第5話

「おはよう、ナクティス。」

「ああ、おはようオオヤ。昨夜は大丈夫だったか?ベットから落ちたと言ってぇぇぇええ!?」


早朝だというのにきっちりと身だしなみを整えているナクティスは俺の顔を見ると大声をあげて驚いた。

彼女は震える指先を俺に向けて問いかける。


「ど、ど、どうした、その傷は!」

「ああ、これ?昨日ちょっとね。」


俺は昨日、耳がひきちぎれてわき腹の肉を削がれてしまった。

今、そこには布を巻いている。


「いやぁ、包帯を買っておくんだったよ。利用者には冒険者もいるんだから必要な時はきっとあるよね~。準備不足だったなぁ。」

「何故自室でそんな大けがをするんだ!」


彼女は慌てながら俺に近づくと手のひらを俺の患部に向けて魔法を発動した。


「ああ、そんな仕事前に魔力を無駄使いしちゃダメだよ。」

「大人しくしていてくれ…!人族と系統は違うが多少は魔族の治癒魔法も効果があるはずだ…!」

「俺は大丈夫だか…!いででででで!」


傷部分が熱した鉄を押し付けられた様な痛みがする!

無理やり肉を動かされている様だ。


「ちょ、ちょっとナクティス。やめて!痛い!」

「ほら!やっぱり痛いんじゃないか!瘦せ我慢はするな!」

「いや、そういう事じゃなくて!痛ぁ!」


数分後、俺の傷は完全に癒えた。

しかし、治癒の間俺は情けなく泣きわめいてしまった。

実は、俺はなんでも素直に反応する彼女に尊敬されたくて実像よりも過剰に頼りになる人物を演じていた部分がちょっとあった。

その仮初の姿が剥がされた気がした。


「あ、ありがとうナクティス、完全に治ったよ。」

「全く、オオヤは自分の事に無頓着過ぎるぞ。…それで?昨夜、何があったんだ?」

「ああ、実はね…」


俺は彼女に昨日の夜の事を話した。


「暗殺者だと?まさか、あの男…!」

「うん、このタイミングは間違いなくザナークだろうね。」

「………オオヤ、すまない。私のせいだ。」


ナクティスが宿を飛び出しそうになったのでそれを抑える


「どこにいくの?」

「奴の所だ!あなたに危害が加わった今、最早猶予はない。私がケリをつけてくる。オオヤ、ありがとう。あなたとの日々は私のここ10年の人生の中で最も心休まるものだった。もう2度と会う事はない…」

「ちょっと、落ち着いて。こういう時こそ短絡的思考になっちゃダメだよ。」


彼女はまるで自分の人生のクライマックスを飾るかの様なセリフを言い出したので肩を揺さぶって落ち着かせる。


「しかし…」

「ナクティス、昨日話し合った事を思い出して。逆にこの状況は悪くない。」


彼女をテーブルまで誘導して席に着かせる。

俺は紅茶を彼女の前に置いてから話し始める。


「暗殺者は俺を殺すのに金貨一枚で請け負ったと言っていた。これから見えてくるものはザナークの懐事情と彼にとってのこの件の重要度だ。貴族ならいざ知らず、一般市民であるザナークが金貨一枚をいくら頭に血が上ったからって感情だけで使うとは思えない。」

「つまり…、昨日あなたが言っていた説は当たっている可能性が高いということか…」


ナクティスは少し頭が冷えた様で話に乗ってくれる。


「そう、それともう一つは彼は明らかに今の状況に焦っているという事だ。昨日決めた俺達の方針を思い出して。」


彼女は俺にそう言われるとメモ帳を取り出してペラペラとめくった。


「昨日、決めた事は…。まず私たちは現状は今まで通りにするんだったな。…ギルドに私が行かない以外は…。」

「そう、ナクティスには不便を強いるけど差し当たりザナークとの問題が解決するまではギルドに立ち寄るのはやめた方が良いだろうからね。そして、俺らは彼の行動によってこちらも対応を変えることにした。まず考えられる彼の行動はなんだったかな?」

「ザナークは私を取り戻したいと考えているとしたら。私に直接的な害を与えてくる事は考えにくい…だったな。」

「そう、だからザナークがしてくるとしたら兵糧攻めの様に経済的、社会的にこちらを追い詰めて君が自主的にギルドに戻る様に仕向ける為の行動だ。」


俺は指を二本立てる。


「その為に出来ることは、こちらの販路を潰す事、その次にこの宿自体を潰す事。ザナークは俺という君への協力者がいなければ好む好まざるに関わらずギルドに頼らざるをえないと考える。君にも生活があるからね。」

「………ふざけるなと言いたいが、実際私がお金を稼ぐ方法は少ない。オオヤの言う通りギルドに頼らざるをえない可能性は………すまない、無いとは言えない。」

「不本意でも生活の為にしなきゃいけないことは沢山ある。もしそうなっても俺はナクティスを責める気はないよ。しかし、ナクティス。君はとても気高い人物だ。」

「き、急に褒めるのはやめてくれ。心臓に悪い。」


彼女は顔を真っ赤にする、しかしこれは単なるおべっかというわけではない。重要な事実だ。


「重要なのは、君が金のために簡単に相手に屈する様な人物ではない事だ。ザナークもそれは認識している。」


ザナークは彼女を野良犬などと侮蔑した。

それは彼女のプライドを刺激する事だと分かってわざと言っているのだ。

傷つける為に、笑い物にする為に。

それは裏返せばナクティスがプライドの高い相手であると思っているという事だ。


「彼は君にギルドに早く戻って欲しいんだから、性急な手段は取るべきではないとバカでもなければ考えるだろう。強引な方法は君の反発を招いて復帰を遅らせるからね。だから俺は昨日、とりあえずこちらの販路を特定する動きをまずは始めると予想したんだ。しかし、彼は昨日即日即断で俺の命を奪う事を選んだ。」

「…成程な。だから逆にチャンスというわけか。」

「ああ、確かに販路を潰したり宿を潰す様に動くよりは俺を殺した方が手っ取り早く確実な方法だろう。しかし、そんな強引な方法を取ったらどうなるか彼にも想像出来るはずだ。昨日の君の態度でナクティスが俺の事を思ってくれているとあちらも認識している。」

「お、想っ!?いやいや、確かにオオヤに好意を持っているが下心とかは決して!決して、なななな、無いぞ!?た、多分!」

「ああ、いや友達として思ってくれているって意味ね」

「真面目な話をしている時にからかうのはやめてくれ!」


彼女は顔を真っ赤にして怒る。

ついつい感情豊かな彼女をからかってしまうのが俺の悪いところだ。

誤魔化し笑いをしながら彼女を宥める。


「ごめんごめん。それでね、俺の直接的排除は本当に最終手段のはずだ。君を舐めているにしても、俺を殺したらもう本当にギルドに来なくなる可能性がある事を全く頭に思い浮かばないなんてあり得ないだろう。」

「オオヤ…、私は大切な友人の仇に媚を売るほど恥知らずではない。もしそうなったら奴は必ず私の手で縊り殺すだろう。」

「はっはっは。そうならなくて良かったよ。お互いにね。…話を戻すと、ザナークは危険性と確実性を検討する事をせずに性急な策を実行した。これは彼が思ったよりも君がギルドに来なくなった事で追い詰められている事を示している。ナクティス、俺たちの作戦はなんだったっけ」

「奴のいやがらせなどを耐えて、奴が迂闊な行動を取った時にそこを突く、だったか?」

「そう、ナクティス。君は凄い冒険者だ。この2ヶ月で俺のしょぼい販路で捌けるもの限定なのに君は俺に金貨2枚に近い利益を1人でもたらしてくれた。自由の連盟であればもっと沢山のお金を稼げていただろう。彼は君が生む利益を盗んでいた。まさしく彼にとってはそれはあぶく銭。悪銭身に付かずという言葉があってね。不正で得たお金は散財してすぐに無くなってしまうっていう訳だ。…そして、それは間違いなくザナークの金銭感覚を狂わせた。」

「奴は大ギルドのギルド員とはいえ幹部という訳ではない。少なくとも平気な顔で金貨一枚を払うことなど出来る経済状況では通常ないだろう。」

「そうだね、だからこちらが彼の兵糧攻めに耐えきれ無くなるのが先か、彼の狂った金銭感覚で彼が破綻するのが先か。今回はそういう勝負になると俺達は考えた。しかし、もうとっくのとうにザナークは破綻していたのかもしれない。じゃあ次の行動は決まってくるね。」


俺は椅子から立ち上がった。


「とりあえずザナークの様子を伺いにギルドに行ってくるよ。」

「分かった。」

「いや、ナクティスは待機しといて。君がいると目立つからね」

「むぅ…。しかし危険ではないか?オオヤは命を狙われたばかりなのだぞ?」

「だからこそ今が一番安全なんだよ。俺が襲われたのは昨日の夜。ザナークはそれが失敗したことなんてまだ知らない。」

「…分かった。」

「じゃあ悪いんだけど、ナクティスは彼女の世話をお願い出来るかな?」

「…彼女?」


俺はナクティスをカウンター奥の自室に案内する。

扉を開けるとそこには昨日この宿のお客様第二号になった暗殺者の女性がいた。

目で人を殺せるのではないかと思えるほど俺を強く睨んでいる。


「オオヤ、まさかこいつが…?」

「そう、さっき言ってた暗殺者。えーっとそういえば名前を聞いてなかったね。」

「………」

「初めまして、俺はこの宿のオーナーのオオヤだよ。こちらがナクティス。ここのお客さん第一号なんだ。君の名前は?」

「………」

「ははは、低血圧なのかな?話す前にご飯でも食べるかい?」

「殺されたいのかしら?」


開口一番彼女が言ったのは改めての殺害宣言だった。

彼女の言葉でナクティスの眉毛がぴくりと動いた。

部屋の中には不穏な空気が流れている。


「そんな有様で虚勢を張ってなんになる。私はオオヤの様に優しくはないぞ。残った腕も切り飛ばされたいのか?」

「薄汚い雌犬が飼い主の前だからってわざとらしくきゃんきゃん吠えて滑稽ね。昨夜は番犬にもならなかった駄犬の癖にねぇ」

「まぁまぁ、2人とも落ち着いて。建設的な話をしようよ。名前を言いたくないならそれでもいいよ。じゃあ暗殺者さん、君に俺の殺しの依頼をしたのはザナークで間違いないよね?」


俺は2人の仲裁に入り話を進める。

暗殺者は観念したのかため息をついた。


「………そうよ。」

「ふーん、なるほどね。そもそも君も含めてだけど、なんであの時ザナークについてきてたの?」

「私は、あいつに頼まれたのよ。他の連中の事情は知らないわ。…後私は別に冒険者というわけではないわよ。登録だけはしているけれどね。」


その後、彼女は存外素直に色々喋ってくれた。

彼女の本業は暗殺業でザナークは前に一度連合(都市にある暗殺者達のグループの事を言うらしい)を通じて依頼があったらしい、その時、金払いがよく彼女は個人的な連絡先を伝えていた様だ。

そして、今回俺の宿に行くのに身分を冒険者と偽らせて同行を願ったらしい。


「荒事になったら戦いに参加して欲しいと言われたわ。…まあ、魔族相手だから怯えていたのでしょうね。ついてくるだけで銀貨50枚と言われたし、私だけではなかったのと表で出来る仕事だったから二つ返事で引き受けたわ。」

「へー、本当に金払いが良いね。ちなみにザナークが最初に君に依頼した殺しの相手は誰なの?」

「それは………よ。」

「えっ?なに?」


彼女の言葉が急に小声になって肝心な所が聞こえなかった。

耳を彼女の方に近づける。

その時ナクティスの右腕が一瞬かき消えた。


「おっ」

「ぐぅ…!?」


下を見るとベッドの影から腕が俺の喉元に向けて手刀を突き刺そうとしていた。

しかしそれはナクティスに握りこまれて防がれた。


「あー、びっくりした。ありがとう。ナクティス。」

「…」

「ぐぅ…ふ、ぐぐ」

「ナクティス、放してあげて。」


ナクティスが手を離すと彼女の腕は影に消えた。

そしてベッドの上の本来の位置に彼女の手が戻る。

その彼女の手は

つまりミミズがのたうち回った様にぐちゃぐちゃになっていた。

ナクティスは軽く握っただけに見えたので驚いた。

そしてすぐにヒーリングベッドは効果を発揮した。

ベッドが光り輝くと彼女の指はゆっくりと修復していく。


「これは…?」

「ヒーリングベッド。寝ている人に治癒魔法を掛け続けるんだ。昨日、彼女が失血死しそうだったからね。だからこの部屋に寝させてあげてたんだ。」

「そんな物があるのか、聞いた事がないぞ………。というよりそんな物があるなら何故こいつに使わせてオオヤは使わなかったんだ!」

「まあ、一応彼女もお客さんだからね。」

「何を馬鹿な事を…!」

「まあ、まあそれは置いといて。」


不意打ちが失敗した彼女の方を見る、今は開き直った様にふてぶてしい態度でこちらを見ている。


「番犬、役に立って良かったじゃない…!」

「片腕だけになっても依頼を遂行するなんて、君の方が犬の様に忠実じゃないか。」

「ふん、間抜けの首が狩りやすい位置に来たものだから、つい、ね。」

「貴様…!」

「いいわよ、殺しなさいよ。言っておくけれどさっき素直に喋ったのは貴方達の油断を誘うためよ。もう何もしゃべる気はないわ。そしてまた殺すチャンスが来たら必ず殺してやるわ」

「…そうか分かった。そこまで死にたいなら燃やし殺してやろう。」

「殺しちゃダメだって。」


俺が殺すなとナクティスに言うと彼女は不満げな顔をして、暗殺者の方は何故か不安な顔を一瞬見せた。

なんだ?


「二回も殺されかけた癖に随分お優しい事………。こんな片腕だけの女に利用価値なんてないわよ。……………それとも、あなたみたいな不細工な男は穴が付いていればなんでも良いのかしら」

「オオヤを侮辱するなよ売女。」


ナクティスは指先を暗殺者に向ける。

その指先がどんどん発光、いや発熱していっている。

成程、そういう事か。

俺は彼女のやけっぱちの態度の理由が何となく分かってきた。

俺は椅子から立ち上がる。


「さて、ナクティス。大体聞きたい事は聞けたし。もう行くことにするよ。お客さんである君にこんな事をお願いするのは申し訳ないんだけど彼女のお世話を頼めるかい?」

「オオヤ…?それは構わないが…。この女は殺しておいた方が良いと思うぞ。貴方がしたくないというなら私が…。」

「その必要はないよ。じゃあ暗殺者さん。」


俺が声を掛けると彼女の肩がピクリと震える。

思えば彼女が怯えていたのは俺に性的暴力を受けると勘違いした時だけだ。


「見てよ、俺の耳。くっついてるでしょ?ナクティスにつなげて貰ったんだ。」

「そこの魔族は治癒魔法まで使えるのね…」

「そして君の片腕、両足は今冷凍保存しているよ。俺たちに協力したらそれを繋げてあげるって言ったら協力してくれる?」

「オオヤ!?私は反対だぞ!あなたの命を金で狙った女と協力するのは!それに私の治癒魔法でそれが可能とは思えん。耳を繋げられたのは小さい部位だったからだ。」

「ナクティスでは無理でも、プリースト級治癒術師に頼んであげるよ。」

「………四肢の接合なんて金貨1枚じゃあ足りないわよ。」

「はは、俺の命の価値より高いね。俺はね、別にそんな大きな野望があるわけでもない、平凡な男なんだ。凄い金持ちになりたいわけでもないし名声が欲しいわけでもない。ただこの宿を経営して社会の中で自分の役割を持ちたいだけなんだ。今、その俺の平穏が脅かされてお客さんであり友人のナクティスにも被害が及んでいる。それを解決する事が出来るなら金貨数枚なんて安い買い物さ。」

「…私をそこの魔族と同じように簡単に懐く軽い女だとでも思っているのかしら?」

「ナクティスは置いといて、君のことはむしろ純情な女の子だと思っているよ。」

「な、なにを…」

「怯えなくて良いよ。君の体には指一本触れないから。」

「…!」

「オオヤ?どういう事だ?」

「君だって本当は死にたいわけじゃないんだろう?俺たちに協力してよ」


彼女は下を向いて黙りこくった。

そして顔をあげてこちらを見てつぶやく様に自分の名前を言った。


「私の名前はリシア、よ。私の体に少しでも触れたら殺してやるわ…。」

「オーケイ。よろしくね。」


ナクティスは不満そうな顔をしているが暗殺者、リシアを今回の件の協力者にする事が出来た。


「じゃあ、今度こそ行くよ。」

「ああ、気を付けてくれオオヤ」

「待ちなさい。」


俺が出かけようとするとリシアに呼び止められる。


「ん?なんだい?」

「さっき言った通り私は特別あいつの事を知っている訳じゃないわ。けど昨日気になる話を聞いたわ…」


俺はリシアからザナークについての情報を得る事が出来た。

うーん、嬉しい誤算だけどこれは意外にすぐ解決しそうだな。

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