ハラス・メメント

〜カフェ・ハラ〜

　ロサンゼルスの中心部から少し外れた場所に、そのコーヒーショップは店を構えていた。

『liberation（リベラシオン）』と名付けられたカフェは、黒と白を貴重にしたチェック柄の内装に、壁に施されたステンドガラス調のチープなタイルが、窓から射し込む光を様々な色に変えて映していた。

カフェの１番奥の暗がりで、ジェームズはパソコンを開き、珈琲を相棒に黙々と作業をしていた。

新たな来客の音が鳴り、ジェームズの前に１人の青年が現れた。

ジェームズ

「やぁイシマツ。

こんな所まで追って来たのかい？」

イシマツ

「驚きましたジェームズさん。

たまたまですよ。

私はこの街に慣れる為に、カフェを巡っているだけです」

ジェームズ

「余りこの奥まで行くなよ。

日本人の事が〝大好き過ぎる〟奴らもいるからね」

イシマツ

「マイアミにも有りましたから、分かってますよ。

邪魔じゃなければ前に座って良いですか？」

イシマツの伺い立てを、ジェームズは爽やかに首を傾けて承諾した。

近くには博物館やスポーツ施設を有した巨大な公園があり、二人はそこに隣接された南カリフォルニア大学で音楽を教えていた。

イシマツはフロリダから今年引っ越して来たばかりの新米で、慣れない街の事を教えてもらうのに、ロサンゼルス生まれの大先輩ジェームズには助けられていた。

イシマツが対面に座ると、ジェームズは広げていたパソコンを閉まった。

ジェームズ

「丁度仕事に目処が立った所だ。

たまには人と話すカフェの過ごし方でも愉しむよ」

イシマツ

「ジェームズさんはなんでわざわざこのカフェへ？」

『liberation』は大学から少し離れたバーモント大通り沿いにあり、１０号フリーウェイの近くであった。

ジェームズ

「なんでかって？

そんなの決まってるじゃないか。

大学の近くにカフェがないからだよ」

イシマツ

「何を言っているんですか？

逆に大学の近くにこそ沢山のカフェがあるじゃないですか」

ジェームズ

「私の頭はあんな賑やかな場所を、コーヒーショップとは認知しないのだよ。

カフェとは静かで在るべきだ。

そう思わないかい？」

イシマツ

「それは確かにそうかも知れませんね。

私はいつもカフェで読書をするので、周りが煩いと良くありません。

このカフェは静かで落ち着いていますね」

ジェームズ

「良いだろう。

この時代の流れに置いていかれたデザイン。

開放的な店内に疎らな客。

カウンターの爺さんが死んだら終わる、目に見える終末感が漂っている。

ここは今私の理想に、最も近いコーヒーショップだよ」

そう言って店内を見渡しながら、ジェームズは満足気に珈琲を飲み干し、追加の一杯を注文した。

コーヒーメーカーの様な不躾な物は無く、高齢の店主が手作業でジェームズの注文を淹れていた。

店内には、新たに淹れられる珈琲と、店の歴史の香りが混ざった心地の良い風が流れた。

そんな店を、イシマツも気に入った。

イシマツ

「僕もこの店を使って良いですか？」

ジェームズ

「別に構わないが、毎度話し掛けないでくれよ？

私は基本カフェで過ごす独りの時間が好きなんだ」

イシマツ

「それは大丈夫です。

僕も本を読みたいですし、そのためにも僕はこんな暗がりではなく、窓際の明るい席に座らなければなりません」

ジェームズ

「それは気が合わないな。

あと…店内では決してサックスを吹かないでくれ」

イシマツ

「貴方がピアノを弾かない限り大丈夫です」

二人の実にくだらない会話は、カフェの雰囲気と見事に調和していた。

「カフェと言えば…」とイシマツは母国の時事ネタを引き出した。

イシマツ

「先週日本の友人と電話してたんです。

僕がロサンゼルスでカフェ巡りをして、街に馴染もうとしているって話をしたら、友人は今日本で『コーヒーショップ・ハラスメント』が流行してるって言うんです」

ジェームズ

「コーヒーショップ・ハラスメント？

いったいどういう意味だい？」

イシマツ

「日本では『カフェ・ハラ』って言われているらしいんですが、要するに〝カフェでの過ごし方を強制する〟嫌がらせですね」

ジェームズは呆れて笑いながらも、興味を示していた。

ジェームズ

「とんでもないな。

じゃぁ何かい？

私が大学近くのカフェに入って、店内の若者達に（お前達！カフェでは静かにするべきだ！）って騒ぐような感じかい？」

イシマツ

「少し違うけど似た感じですね。

例えば〝読書をする派〟〝勉強や仕事をする派〟〝会話を楽しむ派〟〝飲食に徹する派〟なんかが対立して、どれが正しいのかを言い争ってる感じかな」

ジェームズ

「おいおいイシマツ。

肝心の〝コーヒーの味わいと香りと共に、ゆっくりと流れる時間を愉しむ派〟は何処へ行ったんだい？」

イシマツ

「不思議と少ないみたいです。

ほら、若い日本人に〝ゆっくり〟が存在しないのはジェームズさんも知ってますよね？」

イシマツはアメリカで習得したジェスチャーを使いながら、戯けてみせた。

ジェームズ

「しかしそんなの店の店主が決めれば良いじゃないか。

（うちの店では勉強や仕事は禁止だ！）とか、（珈琲を頼まず長居する奴は帰れ！）とか。

直接言えないにしろ張り紙くらい貼れるだろ？」

イシマツ

「ジェームズさんは分かってないですよ。

日本でそんなことしたら（お客様を何だと思ってるんだ！客の自由だろ！）って人が溢れかえって、一躍全国ニュースです」

ジェームズ

「何だって？

お店様の自由は何処にあるんだい」

イシマツ

「そんなもの日本には存在しませんよ」

ジェームズ

「呆れたね。

読書をしたけりゃ読書が出来る店に行けば良いし、仕事をしたけりゃ私みたいに、少し離れたカフェに出向けば良いじゃないか。

でなければ店員に聞けば良い。

（珈琲１杯で２時間仕事するけど良いかい？）ってな」

イシマツ

「ジェームズさんの言う通り何ですけどね。

日本では今、喫茶店と、カフェと、コーヒーショップの概念がぶつかり合ってるんですよ」

ジェームズ

「…全部同じゃないか」

イシマツ

「そうですね」

二人は呆れ果てて互いに笑った。

　のんびりと珈琲を持ってきた店主に、ジェームズが「この１杯で明日まで粘るけど良いかい？」と訪ねたが、店主は「迷惑だ。閉店には帰れ」と微笑んだ。

「よし！」とジェームズは何かを思いついて、イシマツに顔を近づけた。

ジェームズ

「賭けをしようじゃないかイシマツ君。

この後入って来る客達が、このカフェで何をして過ごすのかを当てよう。

見事正解した奴にコーヒーを奢る。

どうだい？」

イシマツ

「楽しそうですね。

でも僕コーヒーでお腹タプタプになっちゃいますよ」

ジェームズ

「自信家だね。

まぁ奢るのはスナックでもスイーツでも何でも良いさ。

ここのアップルパイは格別だぜ？」

イシマツ

「そうなんですか？」

ジェームズ

「そうさ！

通り向かいの人気カフェ『fulffy（フルフィ）』の人気メニューさ」