第13話

明かりも少ない地下の牢屋は冷たく、まるで死後の体験をさせているかの様だった。

水漏によって濡れた床が利用者達の絶望の顔を映し出している。

その一つの独房でザナークは己のこれまでの軽率な行動を悔いていた。


ナクティスの報酬をネコババするまでは良かった、しかし、それ以降あの宿屋に関わった事が失敗だったと彼は悔いていた。


あくまで悪行に対する後悔ではなく、自分が失敗し、こんな状況になった事への後悔だった。

かつてナクティスに自分を裁いてみせろと侮辱した彼はもう審判を待つだけの無様な犯罪者であった。

それゆえにオオヤも既に彼に対する興味を完全に失っており、ザナークが最後どうなったかについて知らない。


「クソっ、クソクソクソ。絶対あの時に赤6に入れば全て取り返せてたんだ。なんで俺はあの時あんな賭け方を…」

「やっと見つけた!」

「ひっ!?」


ザナークの後悔がギャンブルの負けにまで遡っていた時にその少女は現れた。

その少女は全てが白かった。

街で最近流行りのデザインの服を純白に染め上げており、髪や肌もゾッとする程白かった。

ザナークはその女に見覚えがあった。

何故ならマンティコアのスクロールを彼に売ったのは彼女だったのだから。


「ザナーク!マンティコアのスクロール返して!」

「えっ、は?えっ?」

「えっ?は?えっ?じゃなくて返してよ!」


彼女は突然前触れもなくザナークの前に現れた彼女に完全に頭をフリーズさせてしまっていた。

彼女はそんな彼の状態を一切考慮せず自分の事情を矢継ぎ早に話す。


「あなたにスクロール売った所為でスーニディに怒られたじゃない!」

「な、なに言って……、ていうかどうやってここに。」


理不尽な要求をする彼女にザナークはしどろもどろな返答しかできない。

しかし、彼はふと、この異常な状況で自分の活路を見出した。

彼女は方法は不明だが独房の中に急に現れた。

という事は出る事も自由自在なはずだ。

それに彼女の口ぶりから交渉も可能なはずだ。

マンティコアのスクロールはもう無いけれどギルドの会計係として長年交渉をしてきた自分に掛かればこの窮地を脱せられると考えていた。


「今はそんな事どうでもいいでしょ!早く返して!」

「あ、ああ、わ、分かった。だが今は持ってないんだ。俺の隠れ家に隠してるんだよ。持ってくるからよ、ここから出してくれねぇか?」

「なにそれ!めんどくさい!」

「し、しょうがねぇじゃねぇか。な?頼むよ。値段は安くしとくからよ。」

「……値段?何それ?」

「えっ、だから金貨1000枚以下で交換するって……」

「お金取る気っ!?」

「えっ、はぁ?そ、そりゃそうだろ。俺はお前から金貨1000枚で買ったんだから。」

「あんなはした金もう使っちゃって無いに決まってるでしょ!」


理不尽に怒る彼女にザナークは少しイラついてしまった。


「タダで返してよ!元々私の物なんだから!私がスーニディに怒られていいの!?あいつ怒るとすごく怖いんだからね!」

「し、知らねぇよ!お前頭おかしいのか!」

「……は?」

「あっ……」


そして理論の破綻している話をしているのは彼女とはいえザナークはするべきではない失言をしてしまった。

彼女はそもそもマンティコアのスクロールを持っており、出会ったのも違法賭博場だった。

そして今は帝国第3刑務所の地下の牢屋という侵入が容易でない場所に簡単に現れたのだ。

どう考えても普通の人間ではない。

そんな相手に対してのあまりにも軽率すぎる発言だった。


「頭、おかしい?私が……?」

「あ、ああ、す、すまねぇ……撤回する。つい……」

「なんでそんな酷い事言うの!スーニディは私の事可愛いって褒めてくれるもん!」

「それ関係ないし、そもそもスーニディってだ……げふぅあ!?」


ザナークは喋っている途中に顔を彼女に殴られて独房の壁に叩きつけられる。

そして彼の身体は急に言う事をきかなくなり勝手に動き始める。


「ひっ、ひ、な、なんだこれ……!」

「そんな意地悪言うならもう知らないから!」

「ひ、ひゃめて、あ、謝るから!ただで、返すから、だからやめてぐべぇえええええ!!!!」


ザナークは自身の両手を無理やり自分の口に突っ込みそのまま自らどんどん奥へと入れていった。


「あごっ……ごぇ、あぎ……」


1分後には自らの両腕を肘まで喉に入れ込んで窒息死した男の彫刻が牢屋の中に出来上がっていた。


「ふん!いい気味!私を頭おかしいとか言うのが悪いんだからね!……あっ!マンティコアのスクロールはどこにあるの?……知っているザナークが死んじゃったんだから見つからなくても私悪くないよね。帰ろっと!」


彼女がこの後、怒られたのは言うまでもない事である。


そして、小悪党であるザナークは彼らしい死にざまを晒したわけであり、今後彼がオオヤやナクティス達の人生に関わる事は当然ない。


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俺は最近購入した馬の毛並みを整える。

気持ちよさそうにいななく馬を見ていると自然に笑みがこぼれる。

銀貨30枚の高い買い物だったがその価値はあった。


果実を入れたかごを彼の前に置いて宿に中に戻る。

カウンターに座り帳簿を開き、次の納品の確認をする。

ナクティスの提案を了承し、宿屋兼、冒険者ギルドの真似事を初めてからひと月。


「ふぅ……」


めちゃくちゃ疲れる。

俺は一月前まではおままごと経営者だった事を自覚した。

貯金も多少あり、経費も少なかった俺には余裕があった。

のんびりと少しずつ軌道に乗せていけば良いと計画性もなくやっていた。

しかし、今、俺の仕事には他人の生活が関わっている。

稼がなければ彼らを生活させる事が出来ない。

なので、最近は忙しく毎日街に出掛けたりして取引先を駆け回っている。

しかし、これが仕事をしているという事なのだろう。


ナクティスの叱責はまさしく的を得ていた。

俺の見通しはかなり甘かった。

あのままでは夢破れていずれ宿を畳んでいたに違いない。


「オオヤ!」

「ん?」

「成功したわ!来て!」


アリヤースが部屋の一室から俺を呼んだのでそちらに向かって歩く。

彼女は桶に入れた水を前に自慢気に腕を組んでいる。

それは彼女が指を振ると水が球体となり宙に浮いた。


「おおー、凄いじゃないか。」

「ふふん、この部屋のおかげよ。凄いわ。こんなに魔素がない場所なんて見た事ないわ。」


彼女は嬉しそうに水を自分の周りに回らせる。


「精霊達も喜んでいるわ。魔素の薄い水を確保するのにはいつも苦労してたけど、この部屋があればもう心配ないわ。私の為にありがとう」

「所属冒険者の手助けをするのは当然だよ。」


結局その後、アリヤース達も前言撤回して俺の宿に所属してもらう事になった。

彼ら、というかアリヤースもナクティスの様に俺を説得しようとしていたらしく、彼女のパーティーを指名して依頼をくれていたギルドの客を俺の宿の方に誘導する、という立つ鳥跡を濁しまくりな事をしていた様だ。

その事について自由の盟約に責められたら謝るしかない程の不法の行いだ。


あいつらに文句言われる筋合いは無いわ!


と彼女は息まいて言っていた。


彼らとギルドの話し合いの結果、ナクティス含めカイドー達は自由の盟約のギルドを抜ける事になった。

慰謝料は拒否し、俺の宿の今後の活動の邪魔をしない事を条件に和解した。

ギルド内でも目立っていたらしいカイドー達の急な脱退に噂は立つであろうがそれに関しては自由の盟約自身で解決する他ない。


「これでもっとあんたの役に立てるわ!……ところで、どう?この前の件考えてくれた?」

「えっ?なんだっけ?」

「もう!デートに行こうって話よ!私すっごい頑張っていると思わない?頑張っている冒険者を労うのもギルドマスターの役目よ。」

「オオヤに嘘言うなよ」

「盗み聞きしてんじゃないわよ、カイドー!」


最早見慣れたカイドーとアリヤースの言い合いに笑みが溢れる。

カイドーの隣には俺と同じように笑みを浮かべている彼女の兄のアルヴェンがいた。


俺の宿に元々あった8室の内6室はナクティスやカイドー達の専用部屋にした。

彼らのそれぞれ特徴に合わせる様に効果を付与している。

例えば精霊術を使うアリヤースは魔素がある部屋は適してないので【魔力減退】という室内の魔素を吸収する効果を付与している。

その為か分からないが彼らの仕事は順調そのもので依頼の失敗もせず、いつも大きな成果を持って帰ってきてくれる。

その成果に報いるためにまた俺が忙しく街を駆け回ることになるのが嬉しい悲鳴と言ったところだ。


「帰ったぞ、あー疲れた。」

「……ようやく、休める。」

「お帰り、レイダリー、アルメー。」


指定依頼の為に昨日から出かけていたレイダリーとアルメーが帰ってきた。

アリヤースの客のぶっこ抜き活動と元々彼らが評判の良い冒険者という事もありまだ立ち上げをしたばかりの俺の宿だが依頼を市民から頂く事もある。

レイダリー達が行ったのは都市から程近い町への魔獣対策の罠の設置依頼だ。


「おう。あ、ほらこれ、村長のジジイから貰った果物だ。やるよ。」

「おー、ありがとね。今日の夕飯に出すね。」

「あのジジイ毎回、行く度に果物くれんだよな。いらねぇって言ってんのによ。」

「気に入られているんだね。」

「は、はあ?あのジジイがお人よしなだけだろ。俺みたいなケチな犯罪者にも…」

「レイダリーの仕事は丁寧だって褒めてた。」

「余計な事言うなよアルメー!」


まだまだ彼らの元々の評判によって成り立っている俺のなんちゃって冒険者ギルド業だが出来すぎている程順調だった。


【銅貨:1024枚。銀貨:120枚。金貨:1枚。クリスタル硬貨:0枚】


これが今の宿の貯金だ。

宿の効果に金貨2枚分程使っているので俺はたった一月で金貨4枚に近い金額を儲けている。

俺の宿が軌道に乗ったとしても精々月に銀貨20枚程の稼ぎが精々だったであろう事を考えると桁違いの稼ぎだ。


仕事を終えた彼らを労い、今来ている依頼について相談をし、夕飯を作って彼らと食卓を囲む。

元々自由の盟約の支店の近くに拠点を持っていた彼らだが今はそこを引き払い基本的に俺の宿を中心に生活をしている。


食事を終えてそれぞれの部屋に彼らが戻ったのを確認して俺は思いっきり伸びをする。

彼らには疲れを見せないようにしているので逆に1人の時は最近は思いっきりだらけるようになってしまった。


カウンターで肩肘をつきながら次に購入する自宅運営スキルの購入品をだらだらと眺めていたら彼女が帰ってきた。

肩で担いだ袋をパンパンにしている彼女はバツが悪そうな顔でこちらを見ていた。


「すまん、こんな遅い時間に。」

「ううん、無事に帰ってきて嬉しいよ。お帰りナクティス。」


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「ミスリル鉱石、アダマンタイト、ブラックダイアモンド!希少鉱石が多いね。」

「ああ、バルデンに騎士団から大口の依頼が入るという話を聞いていたのでグレートゴーレムを狙ってドート山に行ったからな。」

「相変わらず優秀だね、ナクティスは。」

「ふっ、貴方に取引を続けて欲しいと言ったのは私なのだからな。私も全力を尽くすさ。……ところでオオヤ。」


ナクティスが納品してくれた素材を前に二人で雑談する。

彼女は以前よりも多くの素材を持ってくる様になった。

それは俺に冒険者ギルドの真似事をさせたのが自分であるという責任感からだろう。

雑談中、急にナクティスはこちらを思いやるような口調になった。


「ん?どうしたの?」

「いや……、最近少し疲れているんじゃないか?」

「えっ?ははっ、そんな事ないよ。」

「……すまない。あなたに無理をさせてしまう事は分かっていた。私にこんな事を言う資格はないかもしれないが、私には隠さなくていい。」

「ありがとね、でも本当に大丈夫だよ。自分の選択にも後悔は一切ない。」

「そうか……、だが何かあれば私に相談してほしい。その、私達は仲間なのだからな。」


彼女は少し照れくさそうにそう言ってくれた。

確かに、俺は最近疲れている。

あのまま宿の経営だけをしていたらこんな苦労はしていなかっただろう。

しかし、俺は元々この宿を開いた切っ掛けは誰かの居場所を作るという目的があったからだ。

そんな漠然としたヴィジョンの中にあったのは旅人や冒険者達の一時に憩いの場にするという緩いイメージであった。

しかし、元々の目的を考えれば今の方がむしろ俺の理想に近い。

だから今の俺は忙しいながらも充実している。

きっとあの時彼女に喝を入れられなければ俺は緩やかに腐っていた可能性がある。

だから彼女に感謝こそすれ文句は一つもない。


「ありがとう。……ナクティス、いつも助かってるよ。これからもよろしくね。」

「あ、ああ!と、ところでオオヤ、貴方はずっと頑張ってるな。街で小耳に挟んだんだが頑張っているギルドマスターを冒険者は労う必要があるらしい!な、なのでどうだろう、今度デートに行くというのは…」


どっかで聞いた似たような話をするナクティスを見ながら俺は今後を考える。


ただの宿屋をやっていくつもりが冒険者ギルドの仕事を今後する事になった。

予想外の方向に行くことになったが立地、それに所属冒険者は全員優秀だが人数も少ない。

これ以上忙しくなる事もないだろう。


ナクティス達の居場所となり、社会に細々と貢献する少数精鋭の知る人ぞ知る小さな宿屋兼冒険者ギルド。

うん、なんだか格好良いじゃないか。


今後もこの幸せを継続する為に明日も働くとするかな。

ま、あくまで程ほどにね。



【異世界で宿屋経営をしていたらいつの間にか帝国一の冒険者ギルドになってました。】


1章 終
















「私の手足、まだついてないのだけれど……」


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