第22話

スフマミは壁に叩きつけられ息を詰まらせた。

咳き込みながらも倒れそうな身体を片手で支える。

顔を上げた時彼女の目に映ったのは閉められていく扉だった。

彼女はすぐに状況把握に努めた。

部屋にはベッドが一つ、棚が一つ、机が一つ。

そこは一般的な冒険者用の宿の様だった。

取引の時間はヴァンパイアである彼女の指定で深夜とされたので明かりのない室内は暗かった。


スフマミはすぐに自分が罠に嵌められた事に気づいた。


予定していた移動先ではない……転移術式に割り込まれたんだわ。


どの様にしてそれを実現したのか疑問は尽きないが彼女は状況を受け入れた。

だが彼女にはまだ余裕があった。

それは百数十年生き延びてきた多くの経験からくる余裕だった。


転移術式のシステム上、私がいるのは元いた場所からそこまで遠くはない。

少なくとも予定していた転移先よりは近い筈だわ。


彼女は周囲を警戒しつつ部屋の扉のドアノブを掴んだ。

彼女が予想していた通り扉は開かなかった。


私を監禁する目的?

しかしこんな木造りの壁とガラス窓のある部屋で私を閉じ込められると思う程あの男は間抜けか?


彼女はこの部屋の無防備さに逆に警戒を強めた。

そして背後に向けて血で形成した剣を振るう。


「ぐっ……!」

「私がヴァンパイアである事はもう知っているわよねぇ。私にとって暗闇なんてあってない様な物よぉ」


背後からナイフを突き立てようとしたリシアはスフマミの剣を影に身体を沈み込ませる事で回避した。

スフマミは彼女を嘲笑する。


「ベス、懲りもせずによくやるわねぇ。あの男に媚びて協力を得たみたいだけれど……。もしかして貴方自身で私を殺すつもりなの?ほほほ、学習能力というものがないのかしらぁ?」


スフマミはリシアの存在に警戒心を少し緩めた。

彼女如きをこのタイミングで投入する事は失策でしかないからだ。


これ以外にも何か策があるかもしれないが、ベスを人質にすればいい。

あの男は領主と私に敵対する危険性がありながらこの女に助力をしたのだ。

効力はあるだろう。


彼女の足から血が滴り落ち、それは床を徐々に侵食していく。


「教育が足りなかった様だからまた一から教えてあげようかしらぁ?私への恐怖と弱者の生き方というものを。」

「スフマミ……私は今から貴方を殺すわ。」

「は?」


身の程を知らないリシアの発言にスフマミは目を赤くする。


「何を勘違いしているのかしらぁ?転移術式の割り込み、確かに驚いたわ。でもその程度で私の上を行ったと勘違いする程貴方ってオツムが弱かったの?体の内部の神経を私の血液操作でズタズタにしてあげれば少しは賢くなれる?」

「貴方を殺す。その為だけに私は生きてきた。今更貴方を殺す事に葛藤なんて一つもないわ。これから貴方がどんな言い訳、どんな交渉を目論んでも確実に殺す。だから……」


あくまで傲岸不遜にも自身の生殺与奪権を握っているかの様に話を進めるリシアにスフマミは体の中の血管が切れそうになった。


「もしかして手の込んだ自殺をしたいのかしら?良いわよ、利用するだけ利用したらミンチにして家畜のエサにしてやるわ。貴方のお友達の皆みたいにねぇ。」

「……だから精々クズはクズらしく、無様に死になさい。」


リシアは言いたい事を言い切ると影の中に完全に身を隠した。

それに追随する様にスフマミの血の槍が地面を打つ。


リシアの影への潜伏スキル。

強力なスキルだが弱点も多い。

スフマミには彼女を直接指導していた過去もある。

だから弱点についても当然把握していた。


影の中にいる状態では外部の情報を得る事が出来ない。

また明かりによって影が消された場合、身体が放り出される。


スフマミからすれば不意打ちでもなければリシアは大した敵ではなかった。

既に彼女は自分を中心に血の結界を作った。

地面からの攻撃はこれにより不可能にした。

壁や天井からの不意打ちも自分へ攻撃が到達する前に対応可能だ。

背後からナイフが投擲されるのを感知したスフマミは床に広げた血を操作しそれを叩き落とす。


「芸がないわねぇ、もっとフェイントを織り交ぜる様に私教えてあげ……」


スフマミが言い終わる前に四方八方からナイフの投擲が行われる。

暗視を持つ彼女からすればこの程度の弾幕は片手間で捌けるものだった。

だからその分思考に意識を割く事が出来た。


ベスを制圧する事は一瞬で出来る。

だけどあの不気味な男が肝心な決めをベスに任せるだろうか。

有り得るのはこの時間はベスの私を直接殺したいというおねだりによるものだという事。

であれば後詰こそがあの男の本命。

このカスの相手をしつつ現状把握を進めるのが最善かしら?

そもそもこんな木造の建物程度で私を閉じ込める事は不可能。

窓からは外の景色が見える。

地下ではない。

やろうと思えばベスを無視して今すぐにでも窓を突き破りここから逃れる事が出来る。

しかし、転移術式の割り込みという離れ業をなし得たにしては余りにもお粗末だわ。

そうする様に誘導されている?


スフマミは思考の末に結局はリシアを利用する事がこの場の最善だと結論付けた。

尋問してオオヤの策の聞き出し、後詰への牽制に使えるからだ。

スフマミにとってリシアは昔と変わらずただの道具でしかなかった。


「おもちゃを投げ続けようと私は殺せないわよぉ、最低限直接魔力を込めた武器か肉体強化による直接打撃じゃないとねぇ。」

「……」

「まあ、怖がりの貴方じゃ無理よねぇ。ここにいるのが貴方じゃなくてケープだったら1%ぐらいは可能性があったかしらぁ?」


そのあからさまな挑発にリシアは唇を噛んで耐えた。

だがスフマミはほくそ笑む。

見るからに攻撃が単調になったからだ。

リシアは使用した飛び道具を回収し再利用してこの絶え間ない弾幕を維持している。

だから次の出現場所の予測はある程度可能だ。


スフマミは右手に魔力を充填する。

ヴァンパイアの基礎能力で十分強力な彼女だが魔法も並み以上に習得している。

当然火属性の魔法についても。


リシアのスキルは光に弱い。

しかし弱い明かりでは周囲の影に逃げられてしまう。

だから彼女を影から引きずり出すには強い光で影を一掃する必要がある。


「でも出現場所とタイミングが分かればこの程度の光でも十分だったわねぇ!」


スフマミは小さな火球を予測していたリシアの出現場所の方に放ち直ぐに爆発させた。

爆発によって発生した閃光は一瞬にして消える。

しかし、文字通り光の速さで影を追いやり逃れる暇もなくリシアのスキルを強制解除した。


「ぐっ……ああぁ!!」


かつての再演の様にリシアの片腕が千切れ宙を舞う。

鈍い音を立ててそれは床をバウンドした。


「ほほほ、折角付けなおして貰ったのにねぇ……でも片腕の方が貴方にはお似合いよ。」


スフマミの前には影から這い出てきたリシアがのたうち回っている。

しかし直ぐにまた影の中に沈み込んだ。

スフマミはそれを気にせずに千切れたリシアの腕を手に取った。

切断部から血がしたたり地面へと落ちる。

そして虚空に向けて語り掛ける。


「ヴァンパイアについて追加のレクチャーをしてあげる。ヴァンパイアは眷属を作って従えている事ぐらいは知っているでしょう?そして眷属の作り方は血液の直接配合、牙を媒介にした血液の吸収と注入によって眷属を作るわ。更に……私ぐらいになると直接じゃなくても相手の血を摂取すれば行動の一時的支配ぐらいは出来るのよ。言っている意味は分かるかしら?」


リシアの片腕を掲げスフマミは垂れてくる血液に向けて大口を広げる。


これでベスの人質化は完了した。

まず企んでいる事、知っている事を洗いざらい吐かせて……


スフマミはリシアを無力化したと思い次に向けて思考を始めた。

リシアの血液を摂取した時点で彼女如きではヴァンパイアの血の支配に抵抗出来ないと考えているのだ。

それは事実そうだった。

しかしスフマミはリシアの血を口に含んだ瞬間それが思い違いである事を悟った。


「ま、まずっ……!」


不味い。

それはその言葉の本来の意味で使われた。

彼女の味覚がリシアの血を拒絶した。

いや、今自分が口に含んだ液体は血ではないと認識したのだ。

彼女が吐き出そうとえずこうとする前にその変化は起きた。


「ぼぎゃ!?」


リシアの血液はスフマミの口内で棘の様な形状に変化し彼女の頭部を内部から串刺しにした。

ヴァンパイアである彼女はこの程度では死なないが脳をかき回され思考が一時停止する。

その隙をつくように更なる変化が起きた。


スフマミが掴んでいた片腕が突如液状になり彼女の手をすり抜けた。

そしてそれはまるで大きな黒いカミソリの様な刃物となってスフマミの首を切り裂き胴体と頭部を分離させた。


「ぎゃっ!」


バウンドするスフマミの頭部。

彼女は頭部を失い直立不動となっている自身の身体を見上げて混乱する。


何が、何が起きたのっ!?

ま、まずい!不味い事が起きている!

この場から離れなくては!


彼女は咄嗟に自身の身体を蝙蝠へと変化させる。

室内は突如蝙蝠の大群によって満たされた。


床に満たしていた血液を槍へと変化させたスフマミはそれを窓に向けて放った。

彼女は外での待ち伏せなどの危険性について最早考慮する余裕もなかった。

今はただ早急にこの場から離れるべきだと彼女の生存本能が決定を下した。


そもそもの話、外に罠がはられているというのは完全なる彼女の杞憂だったのでその行動は正解だった。

それが不可能であるという点に目をつぶればの話だが。


限られた時間の中ではあるが魔力を込めたはずの血の槍は窓に傷一つ付ける事も出来ずに霧散した。


どうなっているの!?


彼女はようやくこの部屋の異質さに気づいた。

思えばこの部屋は木造であるはずなのにリシアの飛び道具によって傷が一切ついていないのだ。


神木を使っている……?

いや。それよりも


スフマミは自身の肉体が潰されていくのを感じていた。

蝙蝠に変化させて小分けにした自身の肉体が潰されていく。

スフマミの数百個の目が暗い部屋の中を飛び交い蝙蝠を殺している物体を視認する。


それは鋭利な形状をしており材質は鋼鉄に見える。

魔力も込められているのか蝙蝠たちを抵抗なく切り刻んでいく。

スフマミは驚愕する。


その物体は影に溶け込み影からまた現れる。

リシアの肉体のように。


スキルの進化か!

あのカス如きがこの短時間であり得ない!


リシアの以前のスキルでは影への物体の取り込みと放出は彼女自身の体に触れている必要があった。

だが飛び交っているのはその謎の鋭利な物体のみでリシアの身体は顕現していない。


この程度、問題はない。

問題はないが


スフマミは蝙蝠を集合させて肉体を再構築する。


「はぁああァァッ!」


そして初めて彼女は全力を出した。

床に散らばった血液に直接魔力を注ぎ込み部屋内に血の剣舞を一分間絶え間なくそして隙間なく行った。


「はあ……はぁ……」


今度こそ彼女は自分が異常な状況に追い詰められていることを認識する。

彼女の本気の攻撃に部屋内は一切の損傷をしなかった。


この部屋は一体なんなの!?

……落ち着け。

予想外の事に動揺したけれど相手は所詮ただのヒューマンのクソガキ。

小手先の新能力程度でこのスフマミを殺そうなど思い上がりも甚だしい。


彼女は肉体の物理耐性と魔法耐性を向上させる。

彼女は不死に近い肉体を持つ為こういった耐性向上魔法の鍛錬を疎かにしているが出来なくはない。

また保有する魔力量も常人より遥かに多い為鋼鉄に近い耐久性を持つことができる。


どちらにしても私の場所を確認するには影から出てきて視認するしかない。

次あなたが顔を出したらその瞬間に叩き潰す。


彼女は全神経を集中させて周囲を警戒する。


その彼女の足元の影からサメの背びれのような刃が出現する。


「ジッ!?」


それは耐性強化した彼女の肉体を豆腐を切るように真っ二つに切断した。


半分こにされながらもスフマミはその場から飛び退きベットの上で身体をくっつけようとする。


しかしすぐに後ろの壁からまた刃が現れ彼女の体を右肩から股下にかけて切断した。


な、何故!?

何故ここまで私の居場所が正確にわかる!?


彼女は体を切り刻まれながらもまた両手に魔力を貯め爆発を部屋内に発生させる。


その時影から飛び出して現れたのは不定形の流体だった。

それはまるでそう、スライムの様だった。


出てきたのはその謎の流体のみで肝心のリシアの本体は影から出てくることはなかった。


そしてその謎の流体も影の中にまた溶け込み消えてしまった。


スフマミの肉体はまだ10%も損傷されていない。

だが彼女はこの理解不能の異常事態の連続に自身の背後に破滅が忍び寄っている事を感じてしまった。


「こ、この私をこの程度でぇッ!」


その恐怖を誤魔化すように彼女は攻撃を続けた。

しかし壁や窓への攻撃は完全に無効にされ謎の流体に攻撃を加えてもそれは水を叩くような感触しかなく破壊する事も出来なかった。


スフマミは切り刻まれ続け魔力を消費し続け精神だけでなく肉体も徐々に疲弊していった。


彼女の頭の中では複数の疑問が答えが一切でないまま渦巻いていた。


そもそも転移魔法への割り込みをどのようにしたのか。

それには最低限対応する魔法陣と場所の特定が必要なはずだ。


そしてここは何処なのか。

転移元は街の中心地のはずでそこから遠くはないはずだ、なのに窓から見える景色はまるで未開発地区のように寂れていた。


何故この部屋に傷一つつけることが出来ないのか。

壁や窓だけでなくベッドなどの備品すら一切の損傷がいまだない。


リシアのこの急激な成長はどういう事なのか。

何故私の位置を見もせずに正確に捉えているのか。

何故私の肉体を容易に切り刻むことが出来るのか。

あの変幻自在の謎の物体はなんなのか。


私は何故、あんな小物如きに死の恐怖を感じなければならないのか。


全ての疑問に答えは出ない。


しかし彼女の脳は自身が生き残る術を今までの経験を総動員して算出しようとした。


そして……


「べ……ベス。こ、降参よ。お願い、話を聞いて頂戴……」


彼女が選んだのは命乞いだった。


圧倒的格下であるリシアにスフマミは屈服したのだ。

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