第2話 お弁当


 フェンリルは、屋敷で一人静かに過ごす日々がほとんどであった。


 一方、フランツは軍曹から曹長に昇進し、その忙しさはますます増していった。共に過ごす時間はほとんどなく、彼が屋敷にいること自体が極端に減り、もはや二人の婚約など存在しないかのように感じられた。


 ただ、愛情によるものではなく、婚約解消を防ぐための防波堤を築くために、フェンリルはフランツに好かれる努力を決意した。その思いを胸に、ある朝、フランツのための弁当を作ることにした。


「これは、フェンリル様! 朝早くからどうなさいましたか?」

「あの……旦那様にお弁当を作りたいのですが……」

「まぁ、素敵ですわ! フランツ様のためにお料理だなんて、喜んで手伝わせていただきます!」


 寝ぼけ眼でキッチンに向かい、朝食を調理していたメイドにそう言うと、快く、笑顔を浮かべて手伝うことを申し出てくれた。


「フェンリル様は、お料理の経験はございますか?」

「……いえ、今回が……初めてです」

「まぁ! ではフェンリル様の初めてのお弁当、素敵に仕上げましょう! それで、ミートパイなんてどうでしょうか?」

「ミートパイですか……?」

「はい、フランツ様の大好物ですよ!」

「で、では、それが良いと思います……」

「かしこまりました!」


 メイドは鍋に油を熱し、みじん切りの玉ねぎを加えた。甘い香りが立ち上ると、豚ひき肉と牛ひき肉を投入する。肉がじゅうじゅうと焼かれ、フェンリルは期待に胸を膨らませた。


「塩と胡椒を振りかけましょう。あとは、パセリやタイムも加えると、フランツ様の好みに仕上がりますよ!」


 指示に従い、フェンリルは調味料を加えた。次に、パイ生地を作るために小麦粉、バター、水を混ぜ、滑らかな生地を作る。


「お上手ですよ、フェンリル様!」

「……あ、ありがとうございます」


 生地を型に押し込み、冷やしたフィリングを詰めて蓋をし、形を整えた。最後に卵黄を塗り、オーブンで焼くこと約三十分……。


 可愛く弁当箱に詰められたミートパイが完成した。


「……上手くできたと思います……」

「はい! とても美味しそうですよ!」

 

 フェンリルはじっと完成品に見惚れていた。焼き上がりのパイは、黄金色に輝き、パリッとした食感が目に浮かぶ。

 

「きっと、フランツ様も喜んでいただけますよ!」

「……はい、喜んでほしいです」

 

 メイドが微笑む側で、心を込めたミートパイを前に、フェンリルは小さく頷いた。


 その表情には「旦那様、喜んでくれるでしょうか」と言わんばかりの期待が溢れていた。


(フェンリル様、かわいすぎます!)


 メイドはそんな思いを抱きながら、陰から二人の行く先を見守った。


「……だ、旦那様! お待ちください!」


 フェンリルは、急いで玄関のドアを開け、外へ飛び出した。慌ててドアを開けると、フランツは馬車の側に立ち、急いで乗り込もうとしていた。彼の後ろ姿は、忙しさを漂わせていた。

 

「旦那様……!」

「ん、どうした? 今日は忙しいから、用件があるのなら早く伝えてくれ」

「そ、その……旦那様のために……」

「なんだ、モジモジと気持ちの悪い」

「……旦那様のために、お弁当をお作りいたしました……」


 小さな弁当箱には、丁寧に詰められたミートパイが並んでいる。フェンリルの小さな手は震えながらも、弁当をしっかりと握られていた。

 

「弁当……? まさか……そんなくだらないもののために俺を呼び止めたのか? ……俺はもう行くぞ」


 少しの沈黙が流れ、フェンリルはフランツの反応に思わず肩を落とした。


「……申し訳ございません……お気をつけて、行ってらっしゃいませ……」


 彼は馬車に乗り込み、そっぽを向いたまま、さっさと出発してしまった。石畳を叩く馬車の車輪が、静かな朝の空気を裂いていく。


「届けられなかったみたいですね……」

「フランツ様も少し可愛げがあればよろしいのですが……」


 陰で見守っていたメイドが、ため息交じりに呟いた。その隣にいたゴードンも、残念そうに頷いた。

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