〜アイ・ハラ〜 その2


ただでさえBGMが控えめで静かなセイの店は更に静まり返り、今や隣の店の笑い声が漏れ聞こえる程であった。


皆ムギにどう接すれば良いのか分からず、きっかけとなる一言目を懸命に探し回った。


そんな3人とは対照的に、ムギは(やっと言えた)という安堵から、満ち足りた表情で其々の顔を見渡した。


最初に言葉を絞り出したのは、やはりダイであった。


「ソレってのはつまり、お前のトラウマたる男でもあり、そもそもが死刑囚に直接会うって事か?」


「直接って言っても勿論ガラス越しだし、当たり前だけど、立会人の刑務官もいるさ」


続いて流れる様に、コマが質問をした。


「それを自分で企画したですって?

だって貴方、その事件が原因で酷い虐めにあったんじゃない。

張本人である死刑囚に自ら会いに行くなんて、どうかしてるわ」


 

 事件登場12才と多感な時期であったこともあり、小学6年生から中学3年生迄の間、ムギは陰湿な虐めにあっていた。


暴力を振られたりといった事は数える程しか無かったが、周りの殆どの人間はムギの存在を無きものとして無視を貫き、それは教鞭を振るう先生の中にも何人かいた程である。


ムギも最初こそしんどい思いをしていたが、正直中学2年生になる頃には慣れ始めており、元の性格も相まって、どちらかと言えば楽なくらいであった。


これといった友人も居らず、授業中に先生から名前を呼ばれる事も無いまま、凪のようにムギの中学生活は過ぎ去った。


しかし両親は違った。


元々地域活動にも活発であった母は、次第に家に引きこもる様になり、その捌け口は父へと向かい、ムギの家は日に日に嫌な匂いがし始めていた。


なんで私達がこんな目に遭わなくてはならないのか。


なんで私達はひとり息子に、こんな酷い名前を付けてしまったのか。


「僕は大丈夫だよ」とムギが何度説得しても、母親の悲壮感は増すばかりであった。


元々仕事人間であった父親は家に居着かなくなり、地域との社交性とマスメディアを遮断した母親は、凄まじい勢いで老け込んだ。


そんな両親を見兼ねたのもあり、ムギは高校から一人暮らしをする事にした。


両親、特に母親は猛烈に反対したのだが、高校を通信制とし、生活費はバイトで稼ぎ、実家から車で10分程の所に住むという条件で了承を得た。


こうする事で家の中での悩みが減り、更に母親も外に出掛ける口実が出来ると、若いなりに考えてのことであった。


実際にムギの両親はこれを境に活力を取り戻した。


母親は掃除洗濯、食べ物は食べれているかと余計な程にムギの住む家に通ったが、それがとても楽しそうであったし、父親も言葉数は少ないながらに、陰気な言葉が失せた我が家を満喫していた。


しかし当のムギは余り宜しく無かった。


通信制高校の少ない登校日数は良かったのだが、問題はバイトであった。


学校教育とは違う〝社会〟というものにいち早く触れたムギは、初めて自身の持つ名前の恐ろしさを痛感した。


落ちた面接は数知れず、受かった勤め先でもやはり周りとの距離間は変わらなかった。


面接にしてみれば、そもそもとても愛想が上手いといった訳でもなかったし、年齢を鑑みても(全てが名前の所為では無かったであろう)と大人になった後はそう思えたのだが、距離間は大きな問題であった。


学校の中では周りと距離を置き、敢えて独りになる事で耐えられるものもあったのだが、こと仕事場という社会に於いてそれは実務妨害であり、コミュニケーションを取れないムギは仕事が捗る筈もなく、自ずと淘汰されては職場を変える事を余儀なくされた。


そんなことを繰り返しているうちに、今迄平気であった疎外感が、将来への不安、そして自身への疑心に変貌を遂げ、ムギは遂に外へ出る事が怖くなってしまったのだ。


当初の約束のうち「生活費をバイトで稼ぐ」を破ってしまったのだが、母親はそんなムギを変わらず支え、父親は仕送りを稼いでくれた。


そんな優しさがムギには耐え難く、この高校在学中の3年間が、消えないシミとなって心にへばりついた。


それでも気持ちを受験勉強へと向ける事で何とか事なきを得ると、大学に入学後直ぐに自分と似た悩みを持つ者達と出会う事で、ムギは救われるのであった。


そんな過去を全て知っている面々だからこそ、ムギの発表は驚くべきことであり、コマの「どうかしてるわ」と言った感情も、何等可怪しくなかった。


「そうだね。

どうかしてるのかも知れない。

でも実は三年位前から編集長には相談していたんだ。

自分の中でどうしても決着が付けたかったし、自分だからこそ出来る取材、『哀原 十四章』が『相原 十四章』に聞くからこそ、書ける記事があると思ったんだよ。

勿論、俺達と同じ悩みを持つ人達の為になればとも思ってはいる」


「とんだジャーナリズムだわ」とコマは呆れ、ダイも小刻みに首を振った。


しかしセイだけは真正面から応援した。


「なんだよ二人とも。

とても凄い事じゃないか。

そりゃムギの心が心配なのは勿論だけど、きっと途轍もない話題になるよ。

我がゴシップサークル自慢の出世頭間違い無しさ。

なんなら僕も喜んで取材協力するよ。

名前を変える手続きだったり、何でも聞いてくれて構わない」


セイはいつになく興奮気味に舞い上がっていたが、ダイとコマは相変わらずであったし、2人の心配の種は別にあるようであった。


「そりゃ私達だって応援するし、いくらでも取材協力するわよ。

でも『平成の鬼退治』はね…」


コマは言葉尻を濁すと、アンタが適任でしょと言わんばかりにダイを見た。


そしてダイはそれに応えた。


「良いかセイ。

お前が好きな歴史ゴシップや俺の宗教ゴシップ、それにコマが調べてる未解決事件なんかと今回の『平成の鬼退治』は、全く以て毛色も性質も違うんだよ」


「なんでさ?」


セイは不満気な顔をしながら、ダイの緑茶ハイを注いで出した。


「例えばだぜ。

本能寺の変の黒幕が豊臣であったとして…」


「その説はもうだいぶ薄まってるよ」


「例えばだって言ってるだろ!」


ダイの大きな声に押されて、セイはまた元通り静かになった。


「それが真実だとしても、今を生きる俺達には何等変化をもたらさない。

どんなに有名な宗教家の化けの皮を剥いでも、信仰心の前には爪痕も残らない。

未解決事件だってそうだ。

ただ未解決だった悪が、確実な悪に変わるだけさ。

でも『平成の鬼退治』の様な、既に解決している〝近代ゴシップ〟ってやつは訳が違う」


「そうよ。

良く分かってるじゃない」とコマはダイを褒めて往なすと、大事な大トリは見事に掻っ攫った。


「つまり私達が心配してるのは、ムギの心よりも命そのものよ。

それこそ例えば、私達国民には謎とされている犯人の動機が、実は公に出来ない程であり、警察や裁判所の公表が捻じ曲げられたものであったら?

それが日本の国政を揺るがしかねない正義の信念だったら?

しかもよりによって『平成の鬼退治』なんて。

セイちゃんも知ってるでしょ。

あの事件の被害者となってしまった方、政治家、病院理事、ホステス、みぃ〜んな事件後に黒い噂が絶えないわ。

だから相原は一部都市伝説界隈で、桃太郎としてヒーロー化してるんじゃない。

世間が許し得ない結果が出たら、そりゃ記事は売れるでしょうね。

でももし都市伝説が事実であってしまった場合、相手は国よ。

ムギなんて塵も遺されないわ」


コマは熱のこもった長台詞を言い終え、つり上がった目尻を更に尖らせて全員を見渡した。

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