第12話
「ああ、そういえばここだよ。ナクティスが倒れていたのは。」
「む…?そうなのか、しかし、行き倒れていた不審な魔族によく関わる気になったな」
「ははっ、それと言うなら、ナクティスも俺みたいな誘拐犯の宿によくもう一回来る気になったね。」
ナクティスに誘われた後、俺は最近購入したフォーマルな服に着替えて彼女と出かけた。
この前よりはマシな装いだと思うけれど側から見れば月とスッポンと言う言葉すら烏滸がましいだろう。
相変わらず繁華街まで行くのに歩く事になるが道中、彼女と会話している時間は楽しい。
「ふふっ、お互い様だと言いたいのか?私も最初は驚いたぞ、起きたら硬く冷たい地面に寝ていた筈がふかふかの暖かいベットにいたのだからな。」
「ふふん、自慢のベッドだからね。驚く程素晴らしいだろう?」
「いや、そういう事を言っている訳ではないのだが……ん、あれは……。」
会話中にナクティスが何かを見つけた様で指で俺にそれを指し示した。
「こんな所にいるとは珍しいな、フェローム・モスだ。あれは香水の素材になるんだ。」
「流石ナクティス、良く知ってるね。」
「クーバに持っていくのはどうだろうか。彼女の花屋の客なら興味を示すだろう。」
「そうだね。」
俺が頷くと彼女は存在感を消して近づき簡単に捕まえて見せた。
ナクティスは強大な魔力を有しているだけでなく、剣の技量も示す通り技のレベルも高い。
礼儀作法も身に着けているし本当に理想の冒険者だ。
彼女はフェローム・モスを片手にこちらに無邪気な笑顔を向けた。
「よしっ!昆虫は握りつぶさない様に採取するのが難しくて失敗もよくするんだ。上手くいって良かった。さあ、オオヤ。」
彼女はそのままそれを俺に渡そうとしてくる。
俺はそれをやんわりと拒否する。
「ナクティス、クーバとは君も顔見知りになったんだ。俺を経由しなくても直接持って行ってしまえば良いよ。彼女なら君に意地悪もしないさ。」
「えっ……?あっ、す、すまん。無意識だった。……本当に申し訳ない。オオヤ。」
彼女はしまったという顔をして俺に謝った。
彼女はフェローム・モスをもぎり取った葉っぱで丁寧に包んでポーチに仕舞った。
そして少し落ち込んだ顔をして俺の方を見た。
「オオヤ、今回貴方をデートに誘ったのは……話したい事があるからなんだ。」
「そうなの?」
「ああ、歩きながら話さないか?」
彼女の提案の通りまた街に向けて歩き出す。
ナクティスはあえて俺の方を見ない様にしているかの様に真っすぐ歩いていく道を見据えながら喋りだした。
「あの時、貴方が私達に自由の盟約の冒険者でいるべきだと言った時……私は酷く落胆した。そしてそんな自分をすぐに嫌悪した。」
俺は何も言わずに彼女の横を歩きながら話を聞く。
「貴方が私の素材を取り扱ってくれたのは例外的対応だった。それを私は分かっていた筈なのに、私は貴方に厚かましい期待をしていた事に気づいた。問題が解決した後もこのまま貴方の下で働けるのだと。」
「君との取引は俺にとっても利があるものだった。ナクティスが負い目を感じる理由は無いよ。」
「しかし、では何故私との取引を終わらせるんだ?」
「あの時、アリヤースの提案を断った理由以外の事はないよ。俺はナクティスや彼らに今後の保証が出来ない。そしてそんな状態で安請け合いする事は対等な取引関係としても友人としても出来ない。君に問題は一つもないよ。全てこちら側の問題さ。」
ナクティスは俺の説明に納得がいっていないのか難しい顔をしている。
俺はそんな彼女に苦笑するしかない。
「もっと情けない言い方をすると俺は君達に対しての責任を放り投げたんだ。俺じゃあ君達の生活を担保出来ないから自由の盟約を頼ってねっていう形でね。」
「ふっ、何を言う。貴方は何の関係のない私を助ける為に多くの代償を支払って来たじゃないか。責任という事を考えるのならば貴方はまるで親の様に持ってくれたよ。だから今の私のこの感情も子供の癇癪の様なものだと分かってはいる……しかし。」
彼女は歩く速度を速め、俺の前に躍り出てこちらを真っすぐ見つめてくる。
「オオヤ、私は今から自分勝手な事だけを言う。聞き苦しいかもしれないが全て私の本心だ。聞いて欲しい。」
「うん、いいよ。」
彼女は一瞬目を泳がせて逡巡を見せた後にはっきりとした口調で話し始める。
「私は自由の盟約で働きたくない!あいつらは大っ嫌いだ!」
彼女はまるで子供の様な率直な言葉で自分の本心を叫んだ。
「こちらを軽くぞんざいに扱っておいて、自分達が困ってから金出す改善するなんて言われても信用なんて出来るかっ!また状況が変われば私を平気で切り捨てるに決まっている!」
ナクティスの言っている事は正論だった。
彼女の懸念は最もだ。
俺はナクティス、及びカイドー達は今回利害関係によって自由の盟約と対等な契約を結べると言った。
それはつまり利害関係がなくなれば彼らは平気でこちらを害す可能性があるとも言える。
ナクティスに対する扱い、カイドー達への探り、どれも自由の盟約が所属冒険者を軽んじていた事を示している。
それは自由の盟約が簡単に誰でも所属できるがゆえにギルド員と冒険者の間に連帯感という意識が弱いというのにも起因しているのかもしれない。
それでも俺は今回の件である程度の期間は利害関係を継続出来て、結果的には彼らの立場は守られると考えていた。
しかし、そんな不安定な立場にナクティスが不満を持つのは当たり前だ。
だから俺は彼女の言っている事を黙って聞くしかなかった。
「金は確かに大事だ、私には守るべき仲間達がいる。彼らの為に私は金を稼がなければいけない。オオヤが言っている事も分かる。……しかし、自由の盟約も不安定ではないと言えるのか?確かに今、アリヤース達と一緒に私達に利がある契約をする様に話を進めている。しかし契約相手そのものが信用出来ないのであればそれに何の意味がある?」
彼女の言葉はどんどん早くなっていき興奮しているのが分かる。
彼女は俺を指さした。
「そもそも、オオヤ!あなたは甘い!」
「えっ、俺?」
急に矛先が俺に向いた気がして素で問いかけてしまった。
「はっきり言おう!貴方の宿の経営は破綻している!」
「ええ!?」
「ええ、ではない!あんな場所で客なんて来るわけがないだろう!貴方は私の生活の為だのなんだの言うがそもそも貴方自身が人の事を心配していられる立場ではない!」
「いやいや、まだ俺は宿を開店してから4か月ぐらいしか経ってないんだよ?これからだよ。」
「しか、ではない!もう、だ!その4か月の間で私以外に来た客は誰がいる!」
「ほら、リシアでしょ、それにカイドー……」
「あいつらは客ではない!」
彼女は自由の盟約に懸念を示したかと思えば俺の宿の経済状況について口を出してくる。
悲しい事にその件についても正論の為、反論する俺の言葉も我ながら実に弱弱しい。
「貴方は他人の心配ばかりをしているが自分の宿の経営の心配を真っ先にするべきだ!貴方の宿屋業は道楽なのか?」
「いや…」
「違うだろう!」
彼女は最早俺に喋らせてすらくれずにまくし立ててくる。
「どう考えても貴方にとっては私との取引を続けた方が良いに決まっているじゃないか!」
「だから言ったじゃないか君達の今後を保証できないのに…」
「何故一緒にやって行こうと言ってくれないんだ!」
彼女は感情が爆発しているのか目を潤ませて俺に掴み掛かってきた。
「今後の保証?誰がそんな物を必要だと言った?私は別にオオヤに寄生して生活をしたいと言っているわけではない!貴方にとって私はただの保護対象なのか?」
俺はその時ようやく気付いた。
彼女が一か月前に俺に気を使って押し殺してこの一か月間燻ぶらせていた彼女の本心を今俺に伝えているのだと。
「対等な関係を築いていこうと最初に、魔族である私に言ってくれたのは貴方ではないのか?私は貴方にとってただの差別されている可哀そうな女でしかないのか?」
「ナクティス、俺は」
「確かに私はこの人界では差別されている、それは認めよう。だが貴方だってあんな場所で宿屋を経営して苦しい立場じゃないか。何故、そんな貴方が一方的に私に与えようとするんだ?何故、協力をしていこうとしてくれないんだ。」
「一方的という事はないさ、君は俺の宿を利用してくれているじゃないか。」
「私をただの客扱いするな!」
俺のその場しのぎの誤魔化しの言葉で彼女は完全にキレた様で俺の胸倉を掴んできた。
彼女の瞳孔は完全に開いておりドラゴンが激怒した時の様な輝きを放っている。
「あそこまでしてくれた貴方を私がただの宿屋の店主として思っているとでも?はっ、たかだが銅貨3枚で貴方はあそこまでしてくれるのか!命まで掛けてくれたのか!随分サービスが良いのだな!」
「ごめんよ、ナクティス。そんなつもりで言った訳じゃない。俺は、君の事を特別に思っているよ。ただの客だなんて思ってない。」
「………」
俺は彼女の肩を掴み必死に宥めようとする。
この一か月間、彼女はこの彼女の魔法の様な激情を押し殺していたのだろう。
彼女はゆるゆると俺の胸倉を掴んでいた手を放す。
「………すまない、こんな感情的に話をするつもりはなかった。……オオヤ。」
「なんだい?」
「本当なら、もっと貴方みたいに冷静に話をしようと思っていたんだが……。」
彼女は涙を拭い深呼吸をした。
「オオヤ、私は自由の盟約が信用出来ない。元々私があそこの冒険者になったのは他に選択肢が無かったからだ。……しかし今は違う。私には今は貴方がいる。そしてオオヤ。」
彼女は一歩俺との距離を詰めて顔を近づけてくる。
彼女の真っすぐとした瞳がよく見える。
「貴方の宿は先ほど言った通りまともに機能していない。ただの宿泊施設としてあそこを利用する利点は……あるが。その魅力を都市の冒険者に伝えるのは難しいだろう。」
「うん、まあその通りだね。」
「だから私から提案だ。今後も私との取引を継続させてくれ。私は信頼出来る取引先を手に入れられて、貴方は継続した利益を得る事が出来る。」
「俺の販路が乏しい問題はどうするんだい?」
「この一か月間、リルリア達に必要な素材についてヒアリングした。継続的に納品が必要な物についてもな。」
「成程、ね。」
ナクティスはどうやら突発的な激情によって俺を今説得しようとしている訳ではないらしい。
事前に俺と交渉する為の材料を持ってきたわけか。
「でも、そういった素材は高額な物という訳ではないでしょ?ナクティスが得る利益は大幅に減るんじゃないかな?」
「そうかもしれない……、しかしリルリア達は店を大きくする意志がある。という事は取引量も今後増える可能性がある。」
「ふーん、でも必要量が増えたら安定的な供給元を求めるんじゃないかな?」
「そこは……、その、私が頑張る。」
俺は彼女の言葉に笑ってしまう。
それにナクティスは拗ねた様に頬を膨らませるが俺が笑ったのは彼女が本当にそれを実現させてしまいそうだからだ。
彼女の言っている事はほぼほぼ正論だった。
そもそも俺は同情から彼女に関わったのだ。
差別しているつもりは無かったが不当な扱いも過保護な扱いも彼女にとっては疎外感を与えてしまうのかもしれない。
対等な関係を築こうと言っていた俺が彼女の問題にだけ積極的に関わって俺の問題は俺だけの物なんて言ったら高潔な彼女からしたら面白くないのは当たり前だ。
だが言い訳をさせて貰うと俺が彼女にそんな態度で接するのには理由がある。
本当に下らない理由だからあまり言いたくないのだけれど。
「いつまで笑っているんだ!……それで、どうだ。私の提案は。」
「うーん、やっぱりリルリア達の店が大きくなるっていうのも先々の話だと思うしなぁ。やっぱり販路自体の拡大は必要だと思うな。」
「……むぅ…。」
「まあ、そこらへんは最近、中小規模の店向けの商工会議所の寄り合いに参加し始めて何とかしようとしている所だからその内何とかなるかな。」
「………む?」
「いやはや、1か月掛かっちゃったけど会議にも今度参加させて貰う事になってね。」
「……どういう事だ?」
「えっ?だから販路の拡大は俺の方で何とか出来そうってこと。」
彼女はポカンとした顔で俺を見つめる。
「な、何故、アリヤースの提案を断っていたのにそんな行動を…?」
「いやあ、はっはっは。まあ、良いじゃないか。ほら、デートの続きをしよう。まだ繫華街までは遠いよ。」
「ま、待て!もしかしてまさか全て貴方の掌の上だったのか?というかそれは私の提案に同意したって事で良いんだな!……待て!ちゃんと答えてくれ!」
俺は彼女の静止の言葉を無視して歩みを速める。
当然、俺の掌の上という事はない。
俺はこの話を今、この段階でする気はなかった。
俺の行動の理由なんて恥ずかしいから言いたくないからだ。
俺がアリヤースの提案を断った理由はあの場で語った事がすべてだ。
彼らの生活を保障出来ないからだ。
しかし、逆に言えば彼らの生活をある程度保証出来る試算が出来れば提案を受け入れるのも良いと思っていた。
ナクティスの言う通り利害関係で縛ったとはいえ自由の盟約は信用出来ないからだ。
それを俺は彼らに何かまた問題が起きた時や販路の確保の目途がついた時にタイミングを見て提案をしようと思っていた。
そうしたかったのは本当に下らない理由である。
高潔で、勤勉で、優秀な冒険者であるナクティスに頼りになる人として尊敬されたかった。
ただそれだけの理由だったのだから。
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