第2話
課長代理から注意を受け、主任からも苦言を呈され、先輩からも一言嫌味を言われ、ようやく解放された昼さがり。
解放、は嘘だ。何からも解放されてない。
私は午前中いっぱいを会社の色んな人から叱られることに費やしてしまったために、昼休憩を10分で切り上げて仕事に追われている。FAXという、今や消えつつある文明機器で送られてきた書類を手入力で電子データに変換するのだ。恐竜の化石を生きていた時代のように展示する作業みたいだと私は思っているのだが、そういった作業をひたすらこなし、入力した内容にミスはないかとセルフチェックをし、セルフチェックした内容に間違いはないかと更にダブルチェックを重ねる。
世間とは、社会とは、こんなしょーもないものの積み重ねによって動いている。私はこの数年、この作業をこの会社で実行して狭い世界を回し、お給料をもらっているのだ。
「野々上さん、来週あたまは締め日だから、支払いの金額は今日の分までくらいはきっちり合わせておいてね。また先月みたいにギリギリになって修正かけるのはごめんだから」
はいはい、ミスっちゃってごめんなさいね。
心の中で鼻ホジしつつ、表面上だけは恐縮しながらぺこぺこ謝る私は、シャルロット・ド・ラ・サントクロワではなくただの野々上さんだ。王太子みたいな婚約者も、いや、元がつくのか、まあそういうお相手もいないから、ミリーのようなか弱い女子に恋人を奪われる、なんていう事件も起きない素朴な現実を生きている。仕事や恋を生きがいにしていない分、絶望やら失望やらで心を乱されることはないので、体の絶不調とは裏腹に精神は元気だ。仕事にやりがいを感じない、自分にはもっと可能性が、そんな思いが頭をもたげた時代もあったけれど、今は特に何も感じない。その分、ビールと焼き鳥はたぶん世界の誰よりもおいしく感じている自信があるし、映画の中の世界も誰よりも楽しめていると思っている。
この程度でいいのだ。自分に価値を見出そうと躍起になって、承認欲求ばかりが不自然なとがり方をするよりは、自分含めた万物に存在価値などないと悟って日々のこまごました何かを楽しいと感じて生きる方が、私には合っている。
だから、と言うべきだろうか。私は、私が構築した世界に誇りを持っているが故か、あんなクソみたいな設定の夢を見たことが許せなかった。
本当に、マジで許さない。キーボードをたたく指に、つい力がこもる。
まず、たかだか王位継承権が一位なだけの王子ごときが自分の都合で婚約破棄するな。貴族や王族の婚姻は国や家の繁栄を目的にしていて、誰と誰を結婚させるかというのは、当人ではなくもっと権力のある人が決めるものだ。王様がエライ人でいられるのは多数派の強い取り巻きが支持しているからで、代々伝わる王家の血を受け継いでるからエライ! じゃ、世間が許しても私が許さん。あんなの処罰されるのはシャルロットではなく、お前とミリーになっちゃうだろうが。
あと、アサシンを舞踏会会場の一番目立つところに配置すな。しかもいじめをたしなめる正義漢な発言までするとかもう意味が分からない。ちゃんと忍べ。お国事情、身分格差、そういうのが相まった悲恋展開が一番そそるというのに、何を上流階級のやんごとなき人たちと同列に立って、一緒になってシャルロットを糾弾してるんだよ。
「それから、シャルロットのことだけど」
「まだあるのか……」
「私、爵位のある家の生まれなのよね? 階級は何なの?」
「あー……えっと、公爵、家の」
「ええー、とりあえず高め設定しとけ的なのやめてよ」
「せ、設定?」
「それにさ、仮にも公爵家の娘をほったらかして男爵令嬢に走る王太子とか、国家を背負う王族の自覚なさ過ぎてマジで無理ってなっちゃうじゃん。ツラがいいだけの頭よわよわ将来性皆無な王子が次期国王なんて国民が知ったら、史実に残る革命起こしちゃうよ。だいたい、お金と権力大好きな悪役令嬢がそんなちっちゃな人間に執心すると思う?」
「……私との婚約を結んだ目的は、金と権力だったのか?」
「王家だってそうでしょ。つか王族の結婚なんて、国家安泰と永年存続以外の目的はないはずだよ」
「そ、そんなわけあるか! 私は愛をもって伴侶を」
「お黙りなさい。ここは私の統べる世界です。私の設定に文句をつけるのは許さない」
「……」
「空想に現実を持ち込むのはナンセンスなのかもしれないけど、もうちょい現実味を持たせてほしい。ファンタジーをよりリアルに感じるためには必要な味付けだと思うのよ。言っている意味分かる?」
「ええと……はい、すみません……」
「ミリーはそのリボンだらけの変なドレスとツインテはやめてね。可愛さと純粋さアピールのつもりかもしれないけど、3歳児みたいで非常に萎える」
「それ分かる。とりあえず不快感を与えてごめんなさいとは言っておくけど、それはホントに分かる」
終電ギリギリ間に合ったおかげで家での就寝に成功した私は、夢で昨日の続きを見ることにも成功していた。一瞬、こんなことある? と思ったけれど、これはチャンスと捉え、設定の甘さを指摘して詰めまくることにしたのだ。現実で色んな大人に怒られたことによってたまったフラストレーションを、今ここで発散させて頂こうという魂胆もありつつ、私の世界に修正を図っていく。
そう、ここは夢の世界。私が唯一自由にどうこうしていい場所だ。
ミリーとはちょっと仲良くなれそうな予感を覚えながら、主要な登場人物の顔を一人ずつじっくりと見定めていく。ベクトルがそれぞれ違うイケメンと不思議美少女、そして私が主要な登場人物、ということは昨日の時点で分かっている。次は舞台となっているこの国の立ち位置、周辺諸国との関係性を知る必要がありそうだ。
「ちょっと、そこのアサシン」
「へっ、ま、また俺っ?」
「そうまたアンタ。アンタここに何しに来たの」
「そ、それは……国家機密だから言えない」
「ふーん。ま、王太子の暗殺ってところかな?」
「っ!……いや、それは」
「表情に出すんじゃない素人め。暗殺稼業に就いて何年になるのよ」
「あー、えっと、6歳からやってるから……」
「だからいちいちバカ正直に答えなくていいんだって……。もうアサシンやめて観光客役にでもなった方がいいよ。向いてないよ今の仕事」
「それよく言われる」
「あ、そうなんだ……なんかごめんね核心突いちゃって。で、遠い東の国は」
「パライソ共和国ね」
「そうそう、その共和国は、我が国の転覆計画を実行しようとしているの?」
「目的は知らない、聞く必要ないからさ。とりあえず王太子殺して別の王子を立太子させて来いって命令受けてるから、それに従うだけだよ」
「自分の立場をちゃんと理解してるのはポイント高いね。なんか素直で可愛らしい雰囲気だから、人から情報引き出すのには有利そう。スパイに鞍替えするっていう手も……え、待って。王太子さま、兄弟いるの?」
「エルダーニア国王の正統な血筋としては、私しかいない。庶子となると、両手の指だけでは数えきれないほどいるかもしれないがな」
「ああ、現国王がそういう感じか……つかここエルダーニアっていうんだ」
愛人に子供生ませまくって継承権争いの火種をばら撒く現国王と、愛に走って国の存続を二の次に置こうとする王太子。なんかこの感じだと、パライソ共和国が頑張らなくてもエルダーニア王国は勝手に潰れて滅んでいきそうな気がする。
「隣国王子的にはどうなの、エルダーニアは」
「我が国は緑豊かなヴェルデ王国だ。ゆめゆめお忘れなきよう」
「うんうん、で、どうなの」
「エルダーニアは歴史の長い国家だからな。属国も多く抱えているし、国力で言えば周辺国の中でも飛びぬけて高いと言える」
「意外に高評価なんだね。てっきり弱点でも見つけて戦争仕掛けてやろうとしてるのかと思った」
「それはない。私が言うのもなんだが、ヴェルデ王国は建国からまださほど経っていない弱小国家でね。農業くらいしか取り柄がなく、軍も貧弱だ。山脈を挟んだ隣国のミリディア帝国に領土を狙われていて、援助を受けるために今夜の夜会に出席したんだ」
「詳しい解説とお国事情晒してくれてありがとう。その情報公開はけっこう致命的だったりしない?」
「隠したら隠したで、無理やり聞き出そうとするだろう?」
「状況判断の能力は高いとみた。たぶん、ヴェルデ王国は大丈夫だよ。少なくともウチよりは将来性あると思う」
「お褒めにあずかり光栄です。援助はしてくれるかな」
「うーん、エルダーニア王国としては私は関与できないけど、公爵家としては相談に乗れるかも。お父さんに聞いとく。……王家に文句は言わせないから安心して」
「なんと、それは大変心強い! 良いご返事、お待ちしております」
王太子を横目で威圧しながら、なるほど、と思った。サントクロワ公爵家は他国からも認識されていて、弱小国家程度なら後ろ盾になれるくらいの権力があるらしい。階級だけ高くて実力の薄い貴族もある中で、名実ともに申し分のない公爵家……そりゃ王家が婚姻関係を結びたがるわけだ。
「さて、次の人ー。君はどこの家の生まれ? 領土持ち?」
「トゥール伯爵家です。大蔵卿のサントクロワ家と同じく宮廷貴族というやつでして、領土は持っておりません」
「へえー……お父さんが騎士団長とかかな」
「ご存じでいらっしゃいましたか。私も兄の従騎士として騎士団に所属し、修行の日々を送っております。この夜会には結婚相手を探しに参りました」
「ミリーをお嫁さんにとは考えなかったの?」
「私は次男ですし、結婚相手の家柄は比較的寛容に見てもらえる立場ですから、そうなってくれたら私としても一番良かったのですが、何せ王太子殿下が相手なもので……。将来的に殿下の臣下になりうる兄のためにも、私が横恋慕するのは宜しくないかと」
「切なくていいねぇ。それに家の今後のことも考えられる、しっかりしたご令息じゃないの」
「恐悦至極にございます。宜しければ、サントクロワ家の婿としていかがですか」
「向上心も高めだね! 検討の余地はあると思うから、お父さんに話しとく」
「ありがとうございます!」
あ、でもそうなると結婚するのは私ということになるのか。現実世界では浮いた話の一つもないのに、夢ではこうも簡単に婚約者候補が上がるなんて……。生きるって、何かと厳しいなあ。
つか、さっきから感じてたけど、王太子以外はけっこうちゃんとしてるんだよね。これならこの世界でのあれやこれやを楽しめそう。ストーリーの骨組みと方向性、今後の私の悪役令嬢としての細かな立ち回りをもうちょっとしっかり確立させるためにも、次はミリーのことを詳しく聞きたい……ところだけど。
「じゃあまあ、今日のところはこれで解散ね。お疲れさまでした」
「お、おい、ちょっと待て。話はまだ終わっていないのだぞ」
「分かってるけど、私はそろそろタイムリミットなの。アラーム鳴ってるから起きないと」
お説教タイムのせいで、昨日残業したにもかかわらず仕事を終わらせることができなかった。しわ寄せの後始末は自分でするしかなくて、昨日の残りと今日の分、きちんと片付けるには少し早めに出社しないといけないのだ。
「……5時半」
アラームを止めたスマホを持ったまま、むくりと体を起こす。いつも通り、貧血+低血圧由来の目眩がくると思っていたけれど、今日はなんだか調子がいいらしく、すんなりとベッドから足を下ろすことができた。
「今日は定時で帰れますように」
体調の良さにあやかって、願掛けもしておく。こうやって口に出すことで気の持ちようが変わってうんぬんかんぬん、みたいな話を聞いたことがあるから、意外とこの願いは叶っちゃうかもしれない。
悪役令嬢に転生したOLですが王太子に婚約破棄されたので、適当にざまぁしてスローライフを送ります、という夢を見たんだ 四ツ橋ツミキ @utakane_azuma
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