第117話 残忍な狩人たち

 共和国と公国の国境地帯の山々に生息するけものの分布を全て覚えているエステルが声をらした。


「今の季節にこの地域に生息するけもので夜行性、そして群れで狩りをする習性のあるけものは1種類だけです。背紅狼レッド・ウルフ


 背紅狼レッド・ウルフ

 背中にひとすじの赤い毛並みが走っているのが特徴のそのけものは、旅人の天敵だ。

 回遊習性のある彼らは大陸の中を季節に合わせて周期的に移動し続け、その群れの数は多い。

 20頭ほどで常に共に行動し、狩りも群れ全体が協力して取り掛かる。


 そして何よりも嫌われているのはその狡猾こうかつな性格だった。

 獲物が自分たちよりも数が少ないと見るや、襲い掛かる。

 獲物の中でも一番弱そうな者を集中的にねらう。

 そして一度振り切ってもその後、数キロメートルに渡ってしつこく追跡を続ける。


 この背紅狼レッド・ウルフねらわれたら、そのえさになるような食糧を捨てて逃げるしかないと言われている。

 プリシラは腰に下げているジャスティーナの長剣のに手をかけると、先日駆け降りたばかりのこの山道の地形を思い返しながら皆に声をかけた。


「道幅がせまい場所や坂道の途中で襲われるのが一番面倒だわ。ここから少し上った先に、平坦な場所がある。そこで迎え撃つしかないと思う」


 プリシラの言葉に皆がうなづく。

 ネルだけは不機嫌そうにそっぽを向いていたが、文句は言わなかった。

 プリシラはアーシュラに目を向ける。


「隊長。よろしいですか?」

「分かりました。その作戦でいきましょう」


 アーシュラがそう言ったその時、少し先で狼のものとおぼしき遠えが響き渡った。

 エステルの言う通り、迫り来る相手が背紅狼レッド・ウルフであることと、彼らがこちらに襲い掛かる合図を群れの仲間たちに出しているのだと、その場にいる全員が悟るのだった。 


 ☆☆☆☆☆☆


 狼の遠吠えが近付くほどに、オリアーナの横で黒熊狼ベアウルフのバラモンがうなり声を大きくする。

 オリアーナはそんなバラモンを落ち着かせようと背中の毛並みを優しくでた。

 バラモンはしっかりと戦闘訓練をほどこされたけものだ。

 しかも黒熊狼ベアウルフは大陸に生息する狼の中では最大種であり、1対1であれば自分よりも小さな背紅狼レッド・ウルフに負けることはない。


 だが相手が複数の場合はその限りではない。

 おそらく知能や狡猾こうかつさでは背紅狼レッド・ウルフのほうが上だろう。

 多数の背紅狼レッド・ウルフにうまくしてやられたら、バラモンとて逆に食い殺されてしまうこともあるのだ。

 オリアーナは少し恐ろしくなった。

 そんな彼女のとなりにアーシュラが近寄ってきて言葉をかける。


「オリアーナ。バラモンはあくまでなわの届く範囲内であなたが管理しなさい」


 その話にオリアーナは息を飲む。

 獣使隊で必ず叩き込まれることがある。

 けものというのはいくら飼い慣らしたつもりでも、人の予期せぬ動きを見せることがあるということだ。

 特に興奮したけものは訓練で身に付いたことを忘れて野生の本能に従って動いてしまうこともあるのだ。


 敵は同じけものである背紅狼レッド・ウルフの可能性が高い。

 彼らと争ううちにバラモンが理性を失って戦いにのめり込んでしまうかもしれない。

 そうなればバラモンは統制の取れた動きが出来ず、小狡こずる背紅狼レッド・ウルフらにまんまと食い殺されてしまうことだってあるのだ。


「それともう一つ。相手の狼を殺すことになると思いますが、大丈夫ですか? オリアーナ」

「……はい」


 オリアーナはそこは躊躇ちゅうちょなくうなづいた。

 彼女は分かっているのだ。

 けもの愛玩あいがん動物ではないことを。


 バラモンのようにダニアの獣舎で生まれ、妖獣だった頃から人に慣れ親しんでいるのであれば話は別だが、相手は野生動物だ。

 彼らは人にとって脅威きょういだった。

 相手がこちらを食い殺そうとするのなら、躊躇ちゅうちょなくそれを排除すべきなのだ。

 そんなオリアーナの反応にアーシュラは少々好感を覚えたようで、少しだけやわらかい表情で言った。


「ルドルフはワタシが預かります。あなたはバラモンの手綱たづなを握って動きなさい」 


 その申し出にオリアーナはおどろいたが、確かに鳥籠とりかごを抱えたままでは戦えないし、地面に置いて戦えば背紅狼レッド・ウルフ餌食えじきにされてしまう恐れがある。

 オリアーナはじっとアーシュラを見つめると、恐る恐る鳥籠とりかごを差し出した。

 それを受け取るとアーシュラは再び先頭に立ち、皆を先導して歩き出す。

 彼女は黒髪術者ダークネスの力で敵勢力の全容を感じ取っていた。


(数は23頭。動き方から見てエステルの言う通り背紅狼レッド・ウルフだろう。さて……)

 

 アーシュラの前方数十メートルのところに目指す場所が見えてきた。

 暗闇くらやみの中でも彼女はその地形を感じ取ることが出来る。

 アーシュラはいち早くその場所に辿たどり着くと、地形を確認した。

 山の中腹にあたるその場所は一息つける場所のように地面は平坦になっている。


 だが木々が乱立しているため、平地と言うよりは林だ。

 アーシュラは鳥籠とりかごを抱えたままスッと飛び上がり、身近な木の枝の上に陣取る。

 それを見たエステルがまゆを潜めた。 


「隊長?」

「ここで敵を迎え撃ちなさい。対処法はあなたたちに任せます」

「え? い、いえ。ご指示を……」


 そう言いかけるエステルを木の上から見下ろしてアーシュラは平然と言った。


「ええ。ですから、あなたたちに任せます。それが指示です」

「そ、そんな……」


 隊長としての職務放棄だ。

 そう文句を言いたかったが、エステルは思い直した。


(ここで自分が作戦を立てて、隊長の鼻を明かしてやる)


 山に入ってけものを狩ったことはないが、野山でけものに襲われた際の対処法は机上きじょうで学んできた。

 群れで狩りをするけものは群れの半数近くが死ぬと戦意を喪失そうしつし、あきらめて逃げ出すことが多い。

 この部隊の中にはけものの生態に詳しいオリアーナや、けもの狩りを主な仕事にしているネルがいる。

 2人を中心に団結して作戦を練ればうまく乗り切れすはずだ。

 そう思ったエステルは2人に声をかける。 


「オリアーナ。背紅狼レッド・ウルフを遠ざける忌避きひ剤はありませんか?」


 けものけの忌避きひ剤はくま尿にょうを用いたものや、木の乾留液タールを使ったものなどがあり、農民らが狼などの害獣けに使う。

 エステルはそのことを知っていたが、今回は緊急招集であった上に着任までまったく時間的な余裕がなかったために、事前に用意することは出来なかった。

 オリアーナもそれは同様であり、首を横に振る。


 エステルは仕方なくネルに目を向けた。

 話を聞いていたらしいネルは肩をすくめる。

 そして意地の悪い笑みを浮かべて言った。


「そこにいる犬っころに小便させりゃいいじゃねえか。黒熊狼ベアウルフ尿にょうなら背紅狼レッド・ウルフも嫌がるんじゃねえの?」


 軽薄な口調でそう言うネルに、オリアーナは怒りの表情を浮かべた。


「……馬鹿にしないで。それに……背紅狼レッド・ウルフは1頭だけの黒熊狼ベアウルフを……恐れない」

「フンッ。そうかよ。ま、どうでもいいさ。忌避きひ剤なんて必要ねえよ。寄って来た奴を片っ端から射抜いて皆殺しにしてやればいいだけだ」


 そう言うとネルは弓に矢をつがえる。

 そんな彼女の視線の先、林の奥に……無数の光る目が現れた。

 それは残忍な狩人と呼ばれるのは背紅狼レッド・ウルフの群れだった。

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