第4話セラフィは見た!

 4年後


 朝からの勉強で固まっていた身体をほぐすように大きく伸びをした。


「セラフィ様、少しお散歩いたしましょうか」


 纏めていた黒い髪からリボンを外して、カリナが本を閉じる。ようやく休憩の時間のようだ。


「そろそろアレクが来る時間だね」

「アレクシスと散歩の方がよろしいですか?」


 クスッと揶揄うように笑って、カリナが先に立ち上がった。


「いいえ、カリナ先生と一緒に散歩がしたいです」

「……先生と呼ばれるのは慣れませんね」


 初めて会ったとき、カリナは茶色の髪をした地味な侍女だった。目の前の美しい貴婦人と同じ人物には見えない。カリナはセラフィの母であるアリシア王妃から頼まれて、離宮を監視していた魔術師だった。黒い髪では魔術師とバレるので、特殊な色粉で染め、地味な化粧で変装してセラフィのいる離宮で侍女として勤めていたらしい。


「水魔術師の師である水色のローブがお似合いです」

「まぁ、セラフィ様はお上手ですこと」


 カリナは半年前まで侍女として離宮にとどまりながら、セラフィの師となったエドアルドの手伝いとして魔術を教えてくれていた。教師の資格をとった今は、正式にセラフィの教師の一人となった。

 淡い水色のローブは、実際よく似合っている。セラフィの贔屓目ではないはずだ。


「本当のことです」

「セラフィ様も大きくなったら紫紺のローブを纏われることでしょう。楽しみです」


 仕返しにしては高い目標を掲げられて、セラフィは苦笑するしかなかった。


「紫紺というと、師匠の着ている?」


 セラフィの師匠であるエドアルドはカリナの父である。類い希なる魔術師と言われていて、宮廷魔術師の頂点であり、魔術師団の団長、魔術学校の学校長とそうそうたる肩書きをもつ。しかも護衛騎士であるアレクシスの父ウィンストン侯爵の弟であり、キーツラルグ伯爵家の当主でもある。

 魔術師団の団長である証が紫紺のローブなのだ。


「そうです。魔術師団については知っていますね?」

「えっと、騎士団の魔術師版だと言ってたよね。でも人数は少ないんでしょう?」

「ええ、攻撃魔法を使える魔術師は少ないですからね。どちらかというと魔術師というのは引き籠もりの学術馬鹿が多いのです」

「馬鹿って……」

「使えない魔術など意味はありませんよ」


 このあたりはカリナとセラフィの性格が違うので意見に食い違いがおこる。

 魔術など使わないに越したことはないとセラフィは思ってしまう。けれど、カリナはそう思うセラフィを矯正しようとはしない。今なら、ネグレスが、魔術師としても人としてもカリナの足下にも及ばないとセラフィはわかる。


「あ、アレクだ」

「よく見えますね。離宮の外ですか?」


 目を細めているけれど、あまり見えないようだ。


「見えるよね?」

「魔術を使ってるわけではないのですよね?」


 音を拾ったり、遠くのものが見えることを魔術とは呼ばない。少なくとも離宮は訓練の部屋しか魔力を集めることすらできないのだ。庭ももちろん範囲外。


「目がいいんじゃないかな?」


 単純にセラフィの目がよくて、カリナの目が悪いという可能性もある。


「セラフィ様は祝福が多いですからね」


 魔術師は精霊の祝福で生まれると言われている。実際セラフィは風の強い日に生まれて、風の魔術を使えるから間違ってはいないのだろう。祝福が多いと、魔術だけでなくできることも多いのだ。水の祝福をいただいたものは風邪などひきにくいと言われている。人の身体のほとんどが水分でできているかららしい。


「よくわからない」


 水の魔術師であるカリナと、風の魔術師であるセラフィの差だろうか。


「二人いますね」

「うん、何か渡されているよ。あっ!」


 セラフィは思わず口を手で押さえてから、この距離ならアレクシスに聞こえるわけがないと気づき、ホッと胸をなで下ろした。


「どうしたんですか?」

「……キスしてた。あの子、ちょっと前に離宮で侍女をしてた人だ。アレクシスの恋人だったのかな?」


 全然気がつかなかった。

 アレクシスはセラフィには優しい瞳で笑うけれど、よく言えば真面目な、悪く言えば冷たい顔で他の人と接していた。そう言えば、あの子とは比較的よく喋っていたような気がする。


「恋人! アレクシスが! それはお祝いしなくてはなりませんね。セラフィ様、おめでとうってお花を渡してあげてくださいませ」


 ほほほっとカリナが凄い目つきで笑った。貴婦人と言うより悪の魔術師に見えた。


「……お祝いしないと、だめ?」

「その顔でその台詞を言って聞かせてやってくださいませ。転げ回ってのたうち回りますから」


 カリナがここまで言うのなら、アレクシスは知られたくないと思っているということだ。駄目だ、どんなに寂しく思ったって言えない。


「カリナって……、アレクには厳しいよね」

「否定はしません」

「どうして?」


 ずっと思っていた疑問だ。


「アレクシスは恵まれていると思いませんか? 顔もいい、頭もいい、剣技も素晴らしい。男でも女でも憧れるいい男です」


 カリナがそんな風に褒めるのを初めて聞いたような気がする。でも瞳に苛立ちが見えた。


「うらやましいの?」

「セラフィ様は素直すぎますね。そういうことは聞いてはいけませんよ。傷つく人もいるのです。私は、腹立たしいのです。アレクシスが望めば、色んなものが手にはいるでしょう。でも彼は一つのことにしか興味がないのです」


 アレクシスの興味、それは何だろうとセラフィは目を輝かせた。


「それは何?」


 カリナはセラフィの肩を叩いて「内緒です」と言った。春に十二歳になったセラフィだけどカリナよりまだ小さい。ビックリして見上げると、カリナは真剣な目をしていた。


「アレクシスはもっと沢山勉強して、広い視野をもたねばなりません。そうでなければ大事なものを守ることができません。でもそれに気づいていない」


 アレクシスが気づいていないなんてことがあるのだろうか。


「アレクは賢いから、わかっていると思う」


 精一杯擁護したけれど、カリナは首を振る。


「わかっているかもしれません。ただ、今が心地いいから見えない振りをしているのかも。後悔しないといいんですが」


 カリナは本当にアレクシスを心配していた。従姉弟と言うだけでなく、弟弟子でもあるからだろう。アレクシスは魔術師ではないけれど、カリナの父エドモンドの押しかけ弟子だった。セラフィに仕えるために魔術に慣れ、魔術がどういうものか知るために何年も一緒に暮らしていたと聞いた。


「カリナはアレクのこと心配なんだね」

「そういう本音も言ってはいけませんよ。セラフィ様も他人事ではありません。今の離宮は心優しい気遣いのできる人ばかりが集められています。人の裏側や生々しい本音などセラフィ様にぶつけられることはないでしょう。でも離宮の外はそうではありません。自分の利権のためにセラフィ様をいいように操ろうとする、ネグレスのような人間が沢山います」


 ネグレス。今日は、何度もセラフィの最初の師匠であった風の魔術師を思い出す。セラフィに孤独を教え、絶望を与えた男だ。


「沢山?」

「そうです。でもああいう人間は弱みを見せなければつけあがることもありません。小物です。セラフィ様にはいい人も悪い人も関係なくふれ合うことが必要です。いつまでもここにいるわけにはいきませんからね。居心地のいい繭にくるまれた世界から飛び出さなければ、新しい関係を築くこともできませんよ」


 心臓が鳴った。痛いところを突かれたからだろう。

 セラフィは人と関わることが怖かった。ネグレスのような人間も怖いけれど、何より自分が怖い。ここでずっと過ごしていたいと思うほど。けれど、アレクシスは違う。籠もっているセラフィと一緒に埋もれていい人材ではない。

 兄イグニスに言われた言葉を思い出した。

『二人が雁字搦めになって息ができなくなるんじゃないかと心配だ』と。その時はこんな風に不安になることはなかった。けれど少しずつ状況が変わってきていることにセラフィも気づいている。


「学園は、……遠いから。家族と離れたくない……」


 家族、ではない。アレクシスと離れたくないのだ。家族は学園に行って離れても同じ関係を続けられると思う。離れていた分、もっとセラフィを可愛がってくれるだろう。

 アレクシスは違う。学園に護衛を連れて行くことはできない。帰ってきたとき、セラフィは魔術師となっている。魔術師になると王族ではなくなると聞いているから、セラフィも例外ではないはずだ。王族でなくなったセラフィに王族のための護衛騎士をつけることはないだろう。

 アレクシスと離ればなれになるということを考えただけで、世界が消滅しそうな気持ちになる。それでも魔力が膨れ上がって暴走することがなくなっただけセラフィは成長したのだろう。それが嬉しくもあり、寂しくもあった。


「考えてくださいね。魔方陣を読み解くように、どの道が最善で一番効率がいいのか」

「魔方陣と一緒っ?」

「そうです。この魔方陣を起動するに足りない文字は何かと考えるのと同じように、この人は何を望んでいるのか、何が足りないのか。もしかしたらいらない魔方陣ではないか、必要だとすればどれだけの対価が必要か――」


 人付き合いをそんな風に考えたことはなかった。


「カリナは根っからの魔術師だね」

「そうですよ。私はこれでも子供の頃から天才と言われていますからね」


 類い希なる魔術師の娘として申し分のないカリナだ。天才と呼ばれているのも頷けた。尊敬できる師匠の一人だと思っていると、カリナが笑った。


「どうしたの?」

「やはり、うらやましいのかもしれません。アレクシスは魔術を使うことはできないけれど、誰より精緻な魔方陣を描けますし、補助となる薬草の扱いも素晴らしいです。アレクシスが魔術について知りたいと思ったのはセラフィ様が暴走させたあの時、あなたを守るために、あなたを識るために父エドアルドに弟子入りして、魔術の使えない魔術師と呼ばれるようになりました。私が、アレクシスのような才能を持っていたら……と思うときがあります」


 アレクシスはどうしてセラフィを守りたいと思ったのだろう。イグニスと同い年だからどう考えても兄の護衛になるほうがいいに決まっているのに。

 カリナに尋ねたかったけれど、きっと本人に聞きなさいと言われる。そして、聞いたところでアレクシスは「守りたかったから」としか答えないだろう。もう何度もそう言われている。まだ、足りないのだ。アレクシスを識るためのピースが。

 けれど、侍女にキスをしていたアレクシスを思うと、その魔方陣を放り出したくなる。何故なのかよくわからない。まだ、足りない。満ちていない、ということだけしかセラフィには理解できなかった。

 その日、セラフィは普段通りにやってきたアレクシスに恋人のことを聞けなかった。カリナと真面目な話をしたせいか、夜には頭が痛くて早くに眠りについた。


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