第133話 ヤブランの焦燥

(エミル……エミル……)


 宿舎に戻るまでヤブランはずっと考えていた。

 エミルという名前をどこかで聞いたことがある。

 その名前を誰かがつぶやくのを聞いた記憶が残っていた。


「そうだ……シジマ様だ」


 シジマが黒帯隊ダークベルトのショーナ隊長と話をしている時に、チラリとその名前が聞こえたことがあった。

 ヤブランは小間使いであるため作戦内容の詳細までは聞かされない。

 それでもシジマとショーナが誰かを監視し、追跡していたことは知っている。


 しかしその対象が誰であったのかまでは知らなかったし、自分には関係のないことだったので、気にすることもなかったのだ。

 だが、頭の中に掛かった薄靄うすもやが晴れていくにつれ、ヤブランの顔は青ざめていった。

 新しくオニユリの館にやってきたエミルというのは、十中八九あの黒髪の子供だ。


(エミル……黒髪……黒髪のエミルって……)


 この大陸に来てまだ数年のヤブランは大陸の情勢についてそれほど詳しくなかった。

 だがダニアという国とそこに住む一族のことは聞いたことがある。

 赤毛の一族が住む都市国家で、そこでは男ではなく女たちが筋骨たくましく、戦士となって国を守っているという。

 その話がめずらしくて、ヤブランには印象深かった。


 そしてその国には金と銀の女王たちがいて、銀の女王クローディアは共和国のイライアス大統領の妻になっている。

 一方、金の女王ブリジットは国に残り、2人の子供を産んだという。

 姉である金髪のプリシラと、その弟である……。


「黒髪の……エミル」


 ヤブランは混乱した。

 オニユリが女王の息子を囲っている。

 それが何を意味するのかすぐには理解できなかった。


(チェルシー将軍閣下かっかとシジマ様は作戦を成功して捕らえたエミルをオニユリ様に預けた? オニユリ様はエミルを本国に送るために移送の準備をしている……それなら辻褄つじつまが合うわ。おかしいことは何もない。でも、だとするとシジマ様の思わせぶりな手紙は一体……)


 そこでヤブランは愕然がくぜんとした。

 もうひとつ恐ろしい可能性に気付いてしまったからだ。

 オニユリが今手元にエミルを囲っていることを、チェルシーとシジマが知らなかったら……。

 すなわちオニユリはチェルシー旗下きかの部隊でプリシラとエミルの誘拐ゆうかい任務に従事しながら、何かしらの手段でチェルシーやシジマに知られることなく、独自にエミルを手に入れたことになる。


(もしオニユリ様がそんなことをしていたら……それが王国の知るところとなれば……)


 王国は自分たちに隠れてココノエの民が何かを画策かくさくしていたと、厳しく糾弾きゅうだんすることになるだろう。

 ヤブランは自分がとんでもないことを知ってしまったのではないかと恐ろしくなった。

 こんな時にシジマがいればすぐに報告してその後のことは任せられたのだ。

 わずか12歳の自分がそんな重荷を背負わねばならない理不尽に、ヤブランは思わず上官をのろった。


うらみますよ。シジマ様)


 とはいえ今はまだ真相が分からない。

 すべては憶測でしかないのだ。


(だけどオニユリ様がエミルを連れてどこかに移動してしまえば、私には追うことが出来なくなる。ここにいる間に何かしら確証をつかまないと、真相はやみの中だ)


 今すぐ取って返して館の中を調べたいが、ああして見張りが厳しい以上、それは叶わない。

 逆にこちらが妙な動きをすれば、探っていると警戒されてしまう。


「う〜。どうしたらいいのよ」


 ヤブランはシジマから受け取った手紙をもう一度広げる。

 そしてふとそこに書かれた字を見た。

 ココノエ特有の文字で、大陸の者たちには読めない字が整然と並んでいる。


「シジマ様。性格が几帳面きちょうめんなせいか、字も几帳面きちょうめんだな。習字の見本みたいな字……」


 そこでヤブランはあることを思いつき、急いで筆と紙を手に取ると机に向かうのだった。


☆☆☆☆☆☆


「レディー。例の件、客の白髪女に報告が行く頃です。金は即金で受け取っております」


 共和国ビバルデの娼館。

 レディー・ミルドレッドはエチュルデを離れて同じ共和国内のビバルデに出向いていた。

 彼女は共和国内にいくつか拠点を持ち、回遊魚のようにこうしてあちこちをめぐりながら1年を過ごす。

 部下の男からの報告を受けたミルドレッドは、葉巻のけむりをくゆらせながらニヤリと笑った。


「西方の白髪女は、元は姫君だったんだろう? 今は王国の飼い犬に落ちぶれたとはいえ、金払いはいいじゃないか。太客になってくれるといいね」


 ミルドレッドは数ケ月前に初めて知り合ったその客の顔を思い浮かべる。

 女の顔なんてすぐに忘れてしまうミルドレッドだったが、めずらしい白髪頭の若い女だったのでよく覚えている。


「気味の悪い白髪頭の若い男2人が使い走りでした。主のことを姉上様なんて呼んでいやがったなぁ」

「そいつらもおそらくは元々、あのお姫様のかわいこちゃんたちだったんだろうよ。あのオニユリとかいうお姫様。初取引だってのにいきなり禁忌きんき品をご所望だったから、最初はイライアスの間者スパイかと疑っちまったよ」


 奴隷どれい制度が廃止されて久しい共和国だが、娼婦や男娼などは黙認もくにんされていた。

 それでしか食べていけない者もいるし、国民にとっての適度なガス抜きになるからという理由だ。

 ただし厳しい取り締まりの対象になる事柄もある。

 未成年の性的搾取さくしゅだ。


 共和国の法律では15歳が成人なのだが、15に満たない者をそうした色街稼業に従事させることは禁じられており、禁を破れば厳しい処罰を受けることとなる。

 だがこの世にはそれでも若年者を性的対象にして蛮行ばんこうを働く者がいるのだ。

 そうした者たちからのもうけを当てにして、ミルドレッドは禁じられた未成年の人材を秘密裏ひみつりに取りそろえていた。


 そうして禁忌きんき品と呼ばれる彼らを求めてきたのがオニユリという女だった。

 オニユリは年端としはもいかない少年を所望するのみならず、少なくない金を払って少年たちを身請みうけして手元に置くようにしたのだ。

 そこから彼女とミルドレッドの縁は始まったのだった。


「新しい愛の巣を共和国内に作りたい。そんなことを言っていたねぇ。あの白髪姫。まあ、こっちはもうけられりゃ何でもいいさ。愛欲におぼれる白髪姫に乾杯だ」


 上機嫌でそう言うとミルドレッドは杯に満たした葡萄ぶどう酒をグイッとあおるのだった。

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