第16話
一度休憩を挟んだ後、リシアの話は続く。
彼女は水を飲む為に上体を起こしたが相変わらず俺の方は見ない。
今はぼんやりと窓の先の空を眺めている。
「脱出後、私はひたすらに走り続けたわ。追手が来ると思っていたから……けど今思うとあの女はそこまで私に執着はしていなかったのでしょうね。1年は追手の影に怯えていたけれど結局そんなものはいなかったわ。」
「脱出後はどんな生活を送っていたの?」
「最初はただ元いた場所から離れたかった……だから真っすぐと歩き続けたわ。そして人のいる場所にいるのは怖かったから森に潜伏しようと浅知恵で考えたけど直ぐに諦めたわ。」
「君のその時の年齢だったら魔獣だけじゃない、ただの野生動物でも危ないもんね。」
「ええ、森の中で生きる術を私は知らなかった。孤児院からあの女の施設まで、私はただ食事を与えられる生活をしていたんだもの。だから結局私は空腹と寒さに耐えきれずに街に行ったわ。でも結局同じよ。」
彼女は自嘲気味に笑った。
「森の中でも街の中でも、私は食事と寝る場所をどうすれば良いか分からなかったんだもの。街の人間は薄汚い子供になんて見向きもしなかった。何もしなければ衰弱して死ぬだけ。あなたならどうするかしら?」
「うーん、とりあえず聖教会か孤児院を探すかな。……君のような背景がなければね。」
「私はスフマミが怖かった。人と、関わるのが怖かった。だからあまり逡巡もせずに盗みを働いたわ。私の初めての自立は初めての盗みから始まった。このスキルは泥棒に最適だったわ。」
俺の元いた世界でもスリや泥棒で生活をしている子供は存在している。
この世界では言わずもがなだ。
だがそれはどちらの世界でもリスクの伴う危ない行為だ。
しかしリシアにとって幸か不幸か盗みは児戯に等しかったのだ。
「でもこのスキルには弱点も多かった。……今更隠す事でもないから言うけれど。影の中から外部の情報を得る事が出来ないわ。その状態で狙った場所に移動するのにも経験が必要よ。そしてその頃は影の中での肉体の分離も習得していなかった。だから間抜けにもある日捕まったわ。」
捕まった彼女は店主に暴力を公然の場で振るわれたそうだ。
まだ幼い彼女だが私刑がある程度許されているこの世界で店主の行動を咎める人間はその場にはいなかったのだろう。
「このままでは死んでしまう……そう思った時、私は彼を殺していたわ。」
「それは……。」
「くっふふ。私のスキルがあれば逃げる事も出来たでしょうにね。結局、私はそういう人間だったという事よ。スフマミの支配から逃れたのに私がそれからした事は盗みと殺人……。結局やっている事は変わらなかった。」
人は、インプットした事しかアウトプットできない。
当たり前の事だ。
孤児院で育ち、その後異常な環境で育った幼い彼女には森で生きていく術が無かった。
そして社会での自分の立ち回り方も分からなかった。
そんな情報は彼女にはインプットされていなかったのだから。
ただでさえディスアドバンテージがあり多くの制限がある中で盗みをし、結果として殺人をした彼女を愚かと一方的な正しさで断じる事は俺には出来ない。
その時の彼女にインプットされていたのはそれだけだったのだから。
「それからは本当に追われる事になった。盗みを働きながら捕まりそうになったら殺し、また追ってが増えたわ。その繰り返しをして結局、街から逃げたけれど。近くの街にも私の手配書があったわ。……あー、ふふ、ははは。なんで私今まで生きていたのかしらね。あの時死んでおけば良かったわ。」
「……少し休憩するかい?」
「……勿体ぶるような話でもないわ。続けるわよ。私は盗み続け、殺し続け、逃げ続けて。それを続けていく毎に表での活動は制限されていったわ。……そして裏社会でも私は注目される様になっていたみたい。ある日、スラムで誘われたわ。ある男を殺せば対価を払うってね。私はその時になって、ようやく時間を使って自分の今後を考えたわ。」
彼女のそれまでの殺人は聞いた限りでは自己防衛の一種だった。
自らの盗みが発端とはいえ能動的な殺人ではなかった。
しかし、金銭の為の殺人となれば自ずと彼女にはスフマミの事が思い浮かんだのだろう。
「殺しで生活をする事は、それはあの女の思い通りの人生になる事だと思った。だから既にその時には私の両手は血で汚れていたけれど受け入れがたい事だった。でも私は結局人を殺す生活をしている。むしろ暗殺者よりも日々人を殺していたかも知れないわ。」
彼女の中では多くの葛藤があったに違いない。
スフマミの支配から逃れたいのにまるで誘導されるかの様に自分の人生が進んでいるのだ。
「私は曲がりなりにもある程度街の中で暮らしていた経験から……もう一つ生き方の選択肢を思いついたわ。」
「それは……?」
「体を売る事よ。」
「……」
「ふっふふ、結局それも、あの女の影がチラつく生き方だけれどね。……人を殺すよりは、マシだと思った。私は試しに路地で男を誘ってみたわ。貧相で汚いガキの私だったから全く相手にされなかったけど……。それでも変態野郎はどこにでもいるものね。2時間もすれば客が見つかったわ。……そして私はベッドを血で濡らす事になった。」
「リシア、詳細は……話さなくて良いからね。」
「えっ?ふふっ、ああ、違うわよ。私の血じゃなくて相手の血よ。……訓練の時の経験があったからかしらね。男に身体を触られる事は私にとっては終わりという認識があった。だから男に肩を触られた瞬間、そいつを殺していたわ。」
彼女は俺に、男に触られる事に過剰に怯えていた。
男性恐怖症なのだろうと俺は思っていたがもっと根深い問題が彼女にはあったのだ。
「殺しか体を売るか。私にあった選択肢はそれだけだった。でも体を売ることはどうしても出来なかった。でも金の為に殺しをするなんて。……自殺しようとも思った。でも死んで何になるの?ケープを犠牲にしてまで助かった命を……。そして、私は、卑怯者の私は、ある理由に逃げる事にした。」
「理由?」
「まず、私は殺しの依頼を受ける事にした。今の生活は早晩破綻すると感じていたから。そして私は同時にスフマミの思い通りにはならないと決めた。ある目的を持つことにしたの。……そう、スフマミを殺すというね。」
彼女はその日、自分の生き方を決めた様だ。
「あの女は裏社会で生きている女だった。だからその中で活動をしていればあいつに近づけると考えたの。そして私があの女を殺す事が奴の支配から抜け出す唯一の方法だと思い込んだ。……ケープや私の仲間達の弔いにもなると思った。その時は本当に、馬鹿みたいにそう思っていた。」
彼女は思考の袋小路の末に自分の中の葛藤に折り合いをつけた。
それは彼女が生きる為に必要な事だった。
「私は名前をリシアと変えて、化粧で顔を変えて精力的に多くの人間を殺したわ。そしてお金を稼ぎ、情報や武器を手に入れた。以前までは一丁前に良心の呵責に苛まれる事もあったけれど。スフマミを殺すという目的を得てからは仕方がない殺人だと思うようになったわ。あの女を殺す事が私の中での正義だった。私がやるしかないと思った。表社会の人間があいつを罰す事が出来ていないんだもの。この街にもあいつがいるという情報を得てやって来たわ。」
彼女の口調がスフマミに似ているのはそれが彼女の暗殺者像だからかもしれない。
彼女は自分の自我を意識的にかは不明だが冷酷な暗殺者として定義し、その様に振舞ったのだろう。
スフマミの排除という大義の達成の為に。
しかし、話の大筋とは関係ないがリシアというのは偽名だったのか?
俺は少し違和感を覚えたが本当に大筋とは関係なかったのでスルーした。
「悪人、商売敵、債務者、司法関係者、兵士……。色々な人間を殺したわ。」
「貴族とかはいなかったんだ。」
「そういう依頼を受けるのはもっと評判の良い暗殺者よ。私は、まだそこまでの評価はされていなかったわ。そして仕事を続けてスフマミの情報を探っている中で……貴方と出会った。」
そして彼女は俺との戦いで手足を無くした。
本来ならその時に彼女は目的を達する事無く死ぬはずだった。
だが俺は彼女を生かした。
それは彼女にとって良かったのか。
分かっている事はあの時俺がなんとなく生かした彼女は今死にたがっている。
「……まあ、そりゃ手足の治癒が遅れる事に怒るはずだよね。」
「私の様な事情が無くても焦るわよ。貴方が本当に私の手足を治す気がある様には見えなかったんだもの。……私はあの女を殺すチャンスは一度だけだと思っていたわ。
だから入念に準備をする必要があると考えていた。私が持っていたあのダガーだけれど魔力障壁を突破可能な特別な鉱石を用いて造った物よ。あの女を一撃で仕留める為に作ったわ。」
そういえばあのダガーはどこにいったのだろうか。
彼女は俺の疑問に答える様に肩を竦めた。
「あの女に没収されたわよ。……私はこのままではあいつを殺せないと焦った。私のこれまでの人生が、これまでの殺人が無意味な物になると恐怖した。そしてある日、貴方はあのカードを持ってきた。」
「スーニディさんのカードだね。」
「闇窟については私も知っていた。下層フロアまでは入り込んだ事もあったわ。でも貴方のカードは見るからに下層フロアの物ではなかった。そしてスフマミが潜伏しているとしたら闇窟の上層……そこしかないと考えていたわ。……いずれ準備を完璧にしてから潜入しようと思っていたけれど。もう、私にはその準備をする事が出来ない。だから決行する事にしたの。」
アルヴェンとウェディちゃんの部屋にいった日にリシアはいなくなった。
彼女は俺の影に潜んで潜入したのだ。
「殆どやけっぱちな行動だった。けど、すぐにスフマミは見つかったわ。あのスーニディとかいう女とスフマミは同格だったみたいで、話をしにいっていたわ。基本は影の中にいたから詳しい話は聞けなかったけれどね。」
スーニディさんとスフマミは司教殺害と神の涙強奪で関わりがある。
その事について話をする機会があったのだろう。
リシアは導かれる様に偶然とタイミングの積み重ねでスフマミへとたどり着いた。
「そして……私はスフマミの影の中に入れた。あの女は私に気付く様子はない。手には魔力障壁を貫通するダガー。チャンスは一度。間抜けにあくびをして首を大きくさらけ出した。今しかない。そう思った。」
しかし失敗した。
俺たちが出会ったスフマミには傷一つなかった。
「背後から首を切り裂いたわ。続けて心臓を刺した。……でも殺せなかった。」
「彼女はヴァンパイアだ。その程度では殺せないだろうね。」
「私は、あの女がヴァンパイアである事も知らなかったのよ。ふっふふ、きっと貴方も笑うわよ。殺せたと思って歓喜していた私のあの時の顔を見たら。……実際、スフマミは喉が枯れるぐらい笑っていたわ。……でも、もっと笑えるのはこれからよ。」
彼女の顔に狂気が宿る。
無理やり口角を誰かに引っ張られたかの様に上げられた口の隙間から掠れた笑い声が漏れている。
「スフマミは……私の事を覚えていたわ。そして私のこれまでの人生を聞くと、本当に心の底から喜んでいたわ。」
喜んでいた?
どういう事だろう。
彼女はリシアが自分を殺しに来ることを望んでいたのだろうか。
「あの女は私が成功例だと言ったわ。」
「成功……例?」
「本当に、嬉しそうにあいつは私に語ってくれたわ。あいつのビジネスモデルについて。私が暗殺者となった時点で奴に利益を与えていたのよ。」
リシアは語った。
スフマミが彼女に語ったおぞましいビジネスモデルについて。
スフマミはこの大陸の暗殺業と風俗業に強い影響力を持っており大半のそういったギルドの大本は彼女である様だ。
「あの女は訓練した子供を実験的に放流していたそうよ。そして身寄りのない殆どの子供は娼婦になるか人を殺す生活を送る様になったそうよ。……私の様にね。」
「まさか……」
「娼婦と暗殺者、どちらの選択肢を選んでも結果的にはスフマミの元に金が集まるのよ。特に子供を働かせるような倫理観の欠片も無い組織なら確実にやつと繋がっていると言えるわ。」
俺の今思い描いている事が想像通りならスフマミの邪悪さは俺の想像を超えている。
「子供たちは、孤児院にあの女の影を感じて恐怖を頂き、そこに頼らずに生きる為に自分で選択した行動であの女に利益を供給していた。搾取されている事にも気づかずに。私もそうよ。」
「ちょっ……と」
「ふっ、くっふふふふふ……あっはははは。本当に笑えるでしょう?私の、スフマミを殺す為と言い訳して行っていた殺人はあいつの為の労働だったのよ。それでもっと笑える話をしましょうか。」
彼女は笑う。
辛い現実から逃れる様に。
「あの女はなんで私が成功例か教えてくれたわ。私は沢山人を殺してきた訳だけれど。殺すと生まれる物があるわ。なんだと思う?」
「……」
「正解は孤児よ。身寄りのない子供が増えるわ。頼る先があればどこかの養子になれる事もあるかもしれないわね。でも大抵は良くて孤児院行きよ。そして孤児が溢れればその孤児でビジネスをしようと考える連中も現れるわね。……そしてそこに行った孤児はスフマミのビジネスの中に組み込まれるわ。」
スフマミは暗殺者を生産し、孤児を増やし、その孤児を再び暗殺者にするというビジネスの流れを作ろうとした様だ。
常軌を逸している。
「私は……!スフマミの支配から抜け出そうとしていた私は……結局奴の手のひらの中でよく働いた駒でしかなかった。私は自分の浅ましさをよく理解させられたわ。自分の軽率な、言い訳の目的で、何人殺してきたと、何人、私の様な子供を生み出してきたと……それを、それを……私は、今まで自覚もせずに……あの女に言われてようやく……ふっふふふふ。……それでよく働いた私は最後は女として有効活用してやると言われたわ。」
「……どういう事?」
「手足がなくても、穴さえ無事ならいくらでも売り先があると……やっぱり女はこういう時に役に立つから男より良いと喜んでいたわ。……つくづく私は……。」
彼女はもう、疲れてしまったのだろう。
話している途中にうつむいて黙り込む。
「もう……良いでしょう?お願い、殺して。」
「……なんで?」
「なんでって……。分かるでしょう?私にはもう生きる目的がないの。」
彼女はもう十分話したと判断した様だ。
俺は最後まで聞いてやっぱり彼女は生きるべきだと思った。
まるで5年前の自分自身を見ている様に感じた。
俺も目的の為に大勢の人間を殺した。
それもリシアと比べる事も出来ない程の人数だ。
俺も目的を失った時に過去を省みて死にたくなった。
だがその時の俺を助けてくれた人がいた。
そんな俺のこれまでの人生が彼女を助けるべきだと言っている。
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