第17話 イグニスの驚き
「セラフィさん、面会の方がいらっしゃっています。庭でカリナ先生とランス達がお相手していますよ」
寮に着くと、寮の管理をしてくれているおばさんが声を掛けてくれた。
「庭って……」
「セラフィさんのお庭ですよ」
「セラフィ様のお庭ですか?」
不思議そうにアレクシスがセラフィを見つめている。
「えっと……魔術で季節とは違う花を育てているんだ。風の魔術は攻撃魔術がほとんどだから、何か生産性のあることができないかなと思って。一人じゃ無理だけど、カリナ先生や他の友人にも協力してもらって……」
「セラフィ様……」
「アレク、僕。アレクが他の人と結婚していると思ってたから、学園に残ることも考えてたんだ――」
「教育者としてですか?」
「水の魔術師は多いけど、風はほら……あの最低最悪の男が筆頭だったくらいだし」
セラフィの最初の魔術教育を施したネグレスのことを言うと、アレクシスは目に見えて剣呑な気配を漂わせる。ゾクッとして、セラフィはとっさにアレクシスの腕を掴んだ。
「セラフィ様?」
「アレク、アレクが僕を護ってくれたから。僕はもう、あの男を前にしても怖くないよ」
アレクシスはギュッとセラフィを抱きしめてくれた。正直な話、ネグレスのことなんて思い出しもしなかった。セラフィの心に傷をつけられるのは、弱い者苛めしかできないあんな男ではなくて、家族やアレクシス、師匠たちや友人たちのような心の中の大事な部分をしめる者達なのだ。
「強くなりましたね。私は少しだけ寂しいです」
「寂しいの?」
「セラフィ様の役に立ちたいのに頼ってもらえません」
「料理のこと?」
「フレッド隊長の忠誠も受けてしまわれたし」
「駄目だった?」
「いえ、誇らしいです。でも少しだけ寂しいんです。嫉妬深い男で申し訳ありません」
目尻を下げて、自嘲するように笑ったアレクシスにセラフィは思わずキスをした。軽い触れるだけのキス。
「僕だって、嫉妬してる」
ネグレスがつけた心の傷なんて吹き飛ぶほどの大きな傷だった。兄イグニスへ嫉妬していた。誤解だったと知っても、まだ傷口は血を滲ませている。
「アレクが僕以外の護衛騎士になったこと、まだ……」
「許せませんか?」
「許すとか許さないじゃなくて……。アレクが僕にするように、していたのかなと思うとモヤモヤする」
一緒におやつを食べたり、散歩したり、絵本を読んでもらったり、寝かしつけてもらったりした。お休みのキスは、くすぐったくて温かい思い出だ。
「私がセラフィ様にするように……? 同じわけがありません。主と一緒におやつを食べたり、普通はしません」
「そうなの?」
「後ろで控えているのが普通です。手も繋ぎませんよ」
驚いてアレクシスを見上げると、少し恥ずかしそうに笑う。
「今思えば、護衛騎士としては失格でした」
「ううん。僕の護衛騎士は最高だったよ」
「そう言ってもらえて嬉しいです」
何だか恥ずかしくなって、思わず脚が速くなる。
寮から少し離れた場所に庭を作った。今の時期ならばマーガレットやスイセンが咲いている。
セラフィの作った庭は魔術の壁があるので、外に音が漏れない。入る瞬間、そこが魔術で作られた空間ということが魔術師ならばわかるだろう。アレクシスは少しだけ感じたようだ。何か魔力がなくても使える魔術具をもっているのかもしれない。
笑い声が聞こえた。ドクンと心臓が大きく鳴ったような気がした。
兄がそこにいる。思い出の兄より大きくて男らしい。
「に……」
セラフィは『兄様』と呼ぼうとして慌てて口を閉じた。
何と呼べばいいのかわからない。もうセラフィは王族ではなく、臣下に降りた。
それに、イグニスに会った最後の時酷い言葉を投げつけたことを覚えている。
『兄様はずるい! お父様もお母様も一緒にいるのに! アレクまで――酷いっ』
大事にしてくれていたのに。大好きなのに。セラフィに八つ当たりされて、イグニスはきっとショックを受けただろう。
イグニスの穏やかな笑みに励まされるように、セラフィは膝をついた。
「セラフィ様っ」
アレクシスが驚いたような声を出す。構わずセラフィは臣下としての礼をとった。
「殿下、お待たせいたしっ」
セラフィの言葉はイグニスが飛びついてきたことで中断された。
「セラフィ! 大きくなった。あんなに小さかったのに。立派になった」
強く抱きしめられて、セラフィは泣きそうになった。
「ふっ……う……」
声にならなくて、イグニスの身体を抱きしめ返した。
「兄様と呼んでくれないのか?」
「にぃ……様」
「そうだ、セラフィ。兄様に顔を見せて。強くなったと聞いた。とても優秀なのだと皆が褒めていたぞ。兄様は誇らしい。セラフィ、セラフィ!」
周囲から「え?」「恋人じゃ……?」「兄?」という声が聞こえた。小さな声でもセラフィは拾ってしまうのだ。イグニスの身体越しに視線が合った友人達の戸惑う顔をみて、どうして一緒にいるんだとセラフィは冷や汗を掻いた。
「あなたたち、ここのことは他言無用にね」
「「「はいっ」」」
そそくさと庭から出ていく友人達にセラフィは心の中で謝った。驚かないはずがない。既にイグニスは王太子として視察に来たことがあるのだから。
「セラフィ様、お目々が溶けそうですよ」
後ろからアレクシスがそう言って、ハンカチを差し出してくれた。
「兄様……、どうしてまだいるんですか……」
セラフィは嬉しい兄との再会であるにも関わらず、思わず愚痴をこぼした。
友人達にはいずれ話そうと思っていた。けれど、今じゃないはずだった。
「酷いぞ、セラフィ。感動の再会だというのに」
「兄様は、何でももったいぶり過ぎだと思います」
「カリナ、セラフィが――。可愛いセラフィが毒を吐いた!」
「お茶を淹れますね。セラフィ、こちらへいらっしゃい。アレクも座ってちょうだい」
カリナはそう言って、紅茶を淹れた。侍女の経験をもつカリナの淹れたお茶はとても美味しい。飲むと少しだけホッとした。
「さて、セラフィ。アレクシスのことは捨てたのか?」
「兄様!」
「私はてっきり勝手に学園への入学を決めてしまったことにショックを受けたんだと思っていたのだが……。セラフィに拒否されて、私も父様達もずっと苦しかった。学園に入学するということは王族から抜けなければならないし、急激に増えた魔力のせいで、次の歳くらいでと思っていたのが急遽早まってしまった。しかもセラフィの護衛騎士であるアレクシスが私の護衛騎士へと変わってしまった。それでセラフィは怒ったのだと思っていたんだ。誰の手紙も読んでないと聞いて、それほどまでに傷つけたのだと……」
「……僕、アレクの結婚相手が決まったと聞いたんです」
「うん……? あの時か?」
イグニスが首を傾げる。
「はい。相思相愛の人と結婚するために兄様の護衛騎士のほうが箔がつくから、僕の護衛騎士を辞めるのだと」
「相思相愛なんて、お前しかいないじゃないか!」
イグニスの顔が引き攣った。
「僕はあの頃離宮の中しか知らなかったから。離宮にいないときのアレクが誰と付き合っていてもわからない」
セラフィは情報を得るすべなどなかった。
「……まさか、お前は傷心であんな傷を負ったのか? その後もずっと――」
「だれもアレクが婚約者だなんて言わなかったじゃないですか」
「カリナ?」
息を飲んでから、イグニスはカリナを見つめた。カリナが告げているはずだと思っていたのがわかる。
「私もセラフィに話すようにと命じられていません。あれほど学園へいく話をするときは慎重にしてほしいとお願いしましたのに。私や師匠のいないところで傷つけて……。セラフィが制御を覚えていなければ。あなた方を何としても護ろうと思わなければ、セラフィも殿下も死んでいたかもしれないのですよ!」
普段冷静なカリナの静かな怒りを感じて、イグニスは静かに目を閉じた。
「カリナ先生は知っていたの?」
「婚約者に決まったということは聞いたわ。ただ意地悪で話さなかったわけではないの。私は当然、婚約が決まったことと学園へ行くことになったことは一緒に話していると思っていたのよ。アレクシスや家族と離ればなれになることがあなたには受け入れがたい問題だったと思っていたから。あなたはこの学園に来たとき、必死に自分で立ち上がろうとしていた。気付いたのは、あなたがしっかりと立ち上がり、自分の居場所をこの学園で築いた頃だったわ。でも言えなかった。成長したことでさらに強い魔力を手に入れたあなたを、アレクシスもいないここで混乱させたくなかったの。アレクシスやご家族には自分で責任をとってもらいたかったこともあるけれど」
カリナはずっとセラフィを庇い、導いてくれた。最後の言葉は、イグニスやアレクシスに言いたかったのだろう。どれほどもどかしかったか、想像に難くない。
「カリナ先生、ありがとうございます」
「セラフィ、あなたは本当に頑張ったわ。胸を張ってご家族に会いにいきなさい」
「はい。兄様、一緒に帰っていいですか?」
「もちろんだ、セラフィ。父様も母様も喜んでくれる」
イグニスは心からの笑顔をセラフィに向けた。
「兄様、いつもそんな笑い方をすればいいのに」
優しそうで、とても素敵なのに。
「セラフィ、イグニス様の笑顔は処世術なのよ。爽やかに笑うと男も女も皆ばったばったとなぎ倒すほどの威力なのよ」
「でも何だか悪巧みしてるみたいなお顔で笑うと居心地悪い」
「悪巧み……」
「しかも悪巧みでない方で笑っても、落としたい女性は落ちませんからね」
「アレク!」
「え、落としたい女性がいるんですか」
「セラフィ、私をなんだと思っているんだ」
少し赤い顔を隠すようにイグニスは手で顔を覆った。僅かに見えた目の動きで、カリナの方を見ているのがわかる。
「凄いです、兄様。僕、全然気付かなかった……」
カリナは涼しい顔で、お茶を飲んでいる。これでわかるはずもない。
「セラフィが幸せになってからでないと、カリナは求婚すらさせてくれない」
情けない兄の泣き言を初めて聞いたセラフィは、ニッコリと笑った。
「卒業してからですね。がんばってください、兄上」
応援するとは言っていない。言っては何だが、セラフィにとってはイグニスよりもカリナのほうが家族のようなものだ。大好きな姉を攫っていくなら、そこはやはり素敵な男性でないと許せないというのが弟としての心情である。
「セラフィが冷たい――」
中庭の涼しい空気の中、四人の穏やかな笑い声はいつまでも響いた。
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