第9話 庵野さん

 翌日の放課後、今日も星1ダンジョンに行こうと思い校門に向かうと、見知った女性が校門の前に立っていた。


 その女性は私を見つけた瞬間に頭を下げた。


「庵野さん?」


 校門で私を待っていたのは、昨日ダンジョンで助けた女性である庵野さんだった。


 昨日脚を大怪我して病院に運ばれたのに、もう歩いて退院できてるのね。回復系の能力でも持ってるのかしら?


「急に押しかけてしまってすみません」

「いえ、大丈夫ですよ。それにしてももう退院できたんですね。脚も問題ないようで良かったです」

「はい、今朝父が病院に来て……。傷も塞がったので、病院の方には無理を言って退院させてもらいました」


 庵野さんは少し気まずそうに退院できた理由を説明すると、肩から下げているバックから小さな包みを取り出した。


「これあの時助けて頂いたお礼です。好みに合うか分からないですけど、私の一番好きな紅茶を持ってきました。皇高校の方なら紅茶を嗜むかと思いまして」

「わざわざありがとうございます。紅茶はよく飲むので嬉しいです」


 わざわざお礼を持ってきてくれた人のお礼を断るのもどうかと思うので、素直に紅茶を受け取っておく。お礼を届けるためだけに早く退院するような人なら、尚更受け取ったほうが良いと思う。


「それで相談なのですが……」

「なんでしょうか?」


 お礼を受け取って、その後どうしたものかと様子を伺っていると、庵野さんが意を結した様子で口を開いた。というか意を結しすぎて私の手を掴んでいる。


「私に修行をつけてください!」

「……はい?」



 ◆◆  ◆◆



 突然な申し出に驚きつつも、取り敢えず落ち着いて話せる場所に移動した。

 大通りから少し細い道に入って、そこから更に細い路地裏のような場所にあるカフェ。コンクリートブロックの壁に植物の葉や蔦なんかが巻き付いているような場所。

 けれど、その軽く廃れた様子が、温かな木製で出来ている小さな建物の美しさを増している。


「一条さんこんなにオシャレなカフェを知ってるんですね。私こんな所来たことありません」

「友人が教えてくれたんです。私も何回も来ている訳じゃないですよ」


 高校近くの隠れ名店カフェ。ここは人も少なくて、落ち着いた雰囲気がのんびりお茶をするのにちょうど良い。私たち4人は目立つので、こういうお店があるのはありがたい。

 勿論芸能人界隈で色んな美味しいお店を知ってる梓のオススメのお店だ。


「庵野さんは何を頼みますか?」

「えっとじゃあ……私はエスプレッソで」

「分かりました。なにか食べ物は」

「うーん、ショートケーキでお願いします」


 カウンターでコーヒー豆の選別をしているマスターを呼び、庵野さんのエスプレッソとショートケーキ、私のアールグレイティーとスコーンを頼む。


「それにしても本当に一条さんは皇高校の学生さんだったんですね」

「本当に、ですか? 見ての通り現役の女子高生ですよ」


 そう言えば私は庵野さんに自分のことを何も言っていない。それなのに庵野さんが高校の前に来ていた。何故知ってるのだろうか。

 考えられることと言えば、病院関係者か警察の後藤さんか……


「あの時制服を着てたじゃないですか。それを薄っすらと覚えていたので」

「あー……そう言えばそうでした」


 まぁそういうことよね。


 今思い返してみても頭が悪いと思う。いくら余裕とは言え、あの時のようにイレギュラーはダンジョンに付き物なのだ。それなのに高校の制服のまま行くだなんて考えられない。


 ……今日も制服で行こうと思ってたけど、それは秘密ね。


「でも本当に制服でダンジョンに潜る人なんているのか、あれは皇高校の制服風の防具で本当は現役女子高生じゃないんじゃないかって思ったんです」

「はい」

「でも病院の人に聞いたら私より若い女性と言ってましたし、一条さんに会うなら皇高校に行くしかないと思ったんです。それで校門の前で待っていたら一条さんが来たので、安心しました」

「なんだか変なことで惑わせてしまったみたいですみません」

「いえいえ! 私が勝手にお礼したくて伺っただけなので! それに私も皇高校出身なので、なんだか懐かしかったです」


 お互いにペコペコしていると、バイトの若い女性が飲み物とお菓子を持ってきてくれる。


「アールグレイティーとエスプレッソです。お好みでこちらをお使い下さい。それと、ショートケーキとスコーンです。ごゆっくりお過ごしください」


 2つの飲み物と2つのお菓子。そして、ミルクや砂糖なんかも一緒に置いていってくれる。


「んー美味しそうですね」

「ここのお菓子はどれも絶品ですよ」


 2人して美味しい飲み物とお菓子を嗜み、優雅な放課後を楽しむ。本当は今日も星1ダンジョンに行こうと思っていたのだけど、こうなってしまってはしょうがない。


「本当に美味しいですね! ショートケーキのクリームの質も、エスプレッソの風味も最高です!」

「それは良かったです」


 庵野さんは本当に心から言っているという事が分かるくらい目をキラキラさせながらケーキを頬張っている。ほっぺに手を当ててうっとりとした様子だ。


「ふふふ、庵野さんが美味しそうに食べてるからマスターも嬉しそうですよ」

「えっ! あ、マスターさんですか! ……美味しくいただいてます!」


 私の視線に合わせて庵野さんもマスターの方を見て、自分が見られていたことに照れつつもお礼を言っていた。

 マスターも立派な髭を触りながら嬉しそうに微笑んでいる。


 庵野さんも私も、その調子で最後まで飲み物とお菓子を楽しんだ。ゆっくりとした放課後で非常に気分が良い。


 たまにはこういう時間を過ごすのも悪くないわよね。


「一条さん!」


 そんな事をしみじみと思っていると、庵野さんが姿勢を正して話しかけて来た。しっかりと私の目を見て、真剣な表情だ。


 そんな様子で話しかけられては、私もこれ以上話を逸らしてはいられない。別に面倒ごとを避けたくてカフェに連れ込んだ訳ではない。


 本当よ?


「改めてお願いさせて下さい。私に修行をつけて下さい!」

「ごめんなさい」

「えぇっ!」


 私の即答拒否に庵野さんが可愛く大袈裟に驚く。いや、大袈裟というかそれぐらいびっくりしているという事なのだけれど、あまりにもそれが可愛くて微笑んでしまう。


 あーだめね。なんだかこの人は梓感があるわ。ついついいじりたくなっちゃうわね。


「ふふっ、冗談です」

「な、なんだ冗談ですか! 良かったー。じゃあ修行つけてくれるって事で良いんですか?」

「そうですね。修行をつけても良いとは思ってます。でも、その理由を教えて欲しいです。なにを目標にして、なんの動機で強くなりたいのか。それを知らないと適切な修行は出来ません」


 これは意地悪してる訳でもなんでもない。本当に必要な事だ。


 例えば極端な話、バスケットボールが上手くなりたい人にサッカーボールを上手く扱う指導をしたってまるで意味が無い。シュートが上手くなりたい人にディフェンスを教えたって、求めている結果を齎せる事は出来ない。

 そういうミスを無くすために聞いているのだ。


「えっと、はい。分かりました。一条さんにはお話します」


 庵野さんは神妙な面持ちで口を開いた。


「姉に勝ちたいんです。私が姉に勝たないと、私の父の会社は潰れてしまうんです」


 なんだか面倒ごとの匂いがした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る