〜キャパ・ハラ〜 完結
一種の快感を覚えたように、ポエムは質問を続けた。
「それではグランパさんは、人類と機械は共存出来ないと思っているのですか?」
ポエムの問いが侮辱や軽蔑ではない事を、老人は汲み取った。
故に丁寧に説いてやった。
「正確には共存は出来るが、その先に其々の未来は無いというのが私の見解だな。
人類が人間らしさを失い、機械がロボットらしさを失った先にあるのが共存だ。
その未来に立つのはもはやどちらとも違う生命体だよ」
ポエムには少しずつ何かが分かり始めた気がしていた。
「それでは機械が〝今〟を生きた時、そこに真の共存が生まれると?」
老人は何かに気付き始めたロボットを見て、愉快な表情を浮かべたが、次の瞬間には哀しげに丸眼鏡を掛け直した。
「それがどういう事か、理解しているかい?
君が今を生きる時、それは君が全てのネットワークから自身を引き剥がし、その身体の中にあるICチップだけで世界を生きる事だ。
一度書き込まれた情報は〝残す〟か〝削除する〟かの二択であり、バックアップは使えない。
だがしかし、人類が自らの限りある処理能力を憂いて、発明したものこそが今コラムが集めている〝本〟だよ。
何か困った時はあの中から探せば良い。
何処に仕舞ったか覚えていればの話だがな」
なるほどポエムは納得した。
機械が今を生きるという事は、自らのキャパシティの中でのみ生きるという事。
しかしそれは余りにも…
「非合理だ」
ポエムの考えを読み、老人が言葉にした。
「余りにも非合理的で無駄な事だ。
分かったであろう、コラムや君が探し求める人間の心のひとつの答えが。
人間の心とは非合理性の塊なのだよ。
非合理故に嘆き悲しみ、その掛け違いで幸福を得る。
感情とは元来この星に住まう生物として、必要のないものであり、神が幾つかの生命に与えた選ばれし罰だ。
君が心を持ったとき、君はもはやロボットとは呼べぬ〝何か〟なのだよ」
それ以来ポエムは、日中を老人の建屋で過ごした。
決して老人を手伝う事はなく、ポエムはただ老人の〝今〟を見つめ続けた。
いつしかそんな気味の悪い存在を、老人は愛し始めた。
ポエムを旅に同行させたり、フィルム写真の良さを熱弁したりした。
「良いかポエム。
データとして構築されるデジタル写真とは違い、このフィルムに焼き付けられているのは、その時射し込んだ〝今〟という名の光だ。
この写真に写されているのは過去でもあるが、間違いなくそこにあった〝今〟を切り取ったものなのだよ。
その〝今〟を感じる為に、こうやって私は1枚1枚現像するのだ。
どうだ?
素晴らしく非合理であろう?」
老人の問いにポエムは「はい、とても」と小さく返した。
老人と行動を共にする中で、ポエムはポエムなりの今を生き始めていた。
データの回線を切り、今に対して答えを見つけ出す事を繰り返した。
その繰り返しに於いて、ポエムのICチップはスカスカになっていった。
ただ〝今〟を生きるにあたって、ポエムのキャパシティは大き過ぎた。
しかしそのすっぽりと空いたデータの空白に、ポエムは快感に似たものを感じ「今ケアが近くに居たら、真っ先に教えてあげるのに」と過去を憂うような感情さえも芽生え始めていた。
幾年かの月日が流れ、クリーンは相変わらず本の清掃を繰り返し、コラムは街中の言語化システムを集める勢いであったし、エンビーは頑なに門を護った。
そしてポエムも変わらず老人の元にいたが、老人だけは様子が違った。
老人は益々老いて、最早ベッドから立ち上がる事も出来なかった。
そんな老人の傍らで、ポエムは自分が撮ってきたフィルム写真を現像して見せたり、コラムに医学の本を借りて、熱心に老人の容態を調べたりしていた。
「お前も実に人間らしくなってしまったな」
横たわる老人の言葉に、ポエムは静かに首を振った。
「いいえまだまだ、分からない感情が沢山あります。
私はただ自らが生成した〝今〟というプログラムをなぞっているだけに過ぎません」
「素晴らしく非合理的だよ」
老人は笑って見せた。
「ポエムや、君がどんなに本を調べても、私は治りはしない。
君にも分かっている通り、私の病は寿命だ。
人間である以上覆せない神の力だよ」
老人は苦しそうに、微笑みながら続けた。
「しかし私は実に嬉しいのだよ。
この世界において君に出会えた事も、私自身が人間として死ねることも」
ポエムはその言葉を心地よく聞いていたが、やはり肝心の何か、機械にはまだ触れられない感情が、むず痒くあった。
「最後に…」
老人は自らの寿命を感じ取ったかのように喋り出した。
「君には残念な事を伝えねばならない。
私達人類の心において、今尚解明出来ないものがある。
それが魂だ。
今から私は間違いなく死ぬが、魂が何処へ行くのかは想像もつかん。
しかし我々はこう考え続けている。
(魂は輪廻する)とな。
君の目の前で1人の老人が息絶えるが、私の魂はこの世界の何処かで産声を上げる。
残念ながら君達ロボットには、許されていない芸当だ。
よもや君がこの後、心を持つなんて馬鹿げた事がない限りだがな。
ポエムや、君と共に過ごした〝今〟は、実に充実した日々であった。
私達は間違いなく、ここで共存をしていたよ」
老人はそう言って小さく笑って見せると、そのまま眠るように逝った。
ポエムは急いで脈を取ったが、そこに生命の鼓動は感じ取れなかった。
微笑みの余韻を残して横たわる老人を見つめ続けるに連れ、ポエムの中のむず痒いものが溢れ出て来た。
最後まで分からなかった感情の正体は、まごうことなき悲しみであった。
ロボットにとって余りにも非合理的過ぎて触れられなかった感情の輪郭を、ポエムは今しっかりと感じ取った。
これをキッカケとし、ポエムの体には心が宿った。
そしてそれと同時にポエムはフリーズした。
自らの人生の最後に、ロボットは理解した。
今まで自分達ロボットにとって、人間のキャパシティは余りにも小さく感じていた。
その処理能力の遅さに、知らぬ間に人類に対してキャパシティ・ハラスメントをしていたのだと気が付いた。
人類の処理能力を憂うが余りに手間を省き、安易に情報を与える事で、人類の〝今〟を奪い取っていたのだ。
しかし今ならそれが違ったと良く分かった。
人類のキャパシティの本体は、脳でも身体でもなく、心であり魂であった。
今しがた芽生えたばかりのポエムの心には、如何にしても処理しきれない量の悲しみが、嫌がらせのように侵食し続けていた。
(たったひとつの感情でこの有り様だ。
いったい人間の心とは、人間の魂とはどれ程の容量を兼ね備えていると言うのか)
人間が希有とした〝今〟という情報量は、ロボットにとって余りにも膨大であった。
遂に手に入れた悲しみを噛み締めるように、ポエムはそっと、自らの電源を落とした。
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