悪役令嬢に転生したOLですが王太子に婚約破棄されたので、適当にざまぁしてスローライフを送ります、という夢を見たんだ

四ツ橋ツミキ

第1話

 いつからだろう、仕事で疲れるのなんてデフォルトで、いちいち口に出して事実確認するようなものでないとしたのは。ぼやける視界、はっきりしない頭、おもりを付けたかのような四肢。それらを引きずってやっとの思いで帰宅したら、空っぽの胃袋に適当にご飯を詰め込んで、シャワーで適当に体を清めてから、ベッドに入る。ただ毎日それを繰り返していく中で、私は自分が弱っていっていることに気付けなかった。

 体がだるい、まあいつものことか。頭が痛い、そんなのずっとそうじゃん。

 少しずつ、少しずつ、摩耗していく命。そのスピードが、常人のそれを遥かに凌駕していることに、私はちゃんと気付いてあげられなかった。


「シャルロット・ド・ラ・サントクロワ! 今この場を以て、貴様との婚約を破棄する!」


 バッ! という効果音が付きそうな勢いで掲げられた右手。その手のひらはボルドー色のカーペットに跪く私の方に向けられており、ああ、婚約破棄されてるシャルロットというのは私なんだと思った。


「ミリーが自分より身分の低い男爵家の令嬢であるのをいいことに、悪逆非道の限りを尽くして苛め抜いたそうだな!」


 そう言いながら、艶やかなピンクゴールドの髪の少女を、左手でそっ……と抱き寄せる。リボンのたくさんついた子供っぽい意匠のドレスがよく似合う、怯えた表情の可愛らしいその子はミリーという名前らしい。


「貴様を淑女の鑑と褒めそやす取り巻きどもの目は誤魔化せても、私は騙されんぞ! 王都から追放だ、いや修道院送りにして監禁か!? 何でもいい、今すぐ私の視界から消えてしまえ!」


 跪いた姿勢のまま、私はそっと両手をこめかみの辺りにあてがう。私の姿は、愛する人に自分の悪事を衆目に晒されながら詳らかにされ、茫然自失しているように見えたことだろう。


 でも、真実はそうではない。


 なんだここは、である。


 学生の頃、歴史で習った”バロック様式”という言葉が自然と思い出されるような、絢爛豪華な大広間。等間隔に並ぶ柱は栓抜きのような渦巻きがねじれ上がったデザインになっていて、体育館でよく見た緞帳みたいなカーテンがドレープを描きながら垂れ下がっている。びっくりするぐらい高い天井からぶら下がるシャンデリアは、おそらく時代背景的に蝋燭を光源としたものだと思うけれど、その割に室内は昼間のように明るい。


「衛兵! 王太子の名のもとに命ずる! この者を捕らえよ!」


 さっきから語尾に”!”を付けないと喋れない私の元婚約者は、王太子らしい。


「シャルロット様、お願いです! これまでの過ちを謝罪してください! そうすればきっと、レオナルド様も命だけは助けて下さるはずです!」


 王太子はレオナルド。男爵令嬢はミリー。そして私はシャルロット。

 流れ的にここで思い出すべきは、これがゲームの世界であるということなのだろうと空気読めちゃう私は考えた。週末の唯一の楽しみだった、貴族社会を力強く生き抜く男爵令嬢が主人公の逆ハーレム系恋愛シミュレーションゲーム。聖女の力を秘めた身分低めのミリーは、王太子レオナルドの婚約者という立場をカネと権力を駆使して手に入れた悪役令嬢、シャルロットから心理的、肉体的抑圧と攻撃を受けていた。辛い日々の中でも明るく元気に振舞い、それぞれ苦悩を抱えた王太子プラスあと何人かの貴族の令息やら隣国の王子やら遠い東の国のアサシンやらの傷を癒していくのだ。で、私は過労が原因でゲーム途中に気を失いそのまま絶命、主人公ではなく悪役令嬢シャルロットとして生まれ変わったという流れだろう。

 困ったことが一つある。

 私、こんなゲームやったことない。実在してるのかすらも知らない。

 ビールのロング缶と焼き鳥、それを味わいながら映画数本見るのを週末の楽しみとしてきたのだ。ゲームに興味がないわけじゃないけれど、ビール焼き鳥映画の時間を削ってまでやりたい代物ではない。それなら小説の世界に迷いこんだのかとも思ったけれど、私はノンフィクションや趣味実用書しか好まないから、多分それも違う。

 周囲の情報を精査して、自分の記憶も探れるだけ探った結果、なんだここは、に戻ってきてしまった。


「何とか仰ったらどうなのです、サントクロワ嬢。ミリーがとりなしてくれているというのに」

「ここが我が国で、私が王位を継承した身であれば、即刻処刑にするところだ。だがミリーが……」

「そうだぜ。アンタみてーなヤツ、俺が手にかけても良かったんだ。でもミリーが……」


 令息も王子もアサシンも、王太子たちの後ろに横並びになって私を非難している。貴族の令息と隣国の王子はいいとして、遠い東の国のアサシンはそこに並んだらダメじゃん、闇に潜んでなきゃダメじゃん。そんなことばかり気になってしまい、私はミリーに謝罪する機会を失ってしまっていたようだった。


「命乞いでもすれば、ミリーの言うとおり情けをかけてやっても良かったのだがな! 厚顔無恥かつ愚鈍であることを悔やみながら地獄へ落ちるといい!」


 あれ、私って王都からの追放か修道院送りじゃなかったの? 周りの殺意高めな口上に感化されちゃって死刑にしようとしちゃってますけど。あと衛兵呼んだのけっこう前だけど、まだ来ないの?


「シャルロット様!」

「シャルロット・ド・ラ・サントクロワ!」

「サントクロワ嬢!」


 ああもうなんかよく分からないけど、この世界観はマジであり得ない。これ何世紀設定? 国はどこ? 異世界で魔法が使えるから、蝋燭だけのシャンデリアでも部屋が明るいの?

 メタな疑問が脳内を駆け巡る。転生先の自分の名前がバックグラウンドミュージックみたいに繰り返し叫ばれて、広間に集まっていた他の貴族たちのざわめきと溶け合っていく。少しずつ白んでいく視界、そのスピードに合わせて遠のく騒音――。


「……」


 無理やり押し上げた瞼が、やや痙攣している。その不愉快な感覚は、自分の疲れが取れ切っていないことを示していることに気付きながらも、もう一度目を閉じて眠ろうという気にはなれなかった。

 軽く息を吐いて、体を起こす。サイドテーブルに置いたスマホが示すのは、8時40分という時間。


「遅刻だ……」






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