第16話 剣を捧げたのは



 セラフィはアレクシスの馬に同乗した。行きは魔術師団へ進路を迷っている同級生達と一緒に馬車だったけれど、エドアルドも隊長のフレッドも止めなかったのでアレクシスが手を差し伸べてくれたので素直に握ったのだ。

 アレクシスは饒舌だった。セラフィが学園に行って一度も戻ってこなかったから、父や母がどれだけ寂しがっていたかを静かに話してくれた。アレクシスの声はやわらかく、静かで心地いい。

 うとうとしてしまったセラフィに気付いたアレクシスはギュッと腰に手を回して、後ろから後頭部にチュッとキスをした。


「寝てもいいですよ。疲れたんでしょう」

「夢かもしれないから……」


 眠って起きたら、アレクシスはいないかもしれない。そんな不安に襲われた。


「夢でもいいんです。でも目覚めたら私からの手紙を読んでくださいね」


 手紙には何が書かれているんだろう。


「アレク、好き……。夢でもいいから会いに来て……」


 こんな我が儘を言うのも久しぶりで恥ずかしい。子供に戻ったような気分になる。

 セラフィは手綱を握るアレクシスの左手の上に手を置いた。


「俺はここでずっと失恋を味わわせられるのか……」


 隣りで馬を走らせるディルの意気消沈した声が聞こえたのが最後だった。アレクシスの香りに包まれて、小さな頃を思い出しながら眠りについた。


 野営地につくと、魔物討伐隊の騎士達に命じられて学生は動かなくてはならない。もちろんセラフィもだ。魔物討伐達の野営地にテントをはり、簡単な食事を作る。


「セラフィはこっちで火をおこして、調理してくれ」

 

 アレクシスはお客様扱いとするとエドアルドが決めたにも関わらず、セラフィの側に控えている。


「火くらい魔術など使わなくても熾せる」


 そう言って火打ち石を使い簡単に火を熾し、セラフィの代わりに材料を切っていった。


「アレク、僕だって調理できるよ」


 アレクシスと離れたあの頃とは違うところを見せたいと思うセラフィは、ナイフを片手にまな板代わりの板を死守するアレクシスに困惑した。


「セラフィ様にそんなことはさせられません」

「……学園に護衛が付いてきちゃ駄目なわけがわかったよ……」


 セラフィは頑ななアレクシスと、どうする? と目配せし合う騎士達を交互に見てそう呟いた。


「アレク、僕も一緒に作りたいな」


 そう言って隣に立つと、アレクシスは調理台にしている机の前のスペースを少しだけ空けてくれた。アレクシスは変わっていない。


「セラフィ様は、玉葱の皮を剥いてください」

「懐かしいね。一緒に庭で調理の練習をしたよね」


 学園へ行くための勉強だったのだろう。庭園の一角でこんな風に野営をしたことが何度かあった。


「あなたは何でも自分でやろうとするので困りました」

「困ったの?」

「困りましたね」


 勉強のためなのだからいいことなのにどうしてだろうと思って首を傾げると、アレクシスは小さな声で「何でもしてあげたかったので。あなたが美味しいとか、凄いとかキラキラした眼差しで私をみてくれるのが嬉しかったんですよ」と言った。

 まだ暗くないから、セラフィは赤面と少し潤んだ目を隠すためにそこにあった五つの玉葱を一瞬でみじん切りにした。


「そんな細かい魔術制御もできるようになったのですね」


 皮も別になっているし、綺麗に小さな四角になった玉葱がまな板のうえで山になっていた。


「うん……、グスッ」

「玉葱が目に染みたのですか? 目を洗いましょう」

「ううん、大丈夫。すぐ治まるよ。ニンジンも細かくする?」

「擦ってはいけませんよ」


 ハンカチを出して、アレクシスがセラフィの目元を拭った。


「ありがとう。アレク」


 子供だから相手にされていないだろうと思っていたのに、アレクシスがセラフィを想ってくれていたのだとわかって嬉しかった。


「たまにはこんな風に野営も楽しいですね」

「うん、また一緒にしてくれる?」

「もちろんです」


 そんな風に楽しく調理を進めていたら、隊長のフレッドがやってきて「あまり見せつけてくれるな。ここは独身者が多いんだ」と怒られた。

 魔物討伐隊に独身者が多いのは、やはり危険な仕事だからだろう。

 シチューとパンだけの簡素な食事なのに、アレクシスと一緒に食べるだけでどんな豪華な料理より美味しく感じられた。

 アレクシスが片付けをしている間、セラフィはエドアルドとフレッドが酒を飲んでいる場所へ呼ばれた。フレッドも確か子爵だったはずだが、二人はたき火を囲んで燻製肉で酒を飲んでいた。


「セラフィも飲むか?」

「飲んでいいのですか?」


 確認のために聞くと、エドアルドは気楽に頷いた。


「ほら、セラフィはいける口か?」


 フレッドの手元にあるのはワインだ。

 この国のお酒は保護者が飲む時期を決める。セラフィが飲んだことがあるのはカリナがお酒が好きだからということもある。学園の寮が閉められる年末から新年にかけて、セラフィはカリナの家で過ごしていたからだ。エドアルドも王都で仕事がなければ領地でもある学園の側の屋敷で過ごすのでセラフィが飲むところを何度かみている。

 

「飲むのは好きですけど、あまり気分良くなって魔法を乱発しても危ないので限界まで飲まないようにしてます。とりあえずワインなら三本くらいです」

「カリナのマネをしなくていいんだぞ」


 エドアルドが渋い顔をしてそう言った。カリナは沢山飲んで酔うと水魔術を乱発するのだ。寒い時期だと雪になって綺麗だけど、迷惑だと言われることがあるのだ。


「いっそ限界が来たときにどうなるか試した方がよさそうだな」

「学園の耐魔術部屋で飲み会か……」


 エドアルドが苦笑する。


「美味しいです」

「疲れただろう。まさかアレクがくるとはな」

「師匠も知らなかったんですか?」

「あの子の実行力は私のお墨付きだ。魔術を習いに来たときもそうだし、騎士から文官へ方向転換したときも一人で決めたんだろう」

「騎士としても強かったのに。もったいない」


 近衛だったアレクシスと魔物討伐隊のフレッドだが面識はあったようだ。


「騎士はただ一人、主に命を捧げなければならないからだろう。アレクはセラフィ以外に捧げるつもりはないからな」


 酒のせいかセラフィは顔が火照る。


「セラフィはアレクシスでいいのか?」


 クスッと笑いながらフレッドが尋ねた。酒の肴にされているのはセラフィも何となく気付いている。


「はい。もう身を引きません。僕がアレクを自由にしてあげられたのは昨日までです。相思相愛の人と一緒になったと思っていたけど、違った。もう我慢しない」

「潔い、それでいい。我慢なんてしなくていいんです……。殿下、懺悔してもよろしいか?」

 

 フレッドはセラフィが座る切り株の前に膝をついた。

 ゴクッと喉が鳴った。殿下と呼ばれたのは久しぶりだった。


「フレッド隊長?」

「俺はあなたが子供のころ、離宮で過ごすことになった事件の警備担当の一人でした。暗殺者が仕込んだ小さな魔法陣に気付けなかった。暗殺者は魔術師、騎士の目をかいくぐり王太子殿下にまで切っ先を突きつけた。誰一人として間に合わなかった」


 イグニスを護ろうとしてセラフィは暗殺者を風で切り裂いた。セラフィが危険人物として家族から離されたのは、仕方なかったことだとセラフィもわかっている。魔術師となり兄弟を殺して王となろうとした王族が少なくとも二人は歴史上存在する。それでなくても幼い魔術師の子供は、自分の魔力を制御できず暴走することがあるのだ。


「警備……、そうでしたか」


 セラフィが人間らしくない行いをしたところを見たのは、家族とアレクシスだけではなかったのだということに今更ながら気付いた。あまりに小さかったので、他に人がいたのかも覚えていない。


「心からあなたに感謝と敬意を捧げます。頼りないかもしれませんが、いついかなる時でもあなたの手足となることを誓います」


 剣を差し出されてセラフィは戸惑った。


「セラフィ?」

「もう僕は王族ではありません。ですから受けるべきじゃない」

「フレッドの気持ちを受け入れてやって欲しい。あの件で、お前が救ったのは王太子殿下だけではない。護衛として側に置いていた騎士や魔術師全ての命を救ったのだよ。フレッドはあの件で、自分の未熟を悟り、魔物討伐隊へ移動した。いつか、魔術師となったお前のために剣を振るうと決めて実行したのだ」


 エドアルドが懇願するようにセラフィを見た。エドアルドのこんな顔も初めて見たような気がする。


「……わかりました。王族でなくてもいいのですか?」

「俺はセラフィ様に捧げたいんだ。王族じゃなくても構わない」

「ふふっ、学生なので様はつけないでくださいね」


 セラフィは剣を預かり、フレッドに向ける。肩を鞘のついた剣で三度叩いて「許す――」と告げた。


「ありがたき幸せにございます。この剣の力の及ぶ限り、御身を護ることをお許しください」


 恭しく受け取って、フレッドは剣を腰にもどした。


「初めての割によくできたね、セラフィ」


 褒められて、セラフィは思い出を振り返った。


「初めてじゃないんですよ、師匠」

「「アレク」」

「私が初めて、セラフィ様へ剣を捧げたのです」


 胸を張ったアレクシスは自慢しているように見えた。


「おままごとですよ、師匠。小さな時、憧れてたので」

「コレは本気で捧げていたと思うが……」

「アレクシスが先輩か……」


 フレッドも少し残念そうだ。


「本気ですよ」

「剣まで捧げられていたのに、セラフィはアレクのことを信じなかったのか?」

「先輩、可哀想……」


 明らかに揶揄われているとセラフィは気付いた。


「もう、いい加減に寝てください。明日は早いんでしょう?」


 ワインを飲み干して、セラフィは立ち上がった。アレクシスが来たので退散だ。


「王太子殿下が待っているようだぞ、セラフィ」

「感動の再会か。俺も見たいが……」

「フレッドは、明日から別行動だろう」


 次の任務が待っているのだ。


「フレッド隊長、ありがとうございました。連携プレー楽しかったです」

「セラフィ、魔術師団に入団するといい。一緒に魔物討伐しましょう」


 フレッドと握手した後、アレクシスはその手を丁寧にハンカチで拭いた。


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