第132話 ヤブランの決意

 まだ日も昇らない時間から目が覚めてしまったヤブランはずっと考えていた。

 オニユリの館で見かけた黒髪の子供のことを。

 もしオニユリが黒髪の子供を秘密裏ひみつりに囲っているなら、自分はそれを上役に密告せねばならない。


 だがヤブランは王国に所属してはいるものの、生粋きっすいの王国民ではない。

 ココノエの民であり、あくまでも移民に過ぎないのだ。

 王国への忠誠心は形ばかりであり、彼女が心配するのはココノエの民のことだった。

 オニユリが不祥事を起こせば、それはココノエの民全体の不利益となる。

 老若男女が一様に白い髪を持つこの西方の一族を、いまだ気味悪がる王国民は少なくない。


 そのココノエの民が王国の規範を乱すようなことをすれば、だから余所よそ者を受け入れるべきではなかったのだという不満が王国民の間から噴き出すだろう。

 そうなればココノエの民の立場は危うくなる。

 銃火器の技術だけを吸い取られて国外追放されたり、最悪の場合は大量に投獄・処刑されることだって絶対にないとは言い切れない。


(オニユリ様……事の重大さが分かっていらっしゃらないのですか)


 ヤブランはまだ12歳でありながらそうした政治的な事情を理解しており、だからこそオニユリのしていることが恐ろしくてたまらなかった。


(もう一度……確かめなくちゃ)


 ヤブランはそう決意をするとかごに食糧や医薬品などの物資を詰め込み、出かける支度したくを整える。

 向かうと決めた先は、出来れば行きたくないオニユリの館だった。


 ☆☆☆☆☆☆


 ヤブランが館に着くと、この日はいつものように中庭で遊ぶ子供らの姿はなかった。

 その代わり、建物の中を行き交う人々の姿が見え、何やら忙しそうだ。


(館の掃除でもしているのかな?)


 ヤブランはシジマの忠告を思い返す。

 決して密偵の真似事まねごとなどせずに、普通の小間使いとしてオニユリに接しろとシジマは手紙で言っていた。

 故にヤブランは物資を入れたかごを両手で抱えて堂々とオニユリの館の入口から入っていく。

 すぐに見張りの男がヤブランに気付いて視線を向けてきた。

 だがヤブランはそれに気付かぬフリをして平然と中庭を歩く。

 目指すは厨房ちゅうぼうだ。


(大丈夫。彼らはもう私に見慣れている。いつもの小間使いかと思っているはず)


 そう思いヤブランはまっすぐ厨房ちゅうぼうに向かっていく。

 だが、そこで建物の中から白髪の若者が1人出てきて、ヤブランを呼び止めた。


「おい。小間使い。何用だ?」


 ヤブランは内心でドキリとしたが、平静を装い、笑みを浮かべてかごを持ち上げた。


「オニユリ様へのお見舞いです。シジマ様からおおせつかっておりましたので。オニユリ様はどちらに?」


 そうたずねるヤブランに男は感情を一切排した顔で答えた。


「姉上様は今日は手が離せない。僕が受け取っておこう」

「お仕事ですか? ご療養中ですよね。あまり無理はなさらないほうが……」

「余計なお世話だ。さっさとよこせ」


 そう言うと白髪の若い男は半ば奪い取るようにヤブランからかごを取り上げた。

 男は顔こそ無表情だったが、その行動はどこかあせりを感じさせる。


「これは姉上様にお渡ししておく。おまえはもう行け」

「ではヤブランが参りましたとオニユリ様にお伝えいただけますか?」

「……伝えておく」


 そう言う男に一礼すると、ヤブランはきびすを返し、中庭を歩き出す。


(……変だ。私を早く追い返そうとしているみたい)


 ヤブランはそれとなく視線を周囲に走らせる。

 あちこちに見張りらしき若い男たちの姿があった。

 皆、庭掃除などの作業に従事しているが、ヤブランを常に視界に入れている。


(何かを警戒している。私を? いや……きっと外から入って来る者すべてを警戒しているんだ。何か……部外者に知られたくない何かを隠そうとしている)


 それが何であるか探りたかった。

 出来れば昨日の黒髪の子供がいた寝室をのぞいてみたかった。

 だが、見張りの男らはヤブランから視線を外さない。

 それを感じたヤブランは下手な動きは取れず、中庭から出口へと向かうしかなかった。

 自分が何かをあやしんでいることを彼らに知られるのは避けなければならない。


(今日は帰るしかないか)


 ヤブランはあきらめて出口から塀に沿って帰り道へと向かった。

 だが少し歩くとオニユリの館の敷地の隅、庭木が茂っている辺りの塀越しに、子供の泣き声が聞こえて来たのだ。

 ヤブランは思わず足を止める。


(誰かが泣いてる……こんなところで?)


 それが気になったヤブランは周囲を見回して誰もいないことを確認すると塀の上に手をかけて、腕に力を込めた。

 そして身を乗り上げる。

 幸いにしてこの辺りは少々背の高い庭木が茂っているので、館や庭のそこかしこから見張っている男たちからも見えない。

 ヤブランが身を乗り出して塀の向こう側を見下ろすと、庭木に隠れるようにして2人の少年が塀際でメソメソと泣いていた。

 

「あなたたち。どうしたの?」


 突然、頭上から声をかけられた男児らはおどろいて上を見上げる。

 涙にれたその顔はおびえていたが、相手が顔見知りの娘だと知るとホッと安堵あんどの表情を浮かべた。


「……ヤブランお姉ちゃん」

「あなたたち。こんなところで何を泣いているの? 悲しいことでもあったの?」


 そうたずねるヤブランに子供らはメソメソしながら悲しみを吐き出した。


「僕たち……連れて行ってもらえないの」

「連れて行ってもらえない? どこに?」

「新しいおうちに」


 子供らのその言葉にヤブランはまゆを潜める。


(新しい家? どこかに移住するつもりなの? でもオニユリ様は今はこのアリアド駐留軍の所属になってるし、勝手に持ち場を離れるなんて……)


 オニユリはチェルシー旗下きかの直属部隊に所属していたが、負傷してこのアリアドに戻り、現在はアリアドの総督の預かりという身分になっている。

 負傷による休養中とはいえ、従軍中に勝手に移動など許されるものではない。

 ヤブランはその不信感を顔に出さぬよう、努めて優しい笑顔と柔らかな声で子供たちにたずねた。


「お引っ越しするってこと?」

「あのね……僕らはこの家に残らないといけないの。姉上様とエミル君だけがお引っ越しなんだって。ずるいよ。エミル君ばっかり……」

「エミル君? 新しく入って来た子?」


 初めて聞く名前にヤブランは思わずそう聞き返した。

 すると子供たちは、アッという顔をして気まずそうに下を向く。

 おそらくエミルという名は外部にらしてはいけないのだと理解し、それを見たヤブランはあわてて首を横に振る。


「ごめんごめん。余計なことう聞いちゃったわね。オニユリ様はもうここには戻って来ないの?」


 そう言うオニユリに子供たちは首を横に振る。


「ちゃんと戻って来るって。行ったり来たりするって言ってた。でも前みたいにたくさんかわいがってもらえない……」

「僕たちも新しいおうちに行きたかったよ」


 そんな子供たちの様子にヤブランは暗い気持ちになる。

 あどけなく幼気いたいけな子供たちが、オニユリの寵愛ちょうあいを求めている。

 その目はうつろろな光ににごっているのに、まるで母を求める幼子のようにオニユリに愛されたがっているのだ。

 それがたとえけがれた愛し方であっても。


(オニユリ様……何てことを)


 ヤブランはオニユリへの嫌悪感をつのらせつつ、子供たちになぐさめの言葉をかける。


「オニユリ様と少しでも一緒にいられるといいわね。ここで話したことは誰にも言わないから安心してね。元気出して」


 そう言うとヤブランは子供たちに笑顔で手を振り、塀の外へと降りて帰路につくのだった。

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