私の楽園 二
突然、娘の真美がいなくなって、
昨晩、自室に入っていく後ろ姿を確かに見たはずなのに。学校に行く時間になっても真美が食卓に現れず、体調でも悪いのかと部屋を見に行くと、真美の姿はどこにも見当たらなかった。
「真美。真美?」
誰もいない部屋に向かって、時子は真美の名前を何度も呼んだ。
結局、昼になっても真美は見付からず――夫の
警察の見立てでは、真美は時子と新造が眠っている間に一人で家を出たのではないかということだった。うちの子は聞き分けが良いからそんなことはしない、と時子は言ったが、あまり相手にしてもらえなかった。
とりあえず行方不明者届というものを出したが、真美は一般家出人という扱いになり、家出の可能性もあるので大がかりな捜索はできないという話だった。
時子は娘がいなくなったという事実にいまいち実感が湧かず、すぐに泣き叫んだりできなかった。――「ごめんね」と笑いながら、ふらっと帰って来るかもしれない。そんなことを思いながら過ごしていたら、あっという間に一週間が経った。
その日、時子が自宅で朗読の録音作業をしていると、インタ―フォンが鳴った。
ドアを開けると、同じマンションに住んでいる奈々恵が立っていた。小学校から真美と仲良くしていた奈々恵は、いつになく思い詰めたような顔つきをしていた。
「おばちゃん。……真美、大丈夫?」
思いがけない問いに、時子はうまく答えることができなかった。
真美が失踪したことは中学校の担任には話していたが、戻って来る可能性もあるので生徒にはまだ話さないようにとお願いしていた。奈々恵は真美が何かの病気にかかったと思って、心配してくれているのかもしれない。
「まだ学校には行けないけど、大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
「……これ、学校で配られたプリント」
奈々恵は時子に、何枚かのプリントをまとめて差し出した。ありがとう、と言って時子は受け取った。
「ねえ、おばちゃん。……真美って、本当に病気なの?」
奈々恵にじっと見つめられて、時子の心臓がどくん、と大きく鳴った。
奈々恵はふたたび口を開きかけたが、
「――うちの問題だから、奈々恵ちゃんは心配しなくて良いのよ。ありがとうね」
まだ何か言いたげな奈々恵をなかば強引に追い返すようにして、時子はドアを閉じた。
部屋に戻ってからも、自分のことを妙な目つきで見ていた奈々恵の顔は、頭からなかなか離れなかった。
――何よ、あの子。まるで私に問題があるんじゃないか、とでも言いたげな顔して。
私と真美のことなんて、何も知らないくせに――。
時子は苛立ちを隠せず、机の上に置かれたノ―トパソコンを乱暴に開いた。
「――真美。真美、起きて」
目を開けると、Eが私の体を揺さぶっていた。
まどろみの中で、私はEが指した方向を見た。
遠くに、ぼんやりとした人影が見えた。よく見るとそれは人ではなく――人の大きさぐらいある、四体の人形だった。
人形の関節はどれもおかしな方向に曲がっており、顔は子供が描いた絵のようにいびつで平面的だった。
人形は体をふらつかせながら、私たちにゆっくりと近付いていた。
その人形たちが何者なのか、私はすぐにわかった。――彼女たちは全員、私が通っていた中学校の制服を着ていたからだ。
智美、綾乃、沙紀、奈々恵。
忘れたくても、忘れられない。それはあの日、私を仲間外れにした四人の女子たちの人形だった。
「まみい、どこにいちゃったのお?」
「わあたしたち、ずうとしんぱいしてるんだよお」
智美に似た人形が口を開き、続けて綾乃に似た人形が喋り出した。実際の彼女たちよりもずっと低くこもった声で、話し方もたどたどしくて不気味だった。
「ねええ、かえっておいでよお」
右端の人形が、そう口を開いた。その顔や髪形は、私が小学校の頃から仲良くしていた奈々恵という子によく似ていた。
奈々恵の姿をした人形は、私に向かってゆっくり両手を開いた。
「かえって、おいでえええ……」
「嫌だ!」
Eを抱いたまま、私は大きな声で叫んだ。
「嫌、嫌! 絶対に帰らない!」
人形に囲まれたまま、帰らない、帰らないと私は何度も叫んだ。
その後も彼女たちは、私に向かって同情するような言葉を何度もかけてきた。が――やがて、その声はぱたりと止んだ。
私が顔を上げると、人形たちの姿は跡形もなく消えていた。
――私はようやく、息をついた。
奈々恵は気が弱くて、いつも周りの女子に意見を合わせていた。心配しているふりをしても、いざ私が帰ってきたらまた嫌がらせをするのだろう――。
以前はそんな奈々恵とどう付き合えば良いのか悩んでいたが、自分の居場所が見付かった今となっては、彼女のことなんてどうでも良かった。
腕の中にいるEを、私はしっかりと抱きしめた。
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