第二十三話
大川と優花の二人の刑事は、笠河電気の応接室に座っていた。そして、その二人の前にいるのは、副社長の高木と女性秘書だった。
「もう大変ですよ」
腰を下ろしながら高木は言った。
「連続殺人事件でこんな小さな会社なのに社員が二名も死んだんです。しかも、犯人は社内にいることを示唆する報道が相次いで、もう収集がつきません」
「そうでしょうなあ」大川はなぜかのんびりとした口調で言った。「しかし、まあ、これも想定内でしょう」
「想定内? どういうことでしょうか」
「いや、言葉が悪かったですね。まあ、一ノ瀬明夫をE社から引き抜いた時点で、ある程度想定していたことなのでは?」
「どういう意味ですか? そんなことよりも、彼を逮捕したんですか?」高木は言葉を荒げた。
「いえ。まだです」大川は淡々と答えた。
「どうしてなんですか。彼は自分のアパートに放火までして、証拠を消して逃げているんですよね。彼がこの連続殺人の犯人なんですよね。警察もそう判断しているんですよね。それなのに、どうして逮捕しないんですか?」
「行方がわからないからです」
「そんなもの、警察の力で探し出せばいいんじゃないですか? どこかに隠れているんでしょう」
「ええ、そうなんですが、どうも、彼の逃亡を支援している人間がいるのではないかと・・・」
「共犯者ですか? 誰ですか?」
「まだ、わかりませんが、そのことに関連して、少し教えていただきたいことがあります」
「何でしょうか」高木副社長は大川の態度に苛立っていた。
「ええ、その問題社員、つまり一ノ瀬明夫をE社からわざわざ引き抜いた経緯を、もう一度教えていただきたいんです。だって、彼がE社内でパワハラ事件を起こしたことはご存知だったんですよね。そんな問題のある人間をどうして・・・」
「もちろん、当時は、彼がこんな悪質な行為を行う社員だとは、思っていませんでした。少なくとも、人を殺すような人間とは。彼は優秀な技術者でしたから、我が社の開発力強化にも貢献してくれるだろうと判断していました」
「でも、すでにパワハラ事件を何度も起こしていましたよね。E社内で」
「確かにそうです。ただ、ああいう事件はとても微妙なんです。ご存知のとおりE社は大きな会社です。あのような大会社の人事は、決して社員を守ろうとはしていません。守りたいのは会社組織です。そのためには、悪質な行為も平然と行います。あの会社にはリストラ候補のリストがあるのをご存知ですか?」
「リストラ候補のリストですか・・・」
「はい、そうです。これは、次にリストラすべき人間ですね、つまり会社への貢献度の低い人間のリストです。残念ながら、あのような大きな会社には、しっかりとした労働組合もあり、そう簡単に社員を解雇することはできません」
「そうでしょうねえ」
「だから、そういうリストラしたい人間には、人事が少しずつ嫌がらせをします。つまり、本人が望まない部署へあえて移動させたり、本人が嫌がるタイプの仕事をさせたり、・・・そうして、本人が自発的に退社を申し出るのを待つのです。人事は裁判沙汰にならない程度に、社員に嫌がらせをする方法を熟知しています。そして、そういうことを実際に実行しているんです」
「そのリストに、一ノ瀬明夫も載っていたと・・・」
「リスト自体は厳秘なので、社外の人間が見ることはできませんが、おそらくそういう状況だと想定していました。確かに彼はパワハラ問題を起こしたのかもしれませんが、それも、彼の上司が圧力をかけて無理な成果を強要したためです。しかし、結果的には部下がクレームをあげた。人事としては誰かをスケープゴートにしなければならない。それで、一ノ瀬明夫が利用されただけです。彼にも問題があったのかもしれませんが、決して彼一人の問題ではないのです」
「だから、救ったと」
「きれいに言うとそうです。まあ、そういう状況を利用したということですね」
「あるいは、悪用したと・・・」
大川は嫌味な表現を使ったが、高木副社長の表情は変化しなかった。
「ある意味では、そう言われても仕方がありませんね。ただ、今回のような不祥事を引き起こすとは思ってもいませんでした。まあ、助けてやったというような恩を売るつもりはありませんが、恩を仇で返されたという印象を持っているのは事実です。大変迷惑な話です」
大川は高木副社長の顔をじっと見ていた。
「本当に、そうでしょうか・・・」
彼はまた話し始めた。
「あなたが利用しようとしたのは、一ノ瀬明夫の優秀な能力ではなく、E社の特殊開発部門との人脈じゃないんですか? 一ノ瀬明夫も、確かに知らない部署に飛ばされて落ち込んでいたようですが、それでも、一年間、真面目に働いていますよね。その中で実績が出ている・・・つまり、その間に彼が作ったコネクションも含めて、あなたは利用しようとしたのではないですか」
「弊社は、軍事関連の分野には関与していませんので、それは無関係です」
「そうでしょうか」
「はい。自衛隊に関連する分野は、信用が重視されるので、我々のような小さな会社が参入することは非常に難しいのです。だから、そのようなことは一切ありません」
「そうでしょうか」大川は同じ言葉を繰り返した。「御社はE社から不正発注を受けていますね」
高木は返事をしなかった。
「この件はいずれ証拠が出ますので、回答はそれからでも結構ですよ。別の刑事が捜査に来るでしょう。たとえ倒産しても罪が消えるわけではありませんので。ただ、私が知りたいのは、そこではありません」
「何でしょうか」高木は会社のトップに立つ人間だけあり、顔の表情を全く変えずに返事をした。
「不正発注によって、E社から御社に金が流れている。しかし、それだけではありません。一ノ瀬明夫個人にも流れていますね」
「そういう事実は把握しておりません」高木副社長は型通りの回答をした。
「一ノ瀬明夫連続殺人事件の彼の動機を解明するために、これは重要なことなんです。教えてもらえませんか? 彼はE社から個人的に金を受け取っていたんですよね。それが何かを教えてください」
いつまでも高木が返事をしないので、大川は立ち上がった。優花も慌てて一緒に腰を上げた。大川は高木を見下ろすようにして睨んだ。しかし、その口調は静かだった。
「・・・それとも、金を与えていたのは、あなた御自身ですか?」
優花は車を駐車場から出しながら、助手席の大川に尋ねた。
「黒ですか?」
「間違いないな」
「ということは、一ノ瀬明夫にお金を流したのはE社ではなく、高木副社長自身だと。彼自身が不正発注を強制したのだと」
「いやそういうわけでもない。あいつが・・・あの副社長が不正発注に関わっていることは間違いない。しかし、それだけではない。個人でも金が流れているということは、この不正発注は、単に笠河電気の売り上げの不足を補填するというビジネス的な話じゃないんだよ。不正発注の中身に何かのとんでもない価値があるんだよ」
「価値が・・・」
「そう。個人と個人で金を動かすだけの何かの価値が、E社と笠河電気の間で取引されていたんだ。つまり、個人的に金を受け取っているのは、一ノ瀬明夫だけじゃないぜ」
「あの副社長も」
「そう。あの高木副社長も個人的な利益を得てるんだ。だから、簡単には自白できないんだよ。そんな価値のある発注って何なんだ・・・それがわからん」
優花はしばらく運転してから、大川の方をちらりと見た。
「それって、もしかして、いつか、あのミクちゃんとかいう探偵が言ってた、命よりも価値があるものってことですか?」
大川はうなずきもしなかったし、返事もしなかった。
*
アキラは雑居ビルの事務所で、菅原姫奈が残していったUSBメモリのファイルの内容を見ようと苦戦していた。いくつかの暗号を解読して、内容を読むことができた。その中には、少し奇妙な情報もあった。それは、内部のメッセージ通信のログだった。組織内での秘密の通信の記録。それが、いつの時点で誰から誰に送信されたものなのか、判別することはできなかった。しかし、内部で何らかのコミュニケーションをとられていたことは事実だった。そして、それを送受信している人間が通常の精神状態でないことも明らかだった。
[この状況は異常です。何かが壊れ始めているんです。もう滅茶苦茶になっていく。この世界は壊れていく。私たちも、押し潰されて死んでしまう]
[私、狂ってるんでしょうか。もう、終わりなんですね。でも、いいんですよ。大丈夫です。いつなんでしょうか]
[本当は、死にたくないんです。でも、仕方ないんですよね。他に、どうしようもないんですよね。じゃあ、そうします。ちょっと楽しい気分なんです。頭、こわれちゃったんでしょうか。幸せです]
[いつから、私、頭がおかしくなったんでしょう。世界も狂ってるし、私も狂ってる。でも、最初から真実なんてどこにもなかったんです。もし、全てが狂気で満たされているのなら、それこそが現実なんですよね。そして、その中に幸福を見い出すしかないんですよね]
[みんな殺されちゃう。でも、楽しい。そんなはずはないのに、私、幸せ]
[片目の女の子。優しい人。あの人には、真実が見えてるんです。あの人は、いつか私たちを助けてくれるんです。きっと、あの人はマリア様みたいに、私たちをやさしく抱きしめて、天国に連れて行ってくれます。だから]
アキラはオフィスの外に出ると、ミクの携帯に電話した。ミクは一ノ瀬美佑を助手席に乗せたまま、ホテルに戻ろうとしていた。彼女が夫のところに戻りたいと言ったから。ミクは携帯の呼び出し音に気が付き、車を路肩に停めた。
ちょっとごめんね、と美佑に謝ってから、電話に出た。
「うん。今、美佑さんと一緒」
「ええ。あの、ちょっとだけいいですか。ファイルのことで」
「中、読めた?」
「まだまだです。でも、わかったことが」
「何?」
「あのですね。兵器の制御プログラムが入ってるってことを説明しましたよね」
「うん。軍事用ドローンとかのね」
「他にもたくさんあったんですが、これは、どうも笠河電気の発注とは関係ないみたいです」
「どういうこと?」
「日本のシステム以外の情報もある」
「つまり開発してたわけじゃないってことね」
「はい」アキラは短く返事をした。
「わかったよ。わかった・・・もう、わかったから、それ以上は言わないで。この携帯もあぶないかもしれない」
「はい」
「じゃあ、私がここへ来る前に、アキラ君にお願いしたことをやってくれる」
「わかりました。どこまで・・・」
「一つ目の件をもう一度。それから、次のステップにも進んで」
「え? 次のステップ・・・やるんですか?」
「うん。怖い?」
「もちろん、怖いです。でも・・・」
「やりたくない? アキラ君がやりたくないって言うんなら、それでもいいよ。当たり前のことだから。正直に言って」
「やりたいわけじゃないけど、やりたくないわけでもないですよ。ミクさんが本気かどうか、気になっただけです。大丈夫ですよ。任せてくださいよ」
「アキラ君、ごめんね。私だって、こんなつもりじゃなかったんだ。それと、アキラ君さ・・・」
「何ですか?」
「私、アキラ君のこと好きだよ」
「俺も、ミクさんが好きですよ。大丈夫ですよ。じゃあ、また」
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