第8話アレクシスの誕生日

 セラフィには趣味といえるものがない。離宮には変化がほとんどなく、隔離されている身なので新しく出会う友人もいなければ、どこかへ一緒に行くこともできない。ネグレスがいたときは庭ですら、建物の中にある中庭だけだった。

 セラフィは勉強が嫌いではない。勉強のための本はいくらでも用意してもらえたし、特に魔術の勉強は集中して時間を忘れてしまえるからだ。

 アレクシスの誕生日もソワソワして待つのに耐えられなくて、本を読んでいた。


「セラフィ様? セラフィ様!」


 集中が途切れて、セラフィは今いる場所がどこなのかわからなかった。


「あ、アレク!」

 夕食の時間が終わって、アレクシスの護衛の時間が終わった後、セラフィは居間で本を開いていた。風魔法での加工は他の風の守護を受けている国ではとくに珍しいものではない。本にはデザインや石の加工例が書かれていて、慣れないセラフィでも楽しく読めた。


「お邪魔してしまいましたね」


 セラフィがあまりに驚いたせいかアレクシスは申し訳なさそうに謝った。


「ううん、来てくれてありがとう」


 横に置いていた氷の入ったお茶をグラスに注いで手渡す。少し迷った後で、アレクシスは礼をいって飲み干した。水関係の魔術師の多いこの国では氷は誰でも手軽に手に入れることができる。


「ありがとうございます」

「お疲れ様、早かったんだね。もっと遅くなると思ってたから驚いたよ」


 仕事が終わってそれほど経っていない。


「着替えてすぐに来てしまいました」

「大丈夫? お休みの日にお祝いするの?」

「そうですね。あまり家に戻っていないので、今度の休みは帰ってくるように父に厳命されました」


 面倒くさそうな顔を隠しもせずアレクシスは言った。


「侯爵の跡はアレクシスのお兄様が継ぐの?」


 社交どころか離宮から出ることもないセラフィでも、王子の務めとして貴族の年鑑は読み込んでいる。アレクシスには兄弟が多い。


「ええ、兄が継ぎます。私はウィンストン伯爵に弟子入りするときに、家の継承には関わらないと宣言していますから」


 ウィンストン伯爵はアレクシスの叔父で、この国が誇る類い希なる魔術師だ。セラフィの師匠で、カリナの父でもある。


「どうして師匠に弟子入りしたの? アレクは魔術を使えないでしょう」


 魔術師は黒髪で生まれてくるから銀髪のアレクシスに素養はない。実際、魔方陣の書き方などを習っていたと聞いていた。


「魔術というのは、使えないものからしたら未知のものです。でも、魔術からも守れなければ護衛騎士とは言えないでしょう?」

「そのために魔術師団の魔術師も護衛に組み込まれているって聞いたよ」


 セラフィも将来は臣下に降って、魔術師団に入ることになるだろう。


「ええ、でも魔方陣の種類を見分けたりするのは慣れてないとできませんから、習って良かったです。魔力への免疫をつけるために弟子入りしたのですが、やって良かったと思います」

「……免疫をつけるために?」


 たしかに魔方陣などを沢山起動させている場所や大きな魔術を使うとき、側にいると普通の人間は具合がわるくなるという。沢山の魔方陣の上に建つ離宮から離れられないセラフィの側に居続けられたのは魔力の免疫をつけていたからだろう。


「はい、最初は魔力酔いをよく起こしました」

「どうして? アレクはイグニス兄様と同い年で学校ではお友達なんでしょう? それなら……」


 まるで自分のために免疫をつけたのだというように聞こえて、セラフィは思わず尋ねた。


「イグニス殿下でなく、私はセラフィ様をお守りしたかったんです。私もイグニス殿下が襲われた現場にいました」


 セラフィは驚いてアレクシスを見つめた。


「……怖いと思わなかった?」

「いいえ、怖いとは思いませんでしたよ。ちょうど秋の豊納祭の狩りの後でした。貴族が集まり、優勝者に冠を授与している最中のでき事でした。あの瞬間、騎士も魔術師も沢山いたのに、イグニス殿下を助けられたのはセラフィ様だけでした。水の精霊を遮断する魔方陣が隠蔽されていることに誰も気づかなかったんです。魔術師団の魔術師はほとんどが水の祝福を受けているので戦えなかった」


 セラフィにとっても家族にとっても辛い過去だったために、あの日のことが話題にあがることがなかった。セラフィもショックが大きすぎて、暗殺者が真っ二つに分かれてしまったこととイグニスが血まみれになって気絶したことしか記憶に残っていない。


「そうだったんだ……」

「魔力を暴走させてもイグニス殿下を守ったあなたを凄いと思いました。ショックを受けて泣いているあなたを抱きしめて慰めたかった。私も子供だったからそんなことできるわけもなく、立ち尽くすしかなかった。昔から結構優秀だといわれていたんですが、無力感しかなかったです」

「そんな……」

「魔力を暴走させているので魔術師以外は誰も側に寄れなくて。家族から離され、一人で大きな離宮で暮らすことになったと聞き、あんなに小さいのにどれほど心細いかと……。叔父が保護するつもりだったんです。けれど風の魔術師のほうがセラフィ様のためになるとネグレスが周りを言いくるめてしまいました。ネグレスの人柄を快く思っていなかった叔父は心配していました。私は頼み込んで、護衛騎士見習いになる前に魔術の使えない魔術師として弟子にしてもらいました」


 あの時、アレクシスがいたことを覚えていない。けれど、誰もがセラフィを危険だから排除しようとしていた時、アレクシスはセラフィを守りたいと思ってくれたのだ。


「アレク……」


 アレクシスは努力をしている姿を見せない。この前、早すぎる時間に訓練していることを知って、セラフィは兄イグニスに尋ねたのだ。

『見習いは本来なら午前中に訓練をして、午後から護衛するんだ。でもアレクシスはセラフィの勉強に付き合うために早朝に行われる正騎士の訓練に交ざってるんだよ。本当なら許されないんだけど、アレクシスは強いからね。見習いとじゃ差がありすぎて訓練にならないって正騎士のほうに参加してる。私なら、いくらでも寝ていたいし、見習いの頂点にたって偉そうにしてたいけどねぇ』

 イグニスはそんな風に茶化すけれど、勤勉で優秀な王子だ。その彼が呆れるほど、アレクシスは無茶をしているのだろう。

『どうして……』

『セラフィとダンスの稽古したり剣の稽古をしたり、セラフィの奏でるリュートを聞いていたいんだろう。あの男は優しいんじゃないから。貪欲なだけだけだからね、セラフィ、わかってるの?』

 途中からイグニスが何を言っているのかわからなくなったけれど、アレクシスがセラフィのために無理をしていることだけはわかった。

 いつでも、どこにいても……守られていると思える。


「セラフィ様に伝えたいことがあります」


 真剣な青い目を見ていると、抱きつきたくなってしまう。この感情はなんだろうと思いながらセラフィは首を傾げた。


「何?」

「今はまだ。……もう少し待ってください」

「いいこと? 悪いこと?」


 途端に謎な感情が吹き飛び、嫌な予感がした。


「私にとってはいいことです」


 セラフィは顔を見られないように俯いた。アレクシスにとっていいことなら喜んであげたいのに、一度胸を過った不安がセラフィを襲う。

 揺れそうになる視界の端にうつったアレクシスへの誕生日プレゼントを思い出して、差し出した。


「……アレク、あの、これをもらって欲しいんだ。初めて作った護り石、正騎士の任命式でもらえる剣につけてくれると嬉しい」


 アレクシスはしばらく固まったように微動だにしなかった。拒否されるのだろうかと顔を上げると、真っ赤になったアレクシスと目が合った。


「アレク?」

「まさか私のために作ってくれていたんですか」


 喜んでくれるといいなと思っていたけれど、アレクシスはセラフィが思っていたより嬉しかったようだ。ギュッと箱を握って微笑んでくれた。


「最初に作ったのはアレクにあげたかったんだ。つたないかも知れないけど、効果はあるってカリナ先生も言ってくれて。……あの」

「嬉しいです。今までもらった誕生日プレゼントで一番……」


 何だか恥ずかしくなって、セラフィは慌てて椅子を引いた。勢いが付きすぎたせいで椅子が倒れそうになるのをアレクシスが止めてくれた。慌てたせいか、椅子と一緒にセラフィも一緒に抱きとめられてしまったが。


「お母様と一緒にケーキを焼いたんだ。食べよう」


 アレクシスは着替えるときにシャワーを浴びてきたのだろう。爽やかなシャボンの匂いがした。


「それでセラフィ様はいい匂いがするのですか?」


 ケーキを焼いたのは昼だけど、匂っているのだろうかと自分の手の匂いを嗅いだ。


「匂ってる?」

「ええ、とてもいい匂いです」


 頭の先を匂われて、何だか恥ずかしくなって慌ててアレクシスから離れた。


「汗臭いから匂っちゃだめ」

「いい匂いですよ」

「もうっ!」


 揶揄っているとわかる笑顔だったからセラフィは何歩か下がって怒って見せた。本当は怒っていないけれどムズムズして、近くにいると朝の状態になってしまいそうだったからだ。


「ケーキは私が用意しますよ。セラフィ様」


 そう言って、アレクシスは部屋を出ていった。火照る顔を何とかしようとセラフィは深呼吸をくりかえした。

 クリームと果物が沢山のったケーキを半分こにして食べた。お菓子が好きなセラフィだけでなく、アレクシスも負けない食欲で綺麗に食べてくれた。喜んでくれたアレクシスだけでなく、セラフィにとっても思い出に残る幸せな一日になった。

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