第118話 紫色の煙の中で

 エミルは眠れぬまま、薄暗い天井を見つめていた。

 かわやや食事の時以外はベッドに寝かされ、オニユリからあれやこれやと話しかけられたり、じっと見つめられたりしているこの異常な時間が彼を苦しめている。

 この館の中には他にも何人もの子供がいるらしく時折、彼らの嬌声が聞こえてきた。


 その中には楽しそうなオニユリの声も混じっている。

 どうやらオニユリは多くの子供たちとここで暮らしているようだ。

 その他に成人とおぼしき白い髪の若い男性たちがいる。

 エミルがかわやに行く際は彼らのうち1人が付いてきて、逃げないように見張られていた。


(ここは何なんだろう。どうして僕はここにいるんだろう)


 エミルは心細さに押しつぶされそうになりながら、それでも自分の置かれた状況を少しずつ理解するようにしていた。

 自分は王国にとって人質だ。

 だけどすぐに王国の本国へ連行されることもなく、この屋敷に留め置かれている。

 そしてオニユリやこの家に住む者以外の人間とは、誰とも会っていない。

 その状況がエミルにはよく分からなかった。


(あのオニユリとかいう人……僕に何をさせたいのかな)


 そんなことを考えているその時だった。

 子供たちの嬌声が徐々に近付いてきて、エミルのいる寝室のとびらが開かれた。

 すると幼い子供たちに囲まれたオニユリが戸口に姿を現す。

 オニユリはいつくしむような表情を子供らに向けて優しい声音で言った。


「はい。みんな。新しいお友達のエミルくんよ。まだ慣れてないから怖がっているけど、みんな仲良くしてあげてね」

「はーい。姉上様」

「エミルくん。はじめまして」


 そう口々に声を上げながら彼らは一様に満面の笑みを浮かべて部屋に入って来た。

 エミルは怖くなり、思わずベッドの上で後退あとずさる。

 そんな彼の様子にオニユリは目を細めた。


「大丈夫よ。坊や。みんなとっても優しいから」


 そう言うとオニユリは子供たちににこやかな顔を向ける。


「さあみんな。エミルくんをお風呂に入れてあげましょうね」

「はーい。エミルくん。お風呂に入ろうよ」


 そう言いながら子供たちがベッドの両脇に群がってくる。

 エミルは思わず顔を引きつらせるが、そこで彼は気が付いた。

 何か甘いにおいが部屋中にただよい始めたのを。

 

 オニユリが手に持つ燭台しょくだいには、紫色のめずらしい蝋燭ろうそくが火をともしている。

 そこから薄い紫色のけむりが立ち昇って部屋に充満しつつあった。

 エミルは何だか頭がボーッとするのを感じ、思考がぼんやりとし始める。


(何……これ……)


 エミルは誰かが自分の手を取るのを感じて、そちらに目を向ける。

 すると自分と同じくらいの年の子供がニコニコしながら手を引っ張っていた。


「さあ行こう。お風呂はこっちだよ」


 つい今まで感じていた恐怖心や警戒心が急激に薄れているのをエミルは自覚した。

 そして手を引かれるままベッドから降りて、エミルはヨロヨロと歩き出す。

 周囲の子供たちが何やら声をかけてくるが、何を言われているのかよく分からなくなっていた。


(断らなきゃ……)

 

 ぼんやりとした思考の中でそう自分をいましめるエミルだが、取られた手を振り払うことが出来ない。

 そんなエミルを取り囲んだ子供たちは一様に満面の笑みを浮かべて口々に歓迎の言葉をつむいだ。


「仲良くしようね」

「お友達になれて嬉しい」

「分からないことは何でも教えてあげるから」

「困ったことがあったらすぐに言ってね」


 耳触りの良い言葉を聞くうちに、エミルは徐々に抵抗する意思を失ってしまう。

 そんな彼を見下ろしてオニユリは妖艶ようえんな笑みを浮かべた。 


「大丈夫よ。坊や。すぐに慣れるから。お友達もいっぱいいるし、ここにいれば怖いことなんて何もないからね。私があなたを守ってあげる」


 エミルは気付かなかった。

 周りの子供たちが皆、笑ってはいるものの、全員がうつろな目をしていることに。

 なぜならエミル自身も……うつろな目をしていたからだ。

 紫色のけむりただよう中、オニユリだけがその目を爛々らんらんかがやかせて笑っていたのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


紫煙香ヴァイオレットき過ぎは体に悪くてよ。レディー」


 マージョリーは部屋に入った途端とたんに立ち込める紫色のけむりと、特徴的な甘い香りに顔をしかめながらそう言った。

 共和国南部に位置する郊外の街・エチュルデ。

 この農業都市で娼館を営むレディー・ミルドレッドの館に、再びマージョリー・スノウが訪れたのは夜半過ぎのことだった。

 ミルドレッドはいつものふてぶてしい表情で鼻を鳴らす。


「フン。今さら体のことを気にしてどうすんだい。どうせ老い先短い命さ。好きに生きるんだよ私は」


 紫煙香ヴァイオレット

 その原料は香木の一種であり、その木が燃えると強い陶酔とうすい効果を人にもたらす危険な甘い香りがただよう。

 吸った者によっては錯乱状態におちいったり、呼吸困難が生じたりする危険な毒性のあるものだった。

 だがその香木を砕いて粉にし、適量を蝋燭ろうそくに混ぜることで毒性を弱め、酒に酔った時のような軽い陶酔とうすい効果を得られる嗜好品しこうひんとして裏社会では広く流通している。

 もちろん依存性があり、常用すれば健康を害する恐れのあるものだ。


「で、その後の首尾はいかがですの? レディー」

「ああ。私のところの間者をパストラに送り込んだ。薬に詳しい奴さ。あいつならちょっとした感染症騒ぎを起こすのはお手の物だよ」

「彼らはあぶり出されるかしら?」

 

 マージョリーの言う彼ら、というのはダニアの銀の女王クローディアの子女であるヴァージルとウェンディーのことだ。

 共和国に迫る戦火に備え、極秘でパストラ村に疎開している大統領の子供たちを、この2人はねらっている。

 

「そりゃあそうさ。伝染病の兆候ちょうこうがあるとなれば、奴らはいの一番に逃げ出すよ。御貴族様中の御貴族様だからねぇ。あの2人は」


 御貴族様という揶揄やゆする言葉に少々顔をしかめながらも、マージョリーは禍々まがまがしい笑みを見せた。

 そんな彼女にミルドレッドも口の端をり上げて言う。


「パストラは背後を山脈に囲まれた地形的にどん詰まりの場所だ。まさか子供2人を抱えて夏でも雪の残るあの山脈を越える無茶はしないだろうから、あそこから逃げるなら必然的に南の港町ソナテリアに向かうだろう。そうなればかなり仕事はやりやすくなるよ」

「では、私の客人である白き髪の彼らにはそう伝えますわ。万事うまくいくよう神にでもいのりますか? レディー」


 そう言っておどけるマージョリーにミルドレッドは初めて嫌そうな顔を見せた。


「やめとくれよ。私は死ぬ時だって神にはいのらないと決めてるんだ。神に裏切られ続けた人生だからね。いのるなら悪魔にいのるさ」

「悪魔にいのる。いいですわね。私たちには」


 紫煙しえんただよう中でおのたくらみがうまく運ぶよう願って笑う彼女たちを、他の者が見たらこう言うだろう。

 まるで悪魔の密談のようだ、と。

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