第131話 足跡を追って

 山中の谷間にかかった天然の岩橋の上を、7人の赤毛の女が今まさに渡っている。


(……すごいな。エミル様は)


 アーシュラは岩橋の上を渡りながら、そこにみついたエミルの思念をヒシヒシと感じ取っていた。

 そのこと自体は事前にボルドから聞いていたからおどろかなかった。

 ボルドも同じようにここで感じたと言っていたから。


 だが黒髪術者ダークネスの残した思念は臭気と同じで、時間の経過と共に風化して消えるものだ。

 だというのにここに残るエミルの残留思念は強烈なままだった。

 その理由が嫌というほど分かり、アーシュラは思わず顔をしかめる。

 

(……あなたはまだこうやってワタシにその存在を知らしめるのですね)


 この岩橋の上でエミルが変貌へんぼうし、暴虐ぼうぎゃくの戦士となって戦ったとプリシラは言った。

 今その場に立ってみてアーシュラはあらためて感じる。

 ここに残る黒い思念はかつてアーシュラを恐怖におとしいれ、憎悪に染めた黒き魔女のそれを想起させた。


 姉であるプリシラが恐れるような変貌へんぼうを弟のエミルに遂げさせたのは、彼の中の宿る黒き魔女のたましいだとアーシュラは確信する。

 だがそれをプリシラに告げても彼女は理解できないだろうと思い、アーシュラはそのことについては詳しい説明を避けた。

 そしてエミルの残した黒い思念を追って進む。

 プリシラが先導してくれたが、その先導が無くともハッキリとエミルの足跡を追えるほどにアーシュラにはエミルの思念を感じ取っていた。


 やがて岩橋を渡りきり、向こう岸に辿たどり着くとプリシラは茂みをかき分けて斜面を下りて行く。

 斜面にはエミルが滑落かつらくした跡がいまだに残されていた。

 幸いにして地面は柔らかな土なので、これならばエミルも大きなケガはしていないだろうとアーシュラは予想する。

 滑落かつらくが止まったとおぼしき場所から、2人分の足跡が続いていた。


「ここで気絶したであろうエミルを、何者かが運び去ったんです」

「なるほど」


 そう言うとアーシュラはしゃがみ込み、地面にその足跡をじっと見つめる。

 どうやらエミルの意識はここで途切れたようで、黒い思念の残り香もここで消えていた。

 となりでは 同じように黒熊狼ベアウルフのバラモンが足跡のにおいをいでいる。


「隊長。それは何を?」


 興味津々きょうみしんしんでそうたずねるエステルにアーシュラは端的に答えた。


「バラモンと同じです。足跡を記憶しているんですよ。ただしワタシは嗅覚ではなく視覚で、ですけれど。覚えました。プリシラ。足跡を出来るだけ消さないように進んで下さい」

「はい」


 そう言うとプリシラはその足跡を消さないように慎重に歩く。

 彼女が前回ここを歩いた時と比べ、草がすっかりと刈られていた。

 ブリジットの指示で先にここに派遣された100人の先遣隊が草刈りをしてくれたおかげだ。

 土がき出しになって、先日は草に隠れて見えなかった足跡がハッキリ見える。


 だが、それでも足跡は途中ですっかり消えていた。 

 誘拐ゆうかい犯たちがたくみに分厚い草の上を踏んで移動していったのだろう。

 追跡はすぐに困難になったのだ。


「ここで……エミルの足跡は途切れました」


 そう言うプリシラの足元は、草は奇麗きれいに刈られていたが、大勢の足跡が残されているばかりだった。

 先遣隊の者たちが草を刈るべく踏み入ったためだ。


「草を刈ったのはいいが、これじゃどれが敵さんの足跡か分からねえな」


 そう言ってネルは大げさに肩をすくめ、エリカとハリエットも表情を曇らせた。

 だがアーシュラは静かにその場にしゃがみ込む。

 そして先ほど記憶した敵の足跡を、多くの足跡の中からいとも容易たやすく見つけ出した。

 いかに草の上を踏んで歩こうとも、人には体重があり、踏みしめるのが土の地面である以上、完全に足跡を消すことは不可能だった。

 しかも相手はエミルを運びながら歩いているのだ。


 必ず踏み込む足のかかと爪先つまさきの跡が残る。

 同時にオリアーナの握るなわつながれたバラモンも地面のにおいをぎながら、記憶した敵のにおいを追い始めた。

 全員が固唾かたずを飲んで見守る中、アーシュラとバラモンが進み始める。

 エミル捜索そうさくの第一歩がようやく踏み出されたのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 エミルは朝食を終えると小さく息をついた。

 食事中はオニユリがじっと自分を見つめているため、味わって食べることは出来ない。

 しかしこんな状況でも腹は減るので、エミルはとにかく食べた。


「はい。全部食べられて偉かったわね」


 オニユリは満面の笑みでそう言うと、空になった食器類をぼんに乗せ、それを下げるために部屋を出ていった。

 甲斐甲斐かいがいしく世話を焼く優しい母や姉のような風情ふぜいだが、エミルは自分をじっと見つめるオニユリの視線が怖かった。

 彼女はエミルの全身をめるように見て、その一挙手一投足に注目しているのだ。

 とにかくオニユリがそばにいると、常に背すじが寒くなる。

 いくらため息をついても、憂鬱ゆううつまでは吐き出せなかった。


(いつまでここにいなきゃいけないんだろう……)


 この朝、館の中は前日までとは少しばかり雰囲気ふんいきが違った。

 いつもならば朝食後は中庭でボール遊びに興じている子供たちの嬌声が聞こえてくるはずだが、この日は中庭には誰もいないようだった。

 代わりに館の中が少々騒がしい。

 大勢の者たちが歩き回る音やガサガサという物音が聞こえてきた。


(何だろう……)


 エミルが不思議ふしぎに思っていると寝室のとびらが開いてオニユリが着替えの衣一式を持って再び入ってきた。


「さあ。お着替えしてちょうだい。私が手伝ってあげてもよくてよ」


 そう言うとオニユリは衣をベッドの上に置き、自らはエミルのとなりに腰をかける。


「ゆうべはごめんなさいね。私ったら坊やより先に寝ちゃって」


 エミルは思わず身を引きそうになりながら、それをグッとこらえた。


(こ、怖がってばかりじゃ……ダメだ)


 エミルは勇気を振りしぼり、オニユリに目を向ける。

 誰かの助けはすぐには来ないだろう。

 この状況を打開するために自ら動かなくてはならない。

 姉のプリシラからいつも「臆病」とか「何でも人任せ」としかられていたことを思い返し、エミルは声をしぼり出した。


「あ、あの……」


 エミルのほうから話しかけてきたのは初めてのことだったので、オニユリは思わず目をかがやかせる。


「何かしら? 坊や」

「ぼ、僕は……この先どうなるんですか?」


 エミルの言葉にオニユリは優しい笑みを浮かべる。

 その下にゆがんだ欲望を隠して。


「何も心配しなくていいわよ。これから引っ越しだけど、もっといい家で暮らせるからね」

「……王国に連れていかれるんですね。僕は……王国のために働くなんて嫌です」


 勇気を振りしぼってエミルはハッキリと自分の意思を告げた。

 するとオニユリは予想に反して柔和にゅうわな笑みを浮かべる。


「あらあら。それを心配していたのね。そうよね。私が王国に所属しているからそう思うわよね。でも……安心して。あなたの行く先は王国じゃないし、王国のために働いてほしいなんて私は思っていないから」

「えっ?」


 思わず拍子抜けして呆気あっけに取られるエミルを見て、オニユリはクスクスと笑う。


「かわいい顔。坊やは私と一緒よ。これからも一緒に暮らすの。そのためのお引っ越し」


 そう言うとオニユリは目を細めていびつな笑みを浮かべる。

 それが禍々まがまがしい悪魔の笑みに見えて、エミルは思わず目をらしてうつむいた。


(どういうことなんだろう。でも……家には帰してもらえないんだろうな)


 エミルは絶望的な気持ちになりかけたが、それでも自分を強く保とうとする。

 自分が家族に会いたいと思うように、家族も自分に会いたいと思ってくれているはずだ。

 家族のためにも絶望するわけにはいかなかった。

 この苦境を打開できなくとも、心折れてしまうわけにはいかないと、エミルは幼い心で必死におのれふるい立たせるのだった。

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