〜アイ・ハラ〜


 1998.10.6


秋の訪れに日本中が少し穏やか心地にいた時分に、その事件は起きた。


日本犯罪史上かつて無い程の極悪極まりない犯行は、国内に留まらず世界中を震撼させた。


犯人の名は『相原 十四章(アイハラ トシアキ)』年齢は当時36歳で、名古屋の銀行に勤める極普遍的な男だった。


事件後の十四章は抗う事なく、自首に近い形で素直に逮捕され、捜査にも至極協力的であったと言う。


しかし肝心の犯行動機だけはハッキリとしなかった。


十四章が「鬼を退治しただけだ」と繰り返し、明確な意図を避けたからである。


故にこの事件は『平成の鬼退治事件』として世に広く知れ渡り、その後都市伝説的に〝相原 十四章は正義の桃太郎であった〟とまでする論調が出始める程であった。


当時大きな事件であった為、弁護士団が組まれ、相原 十四章の精神異常を訴えようとしたが、十四章はそれを頑なに拒み、結果敢え無く死刑が宣告された。


これもまた、十四章を正義とする少数派の背中を押す要因となった。


とは言え事件の全貌を把握するには、その動機が非常に重要であり、十四章に課せられた刑は執行される事なく、今年で17年の年月が経った。


ーーーーーーー


時は2015年を迎えた。


事件当時12才であった少年も、今は29歳の男となり、明日1月22日を以て、30歳を迎える所であった。


男は大学時代からの仲である3人に囲まれて、今まさに21日から22日へと移り行く時刻を待っていた。


〚お誕生日おめでとう!〛


時刻が0:00を指すと、掛け声と共にクラッカーが鳴らされた。


あの何とも言えない火薬の匂いが、小さなバーの中に充満し、男は向け所の無い嬉しいさを、不器用な笑みで表した。


「お前もやっと30歳の仲間入りだな」


大柄な男は、バーカウンターに上半身をぐいと乗せ、一際大きなグラスを片手に叫ぶようであった。


右から飛んで来た大声に顔を顰めながら、次に真ん中に座った、小柄で目尻のつり上がった鋭い眼光の女が話した。


「貴方達とこの歳になっても集まるなんて。

やっぱり私の名前は呪われているみたい」


深刻な語り口調ではあったが、終始にこやかであった為それが冗談だという事は理解出来たし、そもそもこの4人の繋がりは正に〝名前〟であった。


物静かにクラッカーの残骸を拾い集めるバーテンダーの男を含めた4人は、大学時代に所属していたゴシップサークルの同期であった。


大柄な男の名は和幸(カズユキ)、女は絹枝(キヌエ)、そしてバーテンダーの男は鉞 金次(マサカリ カネツグ)と言い、其々が過去に起きた凶悪犯罪の犯人と同姓同名であった。


特に金次は珍しい名前な上に、漢字まで一緒であった為、成人後に起こした裁判にて事情が鑑みられ、名前を変えて今は康司(コウジ)と名乗っていた。


そして今日30歳を迎えた男の名は、哀原 十四章(アイハラ トシアキ)であり、鬼退治事件の犯人と名字の漢字こそ違えど、名前はピッタリ同じ同姓同名であった。


「それにしてもムギは…」


4人は大学時代から、其々の名前の性質上、それとは全く関係の無いあだ名で呼びあっていた。


和幸は声も体も大きいから〝ダイ〟で、絹枝は動きが倒れた後の独楽の様に騒がしかったため〝コマ〟と、そして康司は名前を変えたが昔の名残りのまま物静かな〝セイ〟。


そして十四章は初対面時に何故か麦藁帽子を被っていたインパクトがそのまま採用され、皆に〝ムギ〟と呼ばれていた。


この小説も、以後この4人目線に呼び名を変えることとする。


「結局名前を変えずに30になったな。

セイちゃんは大学在学中には変えたってのに」


「そうね。

私やダイは事件自体が随分昔だし、漢字も違うから特段社会生活に支障は無いけど、ムギは今でも言われるんじゃない?」


ダイとコマを安心させるように、ムギはのうのうとした態度で答えた。


「俺は仕事柄得する事が多いからね。

名前を覚えられてなんぼな商売だし、なんであれば悔しいけど、この名前のお陰で繋がった仕事もいくつかあるよ」


それも確かだなと2人は納得した。


ムギは有名ゴシップ誌のライターであった。


「セイちゃんもムギも羨ましいぜ。

2人は大学時代のまま、生き生きとゴシップを楽しんでる感じだ。

俺達は今や、低俗で価値の無い芸能ゴシップに囲まれたしがないサラリーマンさ」


「ちょっとアンタと一緒にしないでくれる?

私は今でも本を読み漁ったりなんかしながら、未解決事件なんかを追ってるわ。

まぁ確かに趣味の範疇ではあるけどね」


クスクスと2人のやり取りを笑った後、セイがか細い声で話し始めた。


「ムギはそうかも知れないけど、僕は大した事無いよ。

ただの小さなバーの店主さ。

お客の相手をする為に、しょうもない記事やワイドショーにも目を通さなきゃならない。

いざ仕事となれば、大好きなゴシップも詰まらなくなる。

特に僕が好きなのが歴史ゴシップだって知ってるでしょ?

お客が話す時代劇や歴史うんちくの話題なんて、僕からしたら地雷原の真っ只中さ。

それでもグッと堪えて、気持ち良く酔って貰う。

思ってるよりも中々に、堪えるものだよ」


「確かにそもそもダイには無理ね。

あんただったらすぐ指摘しちゃうでしょ?

目を輝かせながら。

(それは実はこうなんですよ!)って」


コマの皮肉にダイは反論せず、頭を抱えた。


「やめてくれ。

つい最近やっちまったばかりなんだよ。

良くしてくれてる商談先の社長と呑みに行ってな。

社長がやたらとA教団の話をしてくるから、ランクの話題が出た時つい親身になって忠告しちまったんだ。

(そこの教団は気をつけた方が良い)ってな。

その呑み以来音信不通さ」


ダイは大きく溜め息をついたが、コマは手を叩いて喜んだ。


「ダイの前で宗教の風呂敷を広げた、その社長が悪いよ」


ムギはダイを庇って続けた。


「よりによってA教団とは。

御嵩 一順(ミタケ カズユキ)の話はしたんだろ?」


これは戦後の日本でその名を轟かした宗教犯罪人の名で、ムギの〝十四章〟と似ており、今でははその考え方の断片が抽出され、一部でヒーロー化している人物であり、ダイの同姓同名であった。


更にA教団とは、この御嵩 一順の考えを教訓に取り入れた新興宗教であった為、ダイがその社長に忠告するのは極自然な事であった。


「そもそも俺と仲良くしてくれてたのが、この名前って訳さ」とダイは悄気て見せたが、すぐに声色を明るくした。


「まぁでも今日はムギの誕生日だ。

俺の愚痴なんてのはどうでも良いんだよ。

30歳の目標でも話してくれよ」


「目標って訳でもないんだけど…」


ムギは全員を順番に見やって、少し深刻な面持ちで、自らの意を決する様に語り出した。


「実は次の仕事が決まってな…。

そいつが俺の人生を変えるかも知れない大一番なんだよ」


ここでまたムギは全員を順番に見やった。


「極秘中の極秘だから、正式に記事になる迄黙って要られるか?」


勿体ぶるムギにダイは「言わん!」コマは「早く!」と焚き付け、セイは静かにムギを見つめ続けた。


「実は今度俺の企画が通ってね。

死刑囚の取材に行くんだ。

相原 十四章の」


三人は目を大きく広げて、同じ顔で驚いた。

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