しに言う。


「3人とも見て下さい。この奇妙な傷を。矢が刺さった傷にしては傷付き方が乱雑です。しかもこの出血量に対して矢の刺さり方が浅いですし、刺さった矢の向きも不自然に思えます」


 そう言うとアーシュラは矢を手でつかみ、ゆっくりと引き抜いた。

 馬のしりの傷からゴボッと血があふれ出る。

 アーシュラはつかんだ矢を再び傷口に刺すような真似まねをしてみせる。


「この矢は……こうして手で直接馬のしりに刺されたものだと推測します。おそらく……元々あった傷の上から突き刺したのでしょう」


 その話に皆が怪訝けげんそうな顔を見せ、プリシラが代表してたずねた。


「何のためにそんなことをしたんですか?」 

「偽装です。皆、この傷を見て下さい。やじりの刺さった傷は縦に平たく傷が付きます。ですがこの傷は……」


 元々あった丸い傷の上に重なるようにして、縦に裂ける傷が付いていた。


「この丸い傷。一体何をされて出来た傷だと思いますか? プリシラ」


 アーシュラは予感があった。

 わずかに残された煙の香りや特徴的な丸い傷。

 アーシュラの頭の中に網羅もうらされた武器の中で、こうした傷をつけられるものはない。

 ということは、これまでに大陸に存在していなかった武器と考えていい。

 そう言えるほどアーシュラは武器の情報に精通している。


「これは……」


 そしてプリシラは思い出した。

 あの谷間で銃撃を受けたジュードが、ボルドから手当てを受けていた様子を。

 負傷したジュードの肩には、この馬のしりに付いている傷と似たものがあった。


「銃撃の傷です。見たことがあります」


 プリシラの答えを予測していたアーシュラはうなづいた。

 エステルとオリアーナは初めて見る銃撃の傷に目を見張っている。


「こんな形の傷が……これを頭に浴びたりしたら即死ですね」


 そのエステルの言葉にプリシラは胸がズキリと痛むのを感じた。

 あの日、谷間の攻防でエミルを救おうとしたジャスティーナは頭に敵の銃弾を浴びた。

 何とか彼女に生きていてほしいと願ったが、冷静になればなるほどそれがいかに現実的ではないか理解できてしまい、プリシラは暗い気持ちになる。

 そんな彼女の背後で、オリアーナはなわつないだ黒熊狼ベアウルフのバラモンが鼻をヒクヒクさせ始めたことに気付いた。


「隊長……バラモンが……」


 オリアーナはボソリとそう言うとバラモンが何らかのにおいをぎ取って歩き出すのに任せて、自分もそれについていく。

 アーシュラはプリシラとエステルをともない、オリアーナの後を追う。

 すると街道脇の林に踏み込んでいったバラモンが二度三度とえた。

 オリアーナはいつもの通りの陰鬱いんうつな表情で茂みの中を見下ろしている。


「どうしましたか?」


 そう言って茂みの中をのぞき込んだアーシュラは、そこに人間の体がいくつも横たわっているのを見てまゆを潜めた。

 それは複数名の男らの遺体だった。

 全員、鎧兜よろいかぶとに身を包んでおり、兵士の装いだ。

 そのよろいほどこされた意匠いしょうを見てアーシュラは言った。


「公国兵の遺体です。皆、銃撃を受けて殺されていますね」


 兵士たちはのど眉間みけんに銃撃を受け、丸い傷痕きずあとを残していた。

 遺体をこんな場所に隠していることから、彼らを殺した犯人には、目立ちたくないという意思があったのだろう。

 一方で死体を地中にめておらず、無雑作に地面に転がしたのは、急いでいるために手間を惜しんだ可能性が高い。

 アーシュラは頭の中で何かが引っかかるのを感じ、林を出て再び平野に戻る。


 馬の遺骸いがいがある辺りは、多くの馬の足跡が残されていた。

 茂みの中に打ち捨てられていた遺体は全部で7人。

 彼らが乗っていたであろう馬は恐らく散り散りになって逃げていったのだろう。


 馬の足跡の他には人が倒れたと思しき跡や、撃ち殺された者たちの血痕が地面に残されていた。

 アーシュラはその中に馬車の車輪の通った跡を見つけた。

 そのわだちはまだ新しいものだ。

 わだちの進む先に目をやると、それがアリアドの方角に続いていることが分かる。


(いや……逆だ。わだちを見る限り、アリアドからこちらに向かってきた馬車か。乗っていたのは恐らくココノエの銃使い。急いでどこかへ向かう途中だったんだ。この方角は……共和国)


 アーシュラはしゃがみ込み、わだちに手を触れる。

 その瞬間、彼女は大きく目を見開いた。

 そのままアーシュラは1分近くそこでそうしていた。

 急に動かなくなった上官に部下たちは皆、怪訝けげんな表情を浮かべて顔を見合わせる。

 そんな彼女たちを代表してプリシラがアーシュラの背中に声をかけた。


「隊長? どうかしましたか?」

「静かに。少し気になることがあります」


 アーシュラは馬車のわだちからかすかな意思を感じたのだ。

 それは細い細い糸を暗闇くらやみの中でつかむようなひどく頼りない感覚で、アーシュラをもってしても少しでも集中力を欠けばつかみ損ねてしまいそうだった。

 彼女は立ち上がるとわだちに足の裏を付けるようにして、それに沿って歩いていく。

 馬車が走ってきたであろう道をさかのぼるように。


 目を閉じたまま一歩ずつ地面を踏みしめながら。足の裏から伝わってくるのは、誰かが何かを求める声だ。

 もちろん声は聞こえない。

 だがアーシュラはそれでもあきらめずに一歩ずつ進んでいった。

 そんな隊長を部下の少女らも息を詰めて静かに追う。


 やがて……5分ほど歩き続けたところでアーシュラは立ち止まった。

 地面を踏んだ足の爪先つまさきに、何かが当たったような気がしたのだ。

 アーシュラは閉じていた目を開けた。

 すると……。


「これは……」


 そこにはこんな荒涼とした平野のど真ん中には似つかわしくないものが落ちていたのだ。

 それは陶器製の小さな犬の人形だった。

 子供が遊んだり飾ったりするような品だ。

 アーシュラはそれを恐る恐る拾い上げた。

 その瞬間だった。


【僕は……ここだよ】


 アーシュラは息を飲む。

 聞こえてきたのだ。

 声が。

 耳ではなく頭の中に。


 アーシュラは手の中の陶器人形の犬を見た。

 そこに込められた意思は弱かったが、確かに黒髪術者ダークネスの力が息づいている。

 そして聞こえたその声は、アーシュラが聞き馴染なじんだエミルの声だったのだ。

 アーシュラは顔を上げる。


 すると前方十数メートルの地面で何かが朝日を浴びてきらめいた。

 アーシュラは慎重に足を進め、そこに落ちていたものを落としたり壊したりしないよう、そっと拾い上げた。

 今度は猫の人形だ。


【ここにいるよ……】


 またしてもエミルの声が頭の中にこだまする。

 アーシュラは確信した。

 

(これは……エミル様が持っていたものだ。ここを走って行った馬車に彼が乗っていたんだ。そしてこの人形を意図いと的に落とした。黒髪術者ダークネスとしての念を込めて。誰か他の黒髪術者ダークネスが拾ってくれることを期待して)


 再び顔を上げるアーシュラの目はすでに3つ目となるうさぎの人形をとらえていた。

 今度は駆け足でそこに向かうと、アーシュラはそれをまた拾い上げる。


【誰か……気付いて】


 そのエミルの声に応じるようにアーシュラはつぶやいた。


「はい。気付きましたよ。エミル様。ありがとうございます」

「隊長?」


 すぐ後ろで不思議ふしぎそうにしているプリシラに、アーシュラは手にした3つの人形を見せた。


「エミル様からの贈り物です」

 

 アーシュラの胸に希望の炎が燃え始め、必ずやエミルを助けるのだと強い決意があらためてき上がるのだった。

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