第123話 若さ

 夜更けの林の中に甲高いけものの鳴き声が鳴り響く。


「プギィィィィィ!」


 いのししはほとんど半狂乱になって木々にぶつかりそうになりながら駆け回る。

 背紅狼レッド・ウルフらはそれを仕留めようと躍起やっきになって右往左往し、そしてその両方に翻弄ほんろうされるように若い赤毛の女たちが七転八倒していた。

 大混乱の様相を見せる現場を木の上から冷静に見つめる赤毛の女がいる。

 この若き女たちをたばねる隊長のアーシュラだ。


(全員……ケガ一つ負ってない。そこはさすが。でも……そろそろ潮時だ)


 アーシュラは下で戦うプリシラたち6人の戦闘技術や判断能力を見極めていた。

 個々の能力については申し分ない。

 恐らくこの中で一番身体能力がおとるであろうエステルでさえダニアの女戦士として一定の水準を満たしており、その他の者たちについてはかなり高い水準の能力を有している。

 まだ全員、10代の若者たちでありこの先の成長を考えれば、彼女たちが近い将来のダニアの中心戦力になるであろことは疑いようもない。


 だが6人に決定的に不足しているのは他者との協調性であり、それをかした実戦の場における集団戦の経験だった。

 戦場の経験が豊富なアーシュラは知っている。

 敵にとってダニアの女戦士の何が恐ろしいのか。

 それは個々の能力の強さだけではない。


 ダニアの女たちは戦場に立てば阿吽あうんの呼吸で互いに補い合い、助け合って連携する。

 たとえ日常生活で一度も会話を交わしたことの無い仲であっても、熟練の赤毛の女同士が戦場に立てばまるで旧知の仲のように刃のつむぎ合いが出来る。

 それが防御にかされる時は鉄壁の壁となり、攻撃にかされる時は全てを飲み込む怒涛どとうの荒波となるのだ。

 それこそがダニアの女たちが戦場で恐れられる所以ゆえんだった。


(まだ今の彼女たちにはそれが出来ない。これ以上は無理ね)

 

 アーシュラは手にした吹き矢に弾を込めた。

 この場を収拾するすべはもちろんいくつも用意している。

 それが監督かんとく者である彼女の責任だからだ。

 だが、そこで意外な出来事が起きた。


「全員、落ち着きなさい!」


 雷のようなりんとして威厳に満ちた声がそこに響き渡ったのだ。

 それはプリシラが発した声だったのだ。


 ☆☆☆☆☆☆


 プリシラは戦場を御し切れない状況に歯噛はがみしていた。 

 背紅狼レッド・ウルフにせよいのししにせよ、野生のけものを相手にするというのは人間を相手にするのと違って動きが読みにくい。

 それでも歯がゆかった。

 ここにいる者たちは皆、腕は確かなのだ。

 それをかし切れていない。


(母様なら……こんなとき母様ならどうする……)


 それはプリシラにとって人生の指針のようなものだった。

 彼女がこの世で最も尊敬するのは、母であり女王であるブリジットだ。

 娘であるプリシラの目から見たブリジットは常にりんとしていて威厳に満ちていた。

 その言葉と態度で人を導くカリスマ性があるのだ。

 そんな母を間近で見続けて来たプリシラは、判断に迷った時や困った時には常に、母ならばどうするかということを判断材料にしてきた。


(この状況を……母様ならどうやって……)


 プリシラは周囲を見回した。

 各々が高い身体能力をかして戦っているものの、全員が個別に戦っていてまとまりがない。

 この部隊に足りないもの……それは導き手なのだ。

 プリシラの脳裏のうりに声ひとつで大勢の者たちを動かす母の姿が浮かぶ。

 途端とたんに彼女は体中に大いなる決意が満ちていくのを感じて声を上げていた。

 

「全員、落ち着きなさい!」


 父がプリシラの声はだんだんブリジットに似てきたと言ってくれた。

 その声が朗々と響き渡り、仲間の女たちは皆、プリシラに目を向ける。

 彼女たちの視線を受けてプリシラは堂々たる物言いで方針を明確にした。


いのししの相手はアタシがする! 他の皆は背紅狼レッド・ウルフを確実に一頭ずつ仕留めて!」


 プリシラはそう言うと近くにいるハリエットに声をかける。


「ハリエット。悪いけど、あなたの両手おのを貸してくれる?」

「いいけど……こんな狭いところで使えるの? 壊さないでよ?」

「善処するわ」


 そう言うとプリシラはハリエットから両手おのを受け取った。

 重厚な鉄のかたまりにも似たその武器をプリシラは片手で軽々と肩に担ぐ。

 そしてすぐ間近にいる2人に言った。


「エリカ。ハリエット。少しの間だけ、アタシに向かって来る背紅狼レッド・ウルフを寄せ付けないようにしてくれる? アタシはいのししに集中するから」

 

 そう言うとプリシラは姿勢を低くし、動きを止めてじっといのししの行動を目で追った。

 いのしし背紅狼レッド・ウルフに追い立てられ、オリアーナやバラモンに威嚇いかくされたりして右往左往しながら逃げ道を探っている。

 プリシラはそのいのししを目で追いつつ、同時にその周囲を俯瞰ふかんした。

 背紅狼レッド・ウルフらの位置や仲間の位置を把握し、次にいのししが向かうであろう方向を予想し、プリシラはジリジリと移動していく。


 そんなプリシラに左右から背紅狼レッド・ウルフが襲い掛かった。

 プリシラはいのししにのみ注目しているため、自分に襲いかかって来る背紅狼レッド・ウルフらに一切注意を払っていない。

 そのためエリカとハリエットはあわててプリシラを守るべく、背紅狼レッド・ウルフらを手持ちの武器で追い払った。


「ちょ、ちょっとは周りに目を向けなさいよ」


 たまらずそう言うハリエットを無視してプリシラはいのしし見据みすえたままジリジリと移動した。

 すると……いのしし背紅狼レッド・ウルフらの追い込みを嫌って、急に方向転換をしたのだ。

 その向かう先の直線上に……プリシラはいた。


(……来た)


 プリシラはすぐさま両脇の2人に言う。


「エリカ。ハリエット。2人ともアタシから離れて。今すぐに」


 静かだが、有無を言わせぬプリシラの口調に思わず気圧けおされ、エリカもハリエットも彼女のそばから離れた。

 いのししは必死に活路を見出そうと猛突進してくる。

 その距離がどんどん縮まり、ついにプリシラのわずか5メートル先まで迫った。


 それを見ていたエリカもハリエットも息を飲む。

 いのししの突進速度から見ても、もう今から武器を振り下ろしても間に合わない。

 そう思ったからだ。

 だが、プリシラは右手で両手おのを肩に担いだまま、左手に持つ短剣を鋭くいのししに向かって投げた。

 それは矢のように宙を飛び、いのししの右の前脚をザックリと切り裂く。


「プギィィィィッ!」


 いのししはたまらずに右前脚を折り、左の脇腹を上に向ける格好で地面に転倒した。

 その瞬間だった。


「はぁぁぁぁぁぁぁ!」


 プリシラは右肩に担いでいた両手おのを両手で握ると、凄まじい速度でそれを振り下ろした。

 重厚なおのの刃が上から下へと縦一閃に舞い降りてくる。

 その刃はまるで断頭台のごとくすべり落ちると、いのししの胴体に深く食い込んで地面まで達した。

 地面を粉砕するかのごとき攻撃を受けたいのししの腹から血と臓物があふれ出し、血の臭いがたちまちただよい始める。

 いのししは白目をいたまま、口から大量の血を吐き出して地面の上でピクピクと体を痙攣けいれんさせながら……息絶えた。

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