〜アイ・ハラ〜 その3


 沈黙した空気を払拭するかの如く、「明日は金曜日だぜ」とダイが合図を出し、一同は解散することにした。


其々が店を出るのを見送ったセイは、そのまま入り口の看板をひっくり返して「Closed」とした。


時刻は深夜2時を回る頃であった。


「少し早くないか」と尋ねるダイに、セイは「こんなニュースの後に店なんてやれないよ」と返しながら手を振った。


店を後にした3人はそのまま、路地裏から大通りへと向かった。


特に誰も言葉を紡ぐことなく、夜の冬空に凍えた。


大通りへと出ると、ダイはその恵まれた体格を大いに生かしてタクシーを2台止め、先の車両に乗り込むと、それにコマが続いた。


「このまま真っ直ぐ。

言問橋(ことといばし)を渡って下さい」


運転手に行き先を告げると、ダイは真剣な表情でムギに忠告した。


「取材の件、俺達に逐一報告しろよ。

分かってるだろうけど、何処にもリークしないし、早く知りたいからじゃない。

俺達は…」


言葉を遮ってタクシーの扉は閉められ、そして発車した。


ムギは後部座席であたふたと悶えるダイと、手を叩いて笑い転げるコマのシルエットを見送りながら、その優しさに感謝した。



 日付変わらず朝8時、ムギは東京駅にいた。


今回の取材は編集長同席で、共に仙台へと向かう為だ。


自分から言い出した事とは言え、ムギは少々緊張していた。


新幹線ホームの改札で待っているムギの所へ、編集長は現れた。


「いやいやお待たせ。

それでは向かおうか」


編集長は恰幅の良い大柄な男だったが、それを感じさせない程、猫背且つ低姿勢であった。


東北新幹線に乗り込んだムギの緊張は、車内でも治まる事は無かった。


それどころか、仙台が近付くに連れて、より身体は強張った。


その横で、丸みを帯びた大柄の男は、軽くいびきを掻きながら眠っていた。


編集長の身体のフォルムから除く車窓の田園を眺めながら、ムギは自らの脈拍が落ち着くのを願った。


しかし結局仙台に着くまで、ムギの心拍数が正常値に戻ることは無かった。


仙台へと降り立つと、編集長は徐ろに提案した。


「仙台と言えば昔からの思い出の店があるんだ。

時間もあるし、飯でも食べてから行こう」


そう言い残すと、真ん丸な男はひたすらに長い商店街を歩いて進んだ。


そしてこの男の言う〝思い出の店〟とは、かの半田屋であった。


様々な品々が並ぶショーケースに、よりどりみどりな思惑溢れる人々が集う大衆食堂。


悔しくもムギは、編集長の店選びが大好きであった。


其々の選り好みな小鉢を集めて定食を創り上げると、それをまた其々の好きな配分で突っつき、そして完食した。


「ご馳走様です」


ムギが店を出る折に編集長への感謝を告げると、男は振り返ることなく右手を軽く上げ、背中越しに返答した。


「相手が死刑囚だろうがチンパンジーだろうが、強化硝子の向こうだ。

未知の生物でもゴジラでも無い。

〝無〟になれ相原。

どんな〝有〟も〝無〟には正に無意味だからな」


盛大に笑って見せる男に、ムギは心底惚れたし、相変わらず真ん丸な編集長の背中は、やけに大きく見えた。



 この度ムギの企画を通したのは、紛れもなく編集長であり、この男の中では年々、日本の死刑制度に対する疑念が膨れ上がっていた。


それは〝死刑〟に対する疑念ではなく、〝制度〟に対する疑念であり、死刑を宣告された者が〝死刑自体を罰とし、執行されるそれまでを刑に処さない〟形に対してであり、編集長としても今回の企画は、温めに温めた懐刀であった。


いつぞやとは思っていたものの、週刊誌の中でも禁忌な部類であり、中々踏み出せずにいた。


3年前にムギがこの企画を上げて来た時、男は心の底から歓喜した。


しかし、当時まだ編集長ではなかった男に、その裁決は出来なかったのだ。


商店街を抜けてタクシーを捕まえると、二人は哀原 十四章の待つ仙台留置所へと向かった。


車内は沈黙し、空気は重かったが、ムギの心は不思議と新幹線の時よりは穏やかだった。


それが再び横でいびきを掻く男のおかげなのか、半田屋のサバ味噌のお陰なのかは判別出来なかった。



 目的地に付き、順々に手続きを済ませると、二人は面会室へと入った。


強化硝子と願いし硝子の向こうには、既に一人の男が座っていた。


ムギは先ずその男の佇まいに驚愕した。


硝子の向こうに座る男は、齢50を超えているとは思えぬ程健康的であり、ガッチリとした体格に、しっかりとした筋肉を纏い、何より先程まで歩いていた仙台の街中ですれ違った誰よりも、満ち足りた表情を浮かべていた。


ムギは心臓を一発蹴られた気分であった。


ムギの中では勝手に死刑囚というものを、骨と皮だけの身体で、全身に卑屈と後悔の影を纏っていると思い込んでいた。


その真反対の生物が今、目の前に堂々と座っているのだから、無理も無かった。


しかし編集長はそれに怖気づかなかった。


堂々と対面の椅子へと腰を降ろすと、早速質問を始めた。


ムギは慌てて後を置い、先程聞かされた〝無〟をイメージした。


「哀原 十四章で間違いないな?」


編集長の問い掛けに、哀原は静かに頷いた。


「早速だが、事件当時の事は今でも覚えているか?」


「はい。

1人1人1日たりとも忘れた事はありません」


淡々と返答をする哀原は無表情であったが、ムギにはどうしても陽気に見えた。


編集長は質問を続けた。


「その1人1人を思い出した時に生まれるのは、快楽感か?

それとも懺悔の気持ちか?」


この質問に哀原は一瞬悩んだ様に見えたが、ムギが想像する〝悩む〟とは方向性が違ったらしい。


それはどちらかというと疑問だった。


「快楽も懺悔も無いです。

其処にあるのは必然であり、今私が死刑囚である事もまた、必然だと思っています」


「それは死んで行った者達は、必然的に死んだだけであったと?

お前は法の代わりに裁きを下したと?」


「挑発になるような質問は謹んで下さい」


これは哀原の後ろで書記を取る警務官からの言葉であった。


編集長は警務官をチラリと見やると、頭を下げながらひとつ咳払いをした。


「質問を変えよう」


編集長はインタビューを続けた。


「この中での暮らしはどうだ?」


この質問に対して哀原は、隠す素振りも見せずに満足気に答えた。


「何不自由無いです。

貴方達も目で見て分かる通り、実に健康的に過ごしています」


ムギは憎らしく思う自分の気持ちを、何とか〝無〟へと引き摺り込もうとした。


「いつ来るかも分からない刑の執行が怖く無いのか?」


哀原は一瞬目線を逸らしたかと思うと、その大きな2つの瞳で、編集長をじっと見つめながら答えた。


「逆に質問したいのですが、貴方は何故、自分が明日も当たり前に生きていると思っているのですか?」


ここで始めて、ムギは自分が対面している相手の恐ろしさに、臓物を握られる感覚を覚えた。


この返答にムギは悔しくも悩んでしまった。


心の何処かで「確かに」と思ってしまった。


一瞬ではあるが、目の前の死刑囚と同じ道の上に立ってしまった感覚に襲われた。


「これも違うな」


編集長は動揺の素振りを微塵も見せず、ただ自分の質問の方向性を悔いて曲げた。


「自分は正義だと思うか?

それとも悪だと思うか?」


この質問に又しても哀原は一瞬目線を逸らしたが、今度は先程の様に、じっと見つめてくる事は無く、何となくぼんやりとした目線で答えた。


「私の中では正義であり、貴方達から見ると悪。

それ以上でもそれ以下でもないです」


「それはやはり、君の中に懺悔の気持ちは無いということかな?」


「先程も言いましたが、必然でしかありません。

貴方達が筆を握る様に、私はあの時日本刀を握りました。

それだけです」


「そうか」と編集長は零すように話を途切り、次なる質問、今回の本題を提示した。


「私の横にいる彼の名はアイハラ トシアキだ。

何か思うか?」


編集長の質問に、哀原はゆっくりと目線をムギへと移し、微動だにしなくなった。


その突き刺さるような、押し潰されるような、何とも形容しがたい目線に、ムギは吐き気を催した。

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