空の底は何処か

津麦縞居

9月ーA氏

 交差する横断歩道を次々と過ぎていく人々を見ていた。

「意外とぶつからないな」

 という感想をよく耳にするが、事実、《意外とぶつかっている》。

 人がざわめき群れている様子を見ていると、これが秩序か、と感じる。

 人間にとって、集団ヒステリー的な群れ方がそれこそ本能的行動だ。私も例外ではない。

理性があろうとも、結局は多数派が多数派によって作られた人の波に飲まれることが彼らの運命だ。


こんな風に、無意識的に生命活動を営んでいる人々を俯瞰すると、次々とくだらない考えが浮かんでくる。


例えば、人間の絶滅はいつだろうか、という話。

巨大な隕石落下や大規模な太陽フレア、急激な気候変動……。絶滅の危険は身近にあふれている。そして、これらの事象によって物質やら生命やらが生み出されてきた「自然」の流れの中で今この瞬間はほんのわずかな時に過ぎない。

地球外への脱出とか、永遠の延命とか、それそのものが用途でなく多面的に研究している専門家たちがいる。私にとって研究自体は興味深いものなのだが、「危なくなったら脱出できるかも」とか「永遠の命を手に入れられるかも」となんの根拠もなく信じ込んでしまう浅はかな人間もいる。私はそれが退屈でならない。なぜ? とは考えないのだろうか。

絶滅から逃れたい理由は? 逃れられたらその後は?

生まれてしまったからには、生きられるまで生きて、死ぬときに死ぬしかない。

確かに、この事実には絶望するかもしれない。けれど、それが無気力に、浅はかに、なんの希望も持たずに生きる理由にはならない。


 横断歩道を渡りきると、どっと疲れてしまう。

 くだらないことを考えながら喧噪を耳から遠ざけようとするのだが、聞こえるし見えるのだから仕方ない。

 もし、視力を持たなかったら、この喧噪を乗り越えることなど私には到底できない。足音が人の声に消されてしまうから自分の位置も定かではないし、いわゆるスマホ脳が大量に攻めてきたら、そのまま人の波に流されてしまうだろう。なんて恐ろしい。

 もし、聴力をもたなかったら、方向感覚を失ってしまうだろう。こちらは私の近い未来だが。

 耳が、少しずつ聞こえなくなり始めた。だから今、この喧噪を抜けて病院へ向かっているのだが、ここまで来てもう帰ろうか、と思った。きっと私は、待合室で泣き叫ぶ声や怒鳴り散らかす声に耐えられないだろう。泣き叫ぶのは幼児とは限らないし、怒鳴るのが高齢者とは限らない。職場では、泣き叫ぶのは高齢者だし怒鳴るのは若者だ。


 ああ、疲れた。


 空を見上げると、スッと吸い込まれてしまいそうな感覚に陥った。とてもきれいな青。少し霞んで見えない部分にもどかしさを感じつつもそれが、心をひきつけるのだ。

 目の奥がじん、として、振り払うように来た道をずんずん進んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空の底は何処か 津麦縞居 @38ruhuru_ka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ